いわゆる普通の家政婦ちゃん!

弐護山 ゐち期

序部

起の章

初めまして、戦う家政婦です!①

 半額になるのを待ってから出かけたスーパーの帰り、少年は不審者に遭遇した。


「――いかない、……わけにはいかない、」


 目の前には長髪の女が一人。おぼつかない足取りで、何やらぶつぶつと呟きながら朝霧あさぎりスケヒトのほうへ歩いてきている。

 髪も服装も黒一色。その姿は影が歩いているよう。垂れた髪のせいで顔はうかがえない。顔が見えないこと、夕暮れ時であること、この二つの要素はスケヒトに気味が悪いと思わせるには十分であった。

 両側を住宅に挟まれた車通りのない一本道。家に帰るにはどうしてもこの女とすれ違わなくてはならない。

 息をのみ、冷や汗をかき、走りたくなる衝動を抑えて女に近づいていく。


「……、死ぬわけにはいかない、」


 すれ違いざま、スケヒトは女の呟きをはっきりと聞き取った。鼓膜にからみつく生気のない言葉を胸の中で反復してみる。

 死ぬわけにはいかない、女はそう言っていた。殺されそうなのだろうか。それにしては声色こわいろがおかしかった。言葉に込められていたのは、恐れというより恨みに近い感情。死ぬわけにはいかないって、何だ? 


「――死ぬわけには、いかなかった!」


 疑問を抱いた瞬間、スケヒトの後方で女が叫んだ。びくりと肩が跳ね、全身に緊張が走る。

 恐怖。その感情で頭が埋め尽くされ、スケヒトはたまらず走り出した。女を見ることもせず、ひたすら走った。


「この無念、晴さでおくべきかっ!」


 足音から自分が追われているのだと判断し、無我夢中で駆ける。後ろを振り向くと、血走った瞳がスケヒトをにらんでいた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 迫りくる死の恐怖に叫ばずにはいられない。全力で走るも、足音は着実に迫ってきている。


「誰か……、」


 恐怖と緊張のせいで口が乾き、うまく声を出すことができない。

 それでも精一杯、スケヒトは声を出し続ける。


「誰かっ、……誰か助けてぇぇっ!」


 そう絶叫するも、誰も助けてはくれない。体力の限界も近づいてきている。もうだめだ、諦めよう。そんな悪魔の言葉がちらつき始めた。

 涙目になりながら、心が折れそうになりながら、もう一度叫ぶ。


「誰でもいいから、助けてぇぇぇっ!」


 しかし、誰もいない。誰も来ない。誰も助けてはくれない。

 スケヒトは絶望の淵まで追いやられた。

 もう疲れた。もういっそのこと――。


「いま、助けます!」


 いきなり、弾んだ明るい声が飛び込んできた。

 嬉しくなって声の主を探すも、正面に伸びる道路に人影はない。


「こっち、屋根の上です!」


 そう言われ、前方の屋根を見ると確かに人がいた。

 腰まで伸びた黒髪。白いセーラー服を着た少女。平たい屋根の上にいる少女が、スケヒトには天使に見えた。


「よっ」


 目の前で少女が屋根から飛び降りる。スカートを押さえながら軽やかに着地。

 そして、スケヒトへ向かいこう呼びかけた。


「安心して走り抜けてください! 輪廻刀りんねとうで人は斬れないのでぇ!」


 見ると、片手には刀のようなものを持っていた。

 足音はすぐ後ろからする。少女のところまで行くのが先か、捕まるのが先か。そうこう考えている暇もなく、どうか間に合ってくれと願いながら、抜刀の構えに入った少女の横を駆け抜け――


「え?」


 そんなとぼけた言葉しか出ない。刃はスケヒトに向かって空を滑っている。腹に横一線の衝撃が走ってやっと、スケヒトは状況を理解した。


 少女はスケヒトごと謎の女を斬ったのであった。


 血の気が引いていく。全身の力が抜け、よろけるように倒れるスケヒトを少女が抱きかかえた。


「初めまして、朝霧スケヒトさん。これから家政婦としてお世話になります!」


 謎のセリフとともにはにかむ少女を見ながら、スケヒトは気絶した。

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