初めまして、覚えていますか?④

「ただいまー」


 玄関の扉を開けて家に入る。玄関に千代ちよの靴はなかった。小学生よりも早く帰宅できるなんて、こんなことはめったにない。二階にある自分の部屋に鞄を置いて一階で手を洗ってから、キッチンへと向かう。


「とりあえず腹減った……」


 今日は短縮五時間授業だったので、弁当を持って行かなかったのだ。その上なじみとの下校の精神的負担も加わって、余計に腹が減った。一応言っておくが、精神的負担とはボロを出さないか心配だったということで、決してなじみと帰るのが嫌だったというわけではない。


「何か食べるもの、食べるものっと」


 飢えたクマのように冷蔵庫をあさる。冷蔵庫には喫茶店のケーキが入っていたが、これは千代のおやつだ。腹が減っているからと言って妹のおやつを食べるわけにはいかない。


「それにしても……」


 このケーキはいつ誰と買ったのだろう。なじみと学校で話したとき、一緒に喫茶店に行った人物を思い出すことができなかった。羽田の席と言い、なじみの怪我と言い、記憶におかしなところがありすぎる。これは何か対策を考えるべきだろう。


「となると、これを食べるしかなくなるのか」


 腹を満たすことができ、かつ対策を立てるのに役立つもの。スケヒトは冷蔵庫の扉を閉めてコンロの上にある大きな鍋を見る。

 冷蔵庫の中にいますぐ食べられるものはなかった。いますぐ食べられるとしたらこの紫カレーしかない。


「うおっぷ」


 蓋を開けてみると、中からものすごい負のオーラが出てきた。イメージ的には、紫色の毒々しい気体が鍋の中から出てきたとでも言えばいいのだろうか。


「大丈夫、死にゃしないさ」


 自分にそう言い聞かせ、コンロに火をつけて紫カレーを温める。

 カレーは二日目がおいしいのだ。昨日で気絶するレベルなら今日はもっとマシになっているに違いない。いや、マシになっていてもらわねば困る。


「おいしくなっていてくれ!」


 もはや神に祈りながら、温めた紫カレーを白飯の上にかける。心なしかうごめいているようにも思えるが、きっと気のせいだろう。


「ふぅー」


 テーブルに紫カレーを置き、自分も着席して深呼吸する。カレーは既にスプーンですくった。後は腹を決めて食べるのみ。

 このカレーを食べて気絶した記憶も、なじみがこれを持ってきた記憶もない。もしかしたら、このカレーを食べることで何か思い出せるかもしれないのだ。


「そうは言っても……」


 紫カレーは明らかにスプーンの上で動いている。そんなものを口の中に入れることは、そう簡単には実行できない。だがしかし、いつかはやらないといけないわけで。


「だったら早いほうがいい」


 ごくりと唾を飲み、スケヒトは覚悟を決めた。

 いまさらながら、カレーを食べるためだけに覚悟を決めないといけないなんて、こんなおかしな話はないと思う。


「ええい! くそぉ!」


 ぱくり。目をつぶって一気に食べた。


「……案外いける」


 思っていたよりも食べれるかもしれない。紫であってもカレーはカレーであったようで、さすがに二日目となるとおいしくなっていた。


「ん?」


 カレーはもう飲み込んだ。なのに何故か口の中に何とも名状しがたい不快感が広がる。


「時間差とは……油断したぜ」


 不快感だけならまだいい、もはや何味かわからない渾沌こんとんとした後味も増大してきているからたまらない。これが二日目のカレーのコクというやつなのか。


「うぐっ!」


 不味すぎて全身に電気が走ったかのような感覚を覚える。これはまさに国民的アニメのガキ大将並みと言っていい。


「こんなの、どうやって作ったんだよ……」


 千代のようにソースをかければ、少しは食べられるようになるかもしれない。昨日のようにハート型を描いてくれないだろうか。


「昨日とは言えこれをソースなしで食べたとか、本当にあいつの舌はどうなっているんだ」


 こちらは一口食べただけで失神寸前だってのに。あいつの舌には感心するというよりも、呆れてしまう。


「……あいつ? ハート型?」


 そうだ昨日このカレーを食べたとき、家には千代以外にも人がいたはず。そしてこのカレーはなじみが作ったんじゃない。名前と顔を思い出せないあいつが作ったのだ。紫カレーが不味すぎたおかげで、昨日のことを少しだけ思い出せた。


「しかし、あいつとは一体誰だ」


 すぐそこまで出かかっているのに、思い出すことができない。もう一口カレーを食べるが、ただただ不味いだけ。あとちょっと、あともう少しなのに。


「こうなったら……」


 もう一度全身に電気を、さっきよりも強い電気を走らせるしかない。行儀が悪い上に死ぬかもしれないが、この方法に賭けてみよう。

 スケヒトはカレー皿を片手で持ち、皿ごと口まで持っていく。そして、


「うおぉぉぉぉ!」


 スプーンを使って一気に紫カレーをかっ込んだ。

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