二章 * ヤンデレバトルロワイアル

第10話 * 開戦

 ザア、と。

 聞こえた音は雨の音に似ていた。それが衣擦れの音であると、首筋に触れる絹に似た滑らかさで理解した。


 目の前は真っ暗だった。

 座り慣れた椅子の硬い感触。手足を縛る冷たさも硬い。視界を遮っているのは細く節のある棒の集合体。後ろから回された手が僕の両眼を覆っている。どうやら僕は今、誰かに監禁されているらしい。


 息を飲む。

 喉が鳴る。

 深く息を吸って、犯人の正体を確かめる。

「……アスター?」


 吐息が耳に吹きつける。

 背筋が凍る。


「おはようございます、蒼斗様。お加減の悪いところがございましたらすぐに教えてくださいね」


 いかなる望みも叶えて差し上げましょう。鐘のような荘厳さと鈴のような可憐さを兼ね備えた声に、そんな言葉を思い出した。


「……じゃあ、さっそくだけどこの拘束を解いてくれないかな?」


「申し訳ありません。蒼斗様にはこれから起こるすべてをわたくしと見守って頂かねばなりませんので目隠しも手枷も外すわけにはいきません」


 ふふっ、と楽しげな吐息に鼓膜を弄ばれ、蕩けるような笑みが脳裏に浮かぶ。


「さて、では蒼斗様も目覚めたことですし、始めましょうか」


 校内放送の開始を告げる鈴が鳴る。

 ハウリングの音が重なる。

「あーあー、テステス」

 アスターの声が聞こえる。

 マイクは僕の左耳。

「ご機嫌麗しゅうございます、恋する乙女の皆さん。わたくしは蒼斗様を愛する堕天使、アスターと申します。さて、これから皆さんには、ちょっと殺し合いをしてもらいます」


 それから。

 アスターは殺し合いのルールを語り始めた。

「ルールは簡単です。最後に生き残った一人が蒼斗様の恋人になれます。とはいえ、死んだ方にも蒼斗様を愛して下さった分だけ慈悲を分だけ選択肢を差し上げましょう」


 でれでれでれでれでれー、でん! と、ふざけたBGMを口ずさみ、救済措置たる選択肢を語る。


「彼との記憶を抱いて死ぬか、彼との記憶を捨てて生きるか」


 ああ、それと、とアスターは殺し合いの過程において最も重要な事項を語る。


「愛し合うためには殺し合うしかありません。もちろん方法は問いませんが、公平を期すために一人につき一つずつ、わたくしの〈愛の力〉と性能に関する記憶を貸与たいよ致します――どうか上手くご活用ください」


 そして最後に、アスターは参加者たちを煽る。そうすれば初めから逃げることを選ばないであろう彼女たちをさらに殺し合いに前向きにさせると知って。

「屋上にて蒼斗様と二人っきりでお待ちしております。ではでは」


 ブツン、と。

 校内放送が切れた。

 重要なのは三点。

 ひとつ、最後に生き残った勝者は僕の恋人になるということ。ふたつ、敗者には〈僕との記憶をすべて失って生き返るか。僕との記憶を抱いたままで死ぬか〉どちらかを選ぶ余地があるということ。みっつ、アスターの異能〈愛の力〉を武器に殺し合うということ。

 要するに――


「これは貴方が望んだことですよ、蒼斗様?」


 ――これから始まるのは僕を巡ったバトルロイヤル。僕の優柔不断が生んだ誠実な答え。だから僕には見守る義務がある。アスターが言っているのはそういうことだ。


「……わかってるよ、不誠実な僕が悪いことくらい。だけど、それは皆が殺し合う理由にはならない」


「いえ、蒼斗様、理由は十全に揃っているのです。、蒼斗様の在り方を確かめました。蒼斗様が一途で誠実でカッコよく生きるために必要なことなのです」


 なぜ、お前が僕の在り方を知っているのか。というか、それ以上に――


「ねえ、アスター、纏めて告白していただいたって、何?」


 ――昨日の告白に、みんなの気持ちに、何をした。全部、僕の勘違いだったのか?


「少しばかり感情を誘導させて頂きました。ですよ。です。だいたい、一日の内に五人の異性から告白されるなんてあり得ないでしょう?」


 アスターは終始、楽しそうだった。悪意なんて少しも感じられない。全ては行き過ぎた好意によって成されたものだった。何かが僕の内で崩れ去る感覚があった。


「それよりほら、さっそく動き始めたみたいですよ!」


 視界がどこか別の場所に切り替わったらしい。真っ暗な視界に長方形の夕日が差し込み、目が痛む。この景色には見覚えがある。

 放課後の、屋上前の階段だった。陰った一人の少女が屋上の鉄扉に触れ、必死に開けようともがいている。鉄扉はうんともすんともいわない。厳重な鍵がかかっているというよりも扉の形をした壁にでも変わってしまったようだった。


「蒼斗様にもわたくしの能力を貸与しました。この敷地内に効果を限定した〈千里眼〉と〈地獄耳〉です。ぶいあーる、というのでしょうか? あれをイメージしました。臨場感、ありますでしょう?」


 汗ばんた両手が僕の双眸そうぼうから離れた。でも、視界は鉄扉を開けるのを諦めて引き返す黒髪ツインテールを映していた。僕の瞳に直接、校舎の様子を映しているらしい。

 楽しげに語るアスターを余所に、僕は映像に見入っていた。屋上前の階段にもう一人、現れたからだ。


 竹刀を携えて制服のまま駆けてきた栗色のベリーショート。カンナと対面したのは楓だった。

 アスターに触れられている部分に嫌な汗が滲み出す。これが悪夢だと思いたいのに、瞳に直接投影された映像は目をそらすことさえ許さない。

 楓は屋上に続く階段中腹に腰を下ろしたカンナを見上げた。白いワイシャツ姿の楓は影の中でもよく見えて、ブレザーを着て背に夕陽を受けるカンナは今にも影と一体化してしまいそうな趣がある。


「クライシ、ここにいたのか!? 聞いたか? 聞いたよな、今の放送。まだ夕方なのにアオトからメッセが帰ってこねえんだ。アオトの奴、今アスターとかいう奴に監禁されてんだろ? 殺し合いなんざアオトは望んでねえ。オレたちが殺し合う必要なんざねえ。だからまずはアオトを助ける。オマエも力を貸してくれねえか!?」


 必死な様子に映像が滲む。そうだ。いつだってそうだった。楓はいつだって、男の僕より男らしい女の子だった。

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