第10話
十
翌日、防護服に身を包んだ小野、エリー、ウィリアム、モラン、ジョー、ミランダ、ネハ、そしてムトとライアンは一台のマイクロバスに乗り込み、アムシャ・ハーに向かった。
アムシャ・ハーとはアヴェスタ語で「不死の泉」という意味らしく、地元の言い伝えではその地が全ての宗教の始まりだとされている。
「アヴェスタ語、というのは世界最古の宗教の一つであるゾロアスター教の教典に使われている言語だ。現在では使われていない言語だが、インドやイランなどで使われていたとされる説がある。あながち、アムシャ・ハーと呼ばれる場所が全ての宗教の始まりだという言い伝えは間違っていないかもしれないね」
ウィリアムはバスに揺られながらそう説明した。
バスは閑散とした道を三十分ほど走り続けた。やがて砂漠しか見えてなかった視界の奥に青々と茂った植物の群生地を認めることが出来た。
「どうやらあそこがアムシャ・ハーみたいね」
ムトが前の席から言った。
「さっきも説明したとおり、現場では何が起こるかわからないわ。だから先頭はライアン、その次に軍隊経験のあるジョー、その次に身体能力の高いミランダ、ネハ、ウィリアム、セイジ、と続けて最後の方をエリーとモランと私で固める。いいわね」
ムトの説明に皆は口々に了承の言葉を口にした。ジョーは軍隊での癖なのか、「I understand, ma’am(了解しました)」と軍隊方式で答えていた。
一行はアムシャ・ハーに着くと、先ほど支持されたように隊列を組んだ。ジョーがライアンの後ろに行くと、ライアンが個人無線で彼に話しかけて来た。
「君は軍隊経験があるんだったね」
無口な彼が急に話しかけてきたので、ジョーは驚いたがすぐに答えた。
「ああ。そういうあんたはどうなんだ? IHOに勤めるエリートさんより俺に先頭を預けた方が安全なんじゃないか?」
ライアンはハハハと声を上げて笑った。
「安心してくれ。私はこう見えて軍隊学校に入っていたことがあるんだ。もちろん実戦経験もある」
曇った防護服のガラスからニッコリと笑うライアンの姿がうっすらと見えた。
軍隊学校に所属してた奴が、どうしてIHOなんかにいるんだよ。
ジョーはそう思ったが口には出さないでおいた。
「その君に、嘘偽りなく答えて欲しいことがあるんだが……」
ライアンはそう前置きすると、個人無線であるにも関わらず小声でこう尋ねてきた。
「君は銃は所持しているかね?」
ジョーの鼓動がドクンと鳴った。現に彼のウエストポーチにはマグナム銃が弾を込めた状態で入っているからだである。
「別にこの場で税関がどうこう言うつもりもないし、私にそれをどうにかする権限はない。ただ万が一、犯人と戦闘になった場合、自分たちの戦力を確認しておきたいんだ」
ライアンは諭すようにゆっくりと話しかけた。知っていたわけではないのか、と少し安堵したジョーは口ごもりながら言った。
「二十二口径マグナム銃がフルスロットで俺のウエストポーチに入ってる」
そしてこう続けた。
「あくまで自分の身を守るようだ。あんたには渡さないぜ」
それを聞いたライアンは再びハハハと声を上げて笑った。
「そんな卑怯者ではないよ、私は。私もちゃんと武装してきている」
彼は笑みを浮かべると、懐に隠してあるサブマシンガンとハンドガンをちらつかせた。
「全く、これだからエリートはずるいんだ」
ジョーは大きなため息を吐いた。
一行は慎重に群生林の中に入っていった。しばらく獣道を進むと、洞窟のようなものが姿を現した。それは岩にぽっかりと大きな空間が開いたもので、奥からは水の湧き出る音が聞こえていた。
「ナムハの話だとアムシャ・ハーはその奥らしいわよ」
ムトがそう言う。
「全員、周囲を警戒しながら慎重に進んでくれ」
ライアンはゆっくりと地面を踏みしめながら洞窟の中に入っていった。洞窟の中はかろうじて太陽の光は入るほどで、薄暗かった。数メートル進むと、青く光る大きな池が見えた。これがアムシャ・ハーである!
