エピローグ

 エピローグ


 木製の廊下をエリーは鈍い音を響かせながら走っていた。


 ほんと、あの人はちょっと目を離した隙にどこかへ行ってしまうんだから。


 彼女はやがて日本庭園が一望出来る縁側にたどり着いた。すっかり日も落ちて真っ暗な日本庭園は見事にライトアップされ、幻想的な空間を作り出していた。


「ここにいたのね、ネハ」


 エリーは息を弾ませながら庭園を眺めるネハに声をかけた。


「ごめんなさい。迷ってしまって……」

「迷わないように一緒に行動してたのに、それでも迷うってどう言うことなの?」


 ボソボソと謝るネハにエリーは半分呆れながら言った。ネハの迷子癖は普通は迷わないであろう場所でも迷ってしまい、皆を随分と困らせていた。


「さあ、みんなのところに戻りましょ」


 エリーは動こうとしたが、ネハは庭園から目をそらさなかった。エリーは彼女と同じように庭園を見てみた。見事なまでに掘られた枯山水に沿うように白い小さな明かりがいくつも置かれており、ポツポツと点滅していた。その様子はまるで人の一生の儚さを表現しているようだった。


「まだ、あの子たちのことを考えているの?」


「あの子たち」とは自分たち以外のリモデリング・プランの成功体のことだった。


「……うん。あの時、私が止めてと言っていればもしかしたら救えたかもしれない、と思うと何だか申し訳なくて……」


 俯くネハを見て、エリーはなんて繊細な子なんだろう、と思った。


「血も繋がっていない、喋ったことすらもない人にそこまで思い入れが出来るところはあなたのいいところよ。けれども、この世界にはまだまだあなたの知らない人がたくさんいるわ。その人たちのことをいちいち考えていたら、あなたの体は持たないわよ」


 エリーは軽く微笑むと、「さあ行きましょ」と言ってネハの手を握って、元来た道を戻り始めた。




「いやー、いい湯だったねえ。風呂という文化はキリスト教圏ではあまり根付いていなくて、みんなシャワーだけで済ますのが一般的なんだ。しかし、体を湯船に浸かるという行為は新陳代謝を良くする働きがあり、科学的にも評価されている。今度、うちにも風呂を作ろうかなあ」


 大浴場から上がったウィリアムはそんなうんちくを並べながら脱衣所で浴衣に着替え始めていた。今、小野たちは一連の騒動の決着を受けて、とある日本旅館に旅行に来ているのである。


「僕も温泉なんて久しぶりに入りました。やっぱりいいですね、温泉は」


 小野もリラックスした表情で体を拭いた。


「ウィリアムの言う通り、体が程よく火照っている。これはいい疲労回復になるかもしれない」


 モランも浴衣に着替えた。中国系と日本人と黒人の三人が日本旅館の脱衣所で会話しているというのは、普段異文化に触れない日本人にとっては珍しいことで、みんな小野たちのことを見ていた。


