第7話
七
ケープタウンからロンドンに向かう飛行機の中、エリーは暗闇しか映らない窓をぼんやりと眺めていた。飛行機は現在中央アフリカを通過しているらしく、周囲の客は睡眠をとったり、映画を見たりと各々の時間を過ごしていた。
「はあ〜、面白かった」
隣でミランダがイヤホンを外して伸びをした。どうやらさっきまで見ていた映画が終わったようだ。
「前から見たいと思っていた映画だったの。まさかこんなところで見られるなんてね」
独り言なのか、それともエリーに話しているのかわからない口調で彼女は続けた。
「そういえば……」
エリーは渋るようにミランダに話しかけた。
「あなたとジョーは……その……、どういう関係なのかしら?」
エリーは自分で言いながら気がついた。普段こういった話題を話さない彼女は不慣れで、どう聞けばいいのか分からないのだ。
「関係、というとどういうことかしら?」
ミランダも質問の内容が飲み込めず、聞き返した。
「だから、その……、あなたたち二人は付き合っているのかしら?」
ミランダはその言葉でようやく質問を理解したのか、数回頷くと、少し天井を見つめて考えた。
「うーん、別にそこまでの関係ではないと思うわ。今は事件を解決するために一緒に動いているだけだから……。『パートナー』っていう言い方が正しいかもね」
彼女はニコリと笑って見せた。
「じゃあ、もし事件が全て解決したらどうするの?」
エリーは身を乗り出すようにして聞いた。ミランダは少し幸せそうに上を見ると、
「そうね……。もしかしたらプロポーズされるかも」
と少し頰を赤らめて言った。その素直な表情にエリーは胸が痛んだ。自分はここまで率直に感情を表に出すことが出来るだろうか。彼女の心の中にミランダに対する羨ましさが溢れ出した。
「あなたの方はどうなの? 誰か気になってる人とかいない?」
ミランダはそうエリーに聞き返した。エリーはとっさの質問に混乱し、頭は慣れない回路を使ったことによりエラーを起こした。
そんな彼女の頭に小野の顔が浮かび上がった。その瞬間エリーは自分の鼓動が大きく一回鳴るのを感じ、とっさにそれを脳から消した。
「べ……別に……ないわ……」
たどたどしくそう言うのがやっとだった。そんな彼女を見たミランダはニヤリと笑みを浮かべると、
「お似合いだと思うけどなあ」
と、言い残して席を立ってしまった。その言葉の意味に彼女の脳はまたもエラーを起こし、顔がカーッと熱くなった。
「一体どういうこと?」
エリーがそう聞こうとした時にはもうミランダの姿はなく、一人になった彼女はしばらく放心した状態になった。
ロンドンの郊外にあるヒースロー空港はロンドンと世界を結ぶ玄関口であり、辺りに広がる牧歌的な風景は人々にイギリスに来たことを感じさせるものだった。しかし、今日のヒースロー空港は雨に見舞われ、その風景も見えずらくなっていた。
空港に着いた小野たちをずぶ濡れになったウィリアムが出迎えた。小野はその様子からそうとう慌ててここに来たのだろうと推測した。
「どうしたの、ウィリアム?」
エリーがカバンの中からタオルを渡しながら尋ねる。ウィリアムはそれで顔と髪の毛を拭くと、一息ついて言った。
「うちの母が昏睡状態になった。医師によると今後回復する見込みはないらしい」
それを聞いて小野は激しい後悔に襲われた。ウィリアムにはとても辛い思いをさせてしまったと思い、俯いた。そんな彼の様子を見ていたウィリアムは軽く微笑んだ。
