第30話 * 誰かが傷ついても

 東の空から差した日差しが路地裏を照らす。ここまで何も答えなかった僕がきっぱりと断ったことによほど驚いたのだろう。アスターの表情が強張った。


「……あまり好きませんね、そういう冗談は」

「僕だって好きじゃない」

「諦める、と。たしかにそういったではないですか。嘘だったのですか? 不誠実な嘘で、わたくしの愛を拒むのですか?」

「いいや、嘘じゃない。諦めるよ。ただし、僕が諦めるのは、一途で誠実カッコよく在り続けることだ」

「十年前、約束したではありませんか。一途で誠実でカッコいい人間になると。貴方はその約束を破り、わたくしは約束通り貴方を導いたのではないですか。それでもまだ足りないと?」

「違うよ。君は充分に約束を果たしてくれた。僕はこれから約束を果たす――んだ。誰もじゃなくて、誰かを。一途で誠実でカッコよくあるべき相手を。一途に想うべき相手を、誠実を成すために不誠実を成す相手を。どれだけ傷つけることになったとしても、どんなに傷つくことになったとしても、それでも大切にしたいと思えるただ一人を」


 ぐいっ、と、袖を引かれた。見るとアスターが僕の腕に縋っている。焦りの混じった声が僕の背を叩く。どこか胡蝶を彷彿させる顔で、アスターがいう。


「蒼斗様。わたくしは貴方と出会えて、貴方を愛せて、幸せです。わたくし一人を愛してくださるのなら必ずや貴方を世界一幸せにしてみせましょう。そこに何の不満があるというのです?」


 アスターからの二度目の告白。受け取り方によってはプロポーズともとれる告白を、僕はまた女の子にさせてしまった。五人分の命を奪わせて――いや、そもそも五人の命を奪ったのだって、軽薄とも取れる八方美人な良い人を一途で誠実でカッコいいと勘違いした僕のようなものだ。本当に、カッコ悪い。


 私を愛せと彼女はいった。

 僕の心は決まっている。


「たとえ君に従うことで世界一幸せになれるとしても、僕は僕の愛する人くらい自分で選ぶよ。それが君に対する不誠実でも、もしも未来を選んだ二人を不幸にするとしても、過去を選んだ三人の決意を全部無駄にするとしても、どんなにカッコ悪くても。それでも僕は胡蝶に生きていて欲しい。胡蝶のために一途で誠実でカッコよく在り続けたい」


 僕に縋る手が震えた。それはそうだ。今までに何十年何百年何千年生きてきた世界の全てを敵に回して、神との戦争に勝利する神話を打ち立てて、味方だったはずの恋する乙女を五人殺して、ようやくここまでたどり着いたのに、それだけの想い答えないというのだから。僕は今この瞬間に殺されたとしても不思議ではない。

 それでも。

 僕はアスターの考え方を認めることはできない。どれだけ僕を愛してくれたとしても、全幅の信頼を寄せることはできない。

 でも。

 ただ一つ、彼女のと僕に対するだけは信じることができた。それだけは信じなければ、過去に囚われたままの僕には何もできない。

 僕は彼女を利用する。僕自身のエゴのためだけに。震える手を握り、俯く黄金色を優しく撫でた。


「胡蝶は皆と〈一途〉に向き合って〈コピー能力〉を使っていた。カンナは〈〈妄想〉を具現化させる能力〉を使っていた。葵は〈追跡ストーキング〉するための〈透明化〉と〈索敵〉を使っていた。掟先輩は包帯を媒介した〈束縛〉と〈治癒能力〉を使っていた。は〈整形〉なんて目じゃない〈変身能力〉を持っていた」


 蕩けるような笑顔はない。アスターの茜色の瞳の瞳孔が開き、申し訳なさそうに目を逸らした。僕の袖に縋っていた手が脱力し、離れる。少しだけ勝ったような気分になる。この期に及んでカッコよく決断できた、などと思ってしまったのだ。

 何も終わっていないのに。何も始まってすらいないのに。勝ちか負けかで言えば僕はとっくに負けていたのだ。

 アスターは覇気のない声で、しかしはっきりとこういった。


「では、? 誠実であるための選択を」

「ああ、六月五日、僕がみんなに告白された日まで時間を巻き戻してくれ。君ならそれができる。そうだろう?」


 アスターが時間を巻き戻せるのは知っていた。観葉植物と胡蝶が教えてくれていた。だからこそ、微かな違和感が拭えなかった。

 巻き戻せるのなら、どうして僕は間違えた?


繰り返しますか? あの醜くも美しい殺し愛を」

「だから、そういって――」

?」

「―—え?」

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