第6話
六
翌日、ケープタウンロイヤルホテルで小野はテーブルに広がる六枚の紙とにらめっこしていた。
紙にはそれぞれ六人の名前、年齢、職業、そして、これまでの経歴が書かれていた。わかってはいたことだったが、神崎守の小説に書かれていた六人は年齢、国籍、性別、職業は全部違っていた。そうなると、小野たちに共通点があるとすれば資本が同じだとか共通の知り合いがいるなど、一見したらわからない情報にあるということになる。
「地道にやっていくしかないか」
小野はパソコンを開いて調べ始めた。もしかしたら共通点がないかもしれない。けれど、小野の心には自分の考えは間違っていない、という根拠のない確信があった。
「まずは大学の系列から調べていくかね」
電話からウィリアムが言う。彼のネットにも載っていない膨大な知識は、もしかしたら見えない情報を見つけてくれるかもしれない、と小野は考えて、常に通話出来る状態にしたのだ。
「僕は日本の東國大学に進んでいて、ウィリアムさんがフォックオード大学、まずはここのつながりから調べてみますか」
「この二つの大学は交換留学を行っているね。主導しているのはIASUという研究連合か」
ウィリアムが即座に答える。
「研究連合となると、最新の遺伝子操作ウイルスとかもやってそうですね」
「ああ、怪しい臭いがプンプンするな」
電話の奥でウィリアムがニヤニヤしている顔が自然と小野の頭に浮かんだ。
「モランが進学したマサチューセッツ工科大学も入っているな」
ますます怪しくなってきた。小野はIASUという連合について調べてみた。老化現象、認知科学、人口動態などなど様々な研究内容がホームページには載っていた。認知科学を研究しているとなると、催眠術に長けている人物がいてもおかしくないが、ウイルスの研究は行っていないようだ。
「研究を隠蔽しているなんてことはあるかな?」
小野はウィリアムに確認も兼ねて聞いてみる。
「そりゃ、研究の隠蔽なんて今まで大きいものから小麦みたいなものまでたくさんあるよ。ただ、極秘裏に行っている研究に関して、ホイホイとホームページに載せるほど彼らはバカではないと思うぞ」
「確かにそうか……」
こうなると調べる手立てがないな、と悩んでいると、小野はおかしなことに気がづいた。
「確かエリーって高卒だったよな」
「私がどうかした?」
隣ではムトと連絡を取っていたエリーが反応した。
「いや、エリーは高校卒業してからは大学に留学とかしてないよね」
小野は彼女とコミュニケーションを取ろうと慌てて作った質問文を彼女に投げた。
「それに書いたと思うけど、私は高校を卒業して以来、学校にはどこにも行ってないわ。何かあったの?」
「いや、なんでもない。こっちのことだ」
小野は彼女から視線を外すと、急いで電話を取った。
「ウィリアム、気づいていただろう」
電話からは彼の陽気な笑い声が聞こえてきた。
「いやぁ、君が闇雲に突っ込む感じが面白くてね。思わず隠してしまったよ」
「わかっていたなら