「セイジ、君のせいではないよ。母はすでに病気が進行していて、いつこうなってもおかしくない状態だったんだ。それより……」
ウィリアムは間を置くと、息を大きく吸い込んだ。
「今際に母はある言葉を私に残した。この言葉はおそらく私たちに向けられたものだと思うんだ」
「どういうこと?あなたのお母さんは私たちのことを知らないはずでしょ?」
エリーがすかさず突っ込む。
「ああ。けど、彼女の口ぶりはあたかも知っていたかのようだった。初めから私たちがこうなることがわかっていたかのような……」
「君のお母さんはなんて言ったんだい?」
モランが温かい声で尋ねた。ウィリアムは息を整えると、ゆっくりとした口調で言った。
「彼女はこう言ったんだ。『あなたたち七人は作られた存在だ』、と」
その場にいたほとんどが混乱する中で、小野だけは目をつぶって俯いていた。彼の頭にあった数ある仮説のうち、もっとも辛く、これからの人生を左右しかねないものが当たってしまったからである。
「みんな……」
そう言って小野は全員の注意を向けた。少し間を置き、話し始める。
「これから話すことはあくまで僕の推論であって証拠は何もない。ただ、僕の頭の中に数ある仮説のうち、これまでの状況と今のウィリアムのお母さんの証言をまとめて説明出来るのがこの仮説だけなんだ。もしかしたらショックを受けるかも知れないから、落ち着いて聞いてほしい」
小野はみんなの様子を伺った。ミランダが少し怯えているくらいで、後のみんなは覚悟を決めた目で小野のことを見つめていた。
「私も聞くわ。きっとこれからのことに関わってくるんでしょ?」
ミランダが細々と、けどはっきりした声で言った。
「ありがとう、ミランダ。みんなもいいね?」
小野の問いにうなずく者はいなかったが、彼らの瞳から大丈夫だという視線を感じた。彼は大きく息を吸うと話し始めた。
「そもそも考えて欲しいのが僕たちの共通点だ。確かに、僕らはウィリアムを除いて全員養子だし、六歳以前の記憶がすっぽり抜けている。しかし、これだけではないはずだ。共通する項目をもっと抽象的にしていくと、僕らにはもう一つの共通点があったんだ」
小野は一呼吸置いて言った。
「それは僕らが『他の人よりも圧倒的に秀でた能力を持っている』ということだ」
彼の言葉に反応する者は誰もいなかった。小野はそのまま続けた。
「例えば、エリーは他と一線を画す映像記憶能力があるし、ウィリアムには一度身につけた知識は絶対に忘れない記憶力がある。モランは数百メートルの人の顔を見分けるほど目が良くて、ジョーは耳が、ミランダは鼻が、それぞれ常人のレベルを超えて利く。僕はこれが偶然ではないんじゃないかと考えた。それを説明出来ることは一つしかなかった」
小野はそこで言うのを躊躇した。まだ自分でもこの言葉が正しい表現なのかわからなかったからだ。けど、もう話し始めてしまった以上、言うしかなかった。
「僕らは幼児期に何者か、おそらくゾルダクスゼイアンの手により『改造』を受けた可能性が高い」
全員が驚くと同時にどこか納得した。自分が持っているこの特異な能力。これが努力でも才能でもないとしたら、誰かに体をいじられた可能性が高い。そしてそれが可能だった期間はすっぽりと記憶が抜けている幼児期に行われたと考えるのが自然なのだ!