アムシャ・ハーが目視出来た時、ライアンはある異変に気付いた。
「おかしい……」
彼はポケットから小型の空気計測機を取り出した。これはウイルスや花粉などを計測する装置で、周辺の空気の汚染度を確認することが出来る機械なのだ。
彼は何度も空気計測機の電源を入れ直した。
「どうしたの、ライアン?」
歩みを止めたライアンを心配してムトが尋ねた。
「何度も計測し直しているんだが、ここ一帯の空気は全く汚染されていないというんだ」
「どういうこと?」
「つまり、ウイルスや花粉による汚染度が何回試してもゼロを示している!」
一同に動揺が走った。
「そんなはずないわ。どんなにきれいな空気でも一以上の数値は出るはずよ。不良品とかではないの?」
ムトは語気を強めて言った。
「今日開けたばかりの新品だ。そんなことはない。でも、数値はゼロを示している。これを見てくれ!」
ライアンはムトに空気計測機を回した。確かに、そこには絶対に表示されることはないはずの「0」という数字が記されていた。
「そんなに疑うんなら実際に試してみればいいじゃない。せっかく私たちがいるんだから」
そう言ったミランダは何の躊躇いもなく防護服のヘルメットを脱いだ。ジョーは目の前で起きた出来事に反応出来ず、しばらく呆然と立ちすくむと、すぐに大声で叫んだ。
「何やってるんだ!アペプに感染したら確実に死んでしまうんだぞ!」
彼はミランダの肩を強く掴んだ。しかし、ミランダはそんな彼を気にもとめず、鼻に空気を大量に吸い込むとニコリと笑った。
「大丈夫だわ。ここの空気、今までに感じたことのないくらい清潔よ。渓流よりもきれいかも」
それを聞いたジョーも何かを決意したのか、勢いよく防護服を脱ぎ捨てた。
「何をやってるんだ、君たちは!早く着なさい!」
ライアンは血走った目で言った。
「ライアン、彼女の言ってることは本当だ。確かにここの空気はとても清潔だ。嗅覚が普通の人と変わらない俺が言ってるんだから間違いないよ」
次に防護服を脱いだのはウィリアムだった。
「閉塞感しか感じなかった防護服から解放されるとは、素晴らしいな、ここは。一体どういう仕組みだい?」
次にモランが
「まあ、曇ったガラス越しだといくら私でも見えずらいですからね。脱げる時に脱いでおかないと」
と言いながら防護服を脱いだ。
「ああ、もうどうとでもなれよ」
エリーが防護服を脱ぐのを見て、小野も防護服を脱いだ。ネハはいつの間にか脱いでいた。彼らの様子を見たライアンとムトも最終的には防護服を脱ぐことにした。
「しかし、どうしてここだけこんなに空気がきれいなの?」
ムトの疑問をよそに、モランが目を細めながら言った。
「あれは、人か?」
彼は指差した先はアムシャ・ハーの淵で、よく見ると人がぐったり倒れているように見えた。
一行は隊列をかろうじて整えながら慎重にそれに近づいていった。やがて、小野たちでも顔が判別出来るくらいまで近づいた時、ジョーが叫んだ。
「ボウ!」
やはり、と小野は思った。彼の予想した通り、倒れていた人物の正体はジョーのかつての親友、ボウ・タダノだった。
ジョーは彼の元に走り寄ろうとしたが、ライアンがすぐにそれを止めた。
「ジョー、彼をよく見るんだ。アペプに感染した形跡がある」
よく見るとボウの目や鼻や口、そして肌から滲み出るように血が溢れ出ていた。
「この出血量。おそらくもう死んでいるわ」
ネハが小さな声でそう言った。
一体、彼はどうしてここに……。
そう考える小野の足は自然とボウの元へ進んでいった。
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「どうしたんだい? セイジ」
ウィリアムが歩み寄ろうとする小野に気づき、声をかける。
「いや、彼の懐に何かあるような気がして……」
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「セイジ・オノ、下がるんだ。アペプに感染するかもしれないぞ」
ライアンが叫んで彼の肩をつかもうとする。しかし、小野は彼の手を勢いよく弾いた。ライアンは彼の体格からは想像も出来ない力で弾かれたことに驚いた。
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ボウの死体の前まで来た小野は、彼の懐を何の躊躇もなく探った。彼の血がベッタリと小野の手にまとわりつく。
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やがて小野は彼の懐から手のひらサイズのスイッチのようなものを二つ取り出し、みんながいる方を向いた。そこにはライアンがハンドガンを手にして立っていた。
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「そこから動くな、セイジ・オノ。君は確実にアペプに感染している。我々に近づくようなら撃ってでも止めるぞ!」
叫ぶライアンに小野はゆっくりとした口調でこう言った。
「安心したまえ、私はすでに感染している」
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彼の奇妙な一言に一同は黙ってしまい、ゴクリと唾を飲んだ。
「それに、ボウ・タダノが感染したのは試作型の感染力ゼロのものだ。たとえ触れていたとしてもそれを体内に取り込まない限り感染することはない」
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いまだに黙っている一同に小野はクククと笑みを浮かべた。
「全く、たかがウイルスに『アペプ』だなんてくだらない名前をつけて……。君たちは本当に滑稽な生き物だ。たかが方程式の範囲内で起きたことに対して神の思し召しだの何だのと御託を並べる」
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「あなた、本当にセイジなの……?」
エリーは今まで一緒に行動してきた小野と全く違うことに不安を感じ、彼に問いかけてみた。
「いかにも」
彼は得意げな笑みを浮かべてそう答える。その笑みは謙虚な小野が今まで一度も浮かべたことのない不気味な笑みだった。
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小野は高らかにこう言った。
「私はセイジ・オノ。ゾルダクスゼイアンを作った者であり、このウイルスを開発してばら撒き、君たちをここに集めた張本人だ!」
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