「そういえば、セイジ。あれはどうなったんだい?」


 ウィリアムは妙にニヤニヤしながら小野に聞いた。


「あれって一体なんだ?」


 小野は何のことか本当にわからず、純粋に聞き返した。


「もったいぶるなよ〜。エリーのことだよ。彼女のことが好きなんだろ?」


 そう言われて小野の心臓はドキンとした。これが熱々の風呂に入ったからではないということは十分にわかっていた。


「どうして、そんなこと……」


 しどろもどろする小野をモランとウィリアムは笑った。


「誰からも見てたらわかるって」


 モランは優しい声でそ言った。


「それで、どうなんだい?ディナーの約束は取れたのかい?」


 ウィリアムはまるで高校生のような勢いで聞いてきた。小野は背を縮めると小さな声で言った。


「特に……何も……」


 その言葉に二人は呆れた様子を見せた。


「あそこまでいい関係になっておいて何もないのか?それはないぞ、セイジ」


 モランでさえもこう言ってしまうくらいである。


「そもそも、僕は恋愛というのをそんなに経験したことがないんだ。だから、どう接すればいいかわからなくって……」


 もじもじする小野を見てウィリアムとモランは互いに目配せして何か意思疎通を諮った。


「なら、今からどのようにアプローチするべきか、実例を確認しに行こう!」


 ウィリアムはそそくさと浴衣に着替えると、小野の腕を引っ張って脱衣所から出た。


「どこに連れて行く気だ、ウィリアム」


 戸惑う小野に対してウィリアムは


「愛が生まれる場所だよ」

 と、はぐらかした。




 彼らの泊まっている旅館の屋上は満天の星が見えることで有名だった。ジョーはその屋上に一人、ベンチに座って星を眺めていた。


「お待たせ〜。ユカタっていうのを着るのに手間取っちゃって……」


 後ろからミランダの声が聞こえた。浴衣姿の彼女は相変わらず美しく、フリフリとさせる袖がまるで華麗な舞を舞う妖精の羽のようだった。


「よっ、と!」


 ミランダはジョーが何も言わずとも彼の隣に座った。


「それで、話って何?」


 ミランダはジョーの顔を覗き込みながら尋ねた。ジョーは彼女から目線をそらすように星空を見上げた。


「星、綺麗だな」

「ええ、そうね」


「あの中のどれかにムラナっていう人の星があって、俺たちのことを見てるんだよな」

「ええ、そうね」


 ミランダの優しい相槌に、ジョーは決意すると思い切って言った。


「なあ、結婚しないか」


 彼は彼女の瞳を見つめた。ミランダは最初はキョトンとした顔を浮かべてたが、しばらくすると顔を膨らませた。


「何、このプロポーズの流れ。超ダサいんですけど」


 えっ?


 彼女の思わぬ言葉にジョーはあたふたした。そんな彼を見たミランダは優しい笑みを浮かべた。


「あのとき、私たちがあの密林で出会うことは全てアダムズの計画通りだったんだよね。けどね、私はあそこで出会えたのがあなたで本当によかったと思っている。あなたのような性格の人だから、私はそれから自分らしく生きることが出来たし、頼りたい時にあなたに頼ることが出来た」


 そんな彼女の右目からは涙が頬を伝っていた。


「本当は私もあなたと一生を共にしたいわ。けど、まだわからないの」


 ジョーは彼女の意味深な言葉に戸惑った。


「それは、どういうことだ?」

「私、国外に行くときにパスポートを偽造したでしょ?それについてパナマの裁判所から出廷するように通知が来たの。下手したら懲役刑になるかもしれない。そしたら……」


「そしたら、俺は毎日お前のところに通うよ」


 ジョーは彼女の言葉を遮って強く言った。


「お前がどんなに苦労しようと、俺がお前の苦しみも背負ってやる。だからこれからの人生、一緒に過ごしてくれないか?」


 ジョーはもうひと押しするかのように彼女に言った。


「ねえ、目つぶって」


 ミランダはふとそんなことを言った。


「どうしたんだ、急に?」

「いいから、いいから」


 ミランダにそう言われて、ジョーは訳も分からず目を閉じた。その瞬間に彼の唇に柔らかい感触がした。次に鼻にミランダの甘い香りが入ってきて、彼の鼻腔を目一杯に満たす。


 思わずジョーは目を開ける。


 目の前にはミランダが目をつぶってジョーにキスしていた。彼女の頬は赤らめていて、鼻から漏れてくる息はすごく熱かった。


「これが私の答えよ」


 唇を離したミランダは笑顔を見せた。その笑顔を見た瞬間、ジョーの何かが吹っ切れ、彼は思わず彼女に抱きついた。


「ありがとう」

「でも良かった、プロポーズで。最初にあなたに呼び出された時はムラナの話だと思っていたもん」

「そんな、俺が君を置いて行くわけないじゃないか」


 ジョーはミランダにキスした。ミランダは何も抵抗せずにそっと彼の唇を受け止めた。




 ジョーとミランダの熱いキスを物陰からウィリアムとモランの三人で見ていた小野はムラムラとした感情を抱えながら一人、旅館の廊下を歩いていた。


 確かに自分がエリーのことが好きだという気持ちはわかった。しかし、だからといってあそこまで濃厚なキスが出来るだろうか?