エリーは自然と過去の自分を思い返していた。それはエリーだけではなくその場にいた誰もがしてことだった。圧倒的な映像記憶能力がある彼女にとって、暗記が必須のテストはいつも満点をとっていた。両親が交通事故で亡くなり、弟の学費を稼ぐために就職先を警察にしたのも、この映像記憶能力を使えば必ず役に立つと思ったからだ。事実、彼女の映像記憶能力はとても役に立ち、署内ではすごく重宝された。
突然、彼女のスマホが着信のベルを鳴らした。慌てて確認するとIHOのムトからだった。彼女はテレビ電話に切り替えて応じた。
「もしもし、ムト・ノーラだけども今いいかしら?」
「ええ、大丈夫よ」
エリーは彼女の声から何か緊迫した自体が置きたと推測した。
「パキスタンのナガル・パルカルという場所で、アペプの症状と思われる病人が相次いでいることがわかったの。患者の数は今も増え続けていて、現場の医師たちは空気感染じゃないかとみてるの」
「どういうこと?アペプは感染力ゼロのウイルスじゃ……」
「もしかしたら、空気感染出来るように改造されて撒かれたのかも。一刻も早く感染源を止めないと、数週間もしないうちに世界はアペプによって滅亡してしまうわ!」
「そんなこと言われても、私たちは感染源の情報なんてまだ何もわかってないわ」
「いや、もしかしたらわかるかもしれない」
エリーの戸惑う声に小野が反応した。彼女らの会話はスピーカーを通じて全員に聞こえていた。
「ウィリアムの母親はこう言ったんだ。『あなたたち七人は作られた存在だ』と。僕ら全員は六人で彼女の言葉と合わない。つまり、ゾルダクスゼイアンは僕ら以外にもう一人、改造を行った人がいるということだ。もしかしたら、その人物が小説の第六章に出てくる『羅王』という人物と同一かもしれない」
「確かにそうかもしれないね。どうだろう、私たちが現地に行くまで彼女に調べてもらうというのは」
小野の意見に同意したウィリアムがそう提案してみる。
「確かにそうかもしれないわね」
エリーがすかさず提案に乗る。
「ちょっと待って、私はまだ状況を整理出来ていません。あなたたちは何か掴んだのですか?」
会話についていけてないムトが困惑した表情を浮かべる。
「説明は後でするわ。それよりも、今あなたは現地にいるんでしょ?」
エリーの問いにムトは無言でうなずく。
「なら、現地にいる医師や看護師、医療スタッフの中に六歳以前の記憶がなくて、養子で育った人を探してくれるかしら?」
エリーの怒涛の語気に圧倒されたムトは
「わかったわ。探してみる」
としか答えられなかった。
「そうとわかればパキスタンね」
ミランダが少しワクワクした声で言う。
「そうだね。チケットを予約しないと、六人分」
「あら、あなたも現地に向かうの?」
ウィリアムの言葉にエリーが皮肉を込めて聞いてきた。
「ここまで来たら私も行かざるを得んだろう。ここからは何か自分の固定概念を壊すようなことが起こりそうな気がしてね、それを自分の目でちゃんと観ておきたいんだ」
ウィリアムは親指で自分の胸を指した。
「なら、ウィリアムは飛行機の予約をお願い。私たちはホテルで少しでも体を休ませておきましょ」
エリーは出口に向かって歩き始めた。他のみんなが彼女に続く中、小野はウィリアムのそばに寄って尋ねた。
「ウィリアム。どうしてパキスタンで『何かが起こりそう』と思ったんだい?」
小野の問いに、ウィリアムは少しびっくりした感じで答えた。
「確かに私でも驚いているよ。普段の私なら絶対に言わない。けれどもアペプのパンデミックが起きていて、そこに我々と同じ境遇を持つ『七人目』がいる。これは何が起きてもおかしくないと思うんだ、その何かはわからないけれど」
「確かに、これまでと違う雰囲気は感じるよ。もしかしたら、神崎守の小説の謎もそこで解き明かされるかもしれない」
「ほんとはもう解けているんじゃないんかい?」
ウィリアムはニヤリと笑いながら尋ねる。小野は恥ずかしそうに微笑を浮かべた。
「確かにこの小説のトリックを説明出来る仮説はあります。けれど、それは理論的な話であって現実味がないんです」
「どんな仮説か、私にだけ教えてくれるかい? 私の知識と比較して現実味があるかどうか判断してあげよう」
小野は彼の耳元で自分の考えを言った。彼の仮説を聴き終わったウィリアムはしばらく目を細めて考えると、難しい顔をした。
「確かに、それは理論的には可能だと思うが、果たしてここまでうまく行くとは思えないなあ。君の言う通り、その仮説には現実味はゼロだよ」
「そうですよねぇ」
小野とウィリアムは出口に向かって歩き始めた。雨は先ほどよりも強くなっており、運行掲示板には所々『欠航』という文字が出始めてきた。
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