初めまして、覚えていますか?③

「なースケヒト、これからどっか行かね?」


 午後二時を過ぎたころ、ほうきを持った羽田が話しかけてきた。今日は職員会議やら生徒総会の準備やらで、短縮五時間授業となっている。いまは放課後清掃の真っ最中だ。


「すまん、今日はパス」


 今日は朝から何かおかしいのだ。思い違いをしてしまったり、思い出せないことがあったりと、こんな状態のまま遊びに行くわけにはいかない。


「何だなんだー? 天月あまつきさんとデートの約束かぁー? いつまでもお熱いご夫婦なこって」


「んなわけないだろ!」


 いい加減、なじみを嫁だとか妻だとか言わないでいただきたい。そんなことを言っていると、あいつが来てしまうだろうが。


「んー? 誰が来ちゃうって?」


「うわぁっ!」


 突然、後ろからなじみの声がした。人の心を読むなんて、幼馴染ながら恐ろしい。


「お前、今日掃除は?」


「そんなのとっくに終わったわよ。あんたたちがノロいだけ。まだ机も運んでいないなんて、いままで一体何をしていたのかしら。全く、勘弁してほしいわ」


「何だよ、文句言いに来たのかよ」


 いや、そもそもなじみは別のクラスであり、文句を言われる筋合いなどないのだが。


「しょうがないから手伝ったげる」


 そう言って、なじみは机を運び始めた。


「手伝ってくれるのはありがたいけど、本当は何をしに来たんだ?」


 スケヒトも机を運びながら、なじみに聞く。

 なじみが放課後に教室まで来ることは珍しい。何かあったのだろうか。


「い、一緒に帰ろうかなって」


「ああ、そんなことか」


 もっと他の大切なことかと思っていたが、どうやら違ったようだ。


「いいよ、一緒に帰ろう。今日は真っすぐ帰るつもりだったし」


 羽田と遊ばずとも別に、なじみと帰るくらいはいいだろう。今日の自分はいつもと違う、そう理解してさえいれば下校時になじみを不審がらせることはないはずだ。


「そう言えば、今日はバイト休みなのか?」


「……バイト?」


「近所の喫茶店で始めたんだろう?」


 千代ちよお気に入りの持ち帰りケーキを売っているあの喫茶店。そこでこの前の休日にウエイトレスをしているなじみと会ったのだ。これははっきりと覚えているし、間違いない。


「な、何で知ってるわけ!? まだあんたに言ってないわよね」


 運んでいた机を勢いよく床に置き、なじみは驚く。


「何でって、この前の……」


 言いかけてやめた。自分がおかしなことを言っていると、直前で気づいたからだ。

 自分が一人で喫茶店に行ったことはいままで一回もない。いつもは千代と一緒にケーキを買いに行くか、そうでなくとも必ず誰かと一緒にしかいったことはなかった。もし仮に一人で行ったのだとしたら、『そう言えば』なんて言葉でこの会話を始めないはず。一人喫茶店デビューは自分の人生において重大なことなのだ。そもそも思い出したように言うこと自体がおかしい。


「喫茶店の前をたまたま通りかかったとき、働いてる姿を見たんだよ」


 何とか軌道修正して、言葉を繋ぐ。これならば不審がられないはずだ。

 今日はもう、自分から話を始めるのはよそう。


「ふーん、たまたまねぇ」


「な、何だよ!」


 意味ありげにうなずきながら、なじみはスケヒトを見つめる。


「別にー。ただあんたが休日に出歩いてるなんて、明日は雪でも降るんじゃないかと思ってね」


「出歩いたっていいだろ」


 人のことを何だと思っているのだ。


「ま、店に来たときはサービスしたげる」


「そりゃどうも」


 と、ここで会話を一旦切って机運びに専念する。

 これ以上話しているとボロが出そうだし、その前に羽田たちに迷惑がかかってしまう。掃除とは本来、無言でやるものだと小学校の先生が言っていた。


「今日だけは、無言という言葉が輝いて見えるぜ……」


 一人呟きながら、この後のなじみとの会話をどうしようかと考えた。

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