 小野は首を横に振った。もし、万が一彼女が自分に気がなかったら?そうなれば小野がやろうとしていることは強制性交未遂になりかねない。


「あら、こんなところにいたの」


 前から声がして小野はビクッとなった。目の前にはエリーが浴衣姿で立っていた。


「どうしてこんなところに?」

「お手洗いよ。そういうあなたは?」

「僕は少し考え事を……」


 小野は引きつった笑みを浮かべた。相手を意識しただけでここまで緊張してしまうものかと彼は内心驚いていた。


「もしかして、ムラナの言ってたこと?」


 彼女の言葉に小野は引きつった笑みを引っ込めた。


 それはアムシャ・ハーでムラナとリースとの別れ際、ムラナが言ったことである。


『実は、もし地球が宇宙連合機関に加盟した暁に、地球の代表を数名、首都星のウイに招待しようと考えているいるんだ。その中に君たちの誰かを入れようと考えている。こちらとしても命の保証はするが、君たちの想像を越える出来事が目の前で起こると思う。だから無理にとは言わないが、出来れば誰か一人でもきて欲しいのだ』


 その言い方は確実に一人は来いと言っているようなものだった。


「まあね……」


 この件は真っ先に手を上げそうなウィリアムが断ったことがみんなに大きな衝撃を与えた。


『私が行きたいのは山々だが、私には大切な妻がいるからね。そうやすやすと命はかけられないよ』


 そんなことを彼は言っていた。全く、気分屋の彼の性格は最後まで変わらなかった。


「あなたは行く気?」

「う〜ん、僕はまだ考え中」


 実際、小野はあまり行く気ではなかった。今回の騒動が例外であっただけで。もとが消極的な性格のため、何事に対しても自ら進んでやる気がしないのである。


「私は行こうかなと思っているの」


 エリーのこの一言は小野の心にすごく響いた。驚いた表情で彼女を見つめる小野にエリーは続けた。


「だって、興味があるじゃない。未知の惑星、未知のテクノロジー、未知の文化。想像しただけでワクワクするでしょ」


 そう明るく言う彼女の肩が小刻みに震えていることに小野は気が付いた。おそらく小野の観察眼がなければわからなかっただろう。


 本当は彼女も行きたくないんだ。けれど、誰も行かなそうだから自分が手をあげるしかない。そう思って行こうとしているんだ。


 じゃあ、僕はどうなんだ。


 小野の心の中でスポットライトがパッとついた。スポットライトは小野自身を照らしており、周囲は真っ暗なままだ。スポットライトはまるで小野が起こすアクションに備えて待機しているかのようで、彼のこの後の行動でどんな動きでもしてくれそうだった。


「君が行くなら僕も行こう!」


 小野は勇気を振り絞って言った。


「ほら、一人でそんなところに行くのは寂しいだろう。……だから、僕も一緒について行くよ」


 彼の言葉が強がりだということをエリーは刑事の勘のようなものですぐにわかった。一人でもウイに行こうと決心していた彼女にとって小野の言葉は何にごとにも代えがたい感情に生んでいた。


「ありがとう」


 彼女は優しくそう囁いた。赤みがかかったブラウンヘアーをそっと耳の後ろになでる。その表情はどこか緩んでいるように見えた。突如として小野の心の中にあるスポットライトは照らす範囲を一気に増し、周囲は雲が晴れたかのように明るくなった。その先に小野が見たものを知る事は誰にも出来ないだろう。




 一筋の流星が二人の頭上を通り過ぎていった。その行く先に何があるのか、彼らには分からない。彼らの未来を正確に知り導いてきた者ももういない。しかし、だからこそ彼らは立ち上がり、前に進むのだ。たとえ、その先に待っているのが悲しいことであっても、明るくなると信じて。


 そしたら、未来は多少なりとも変わるかもしれない。しかし、それすらも分かる者はもういない。これからは彼ら自身の手で切り開いていくしかないのだ。

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最終章から始まる鎮魂歌 名無之権兵衛 @nanashino0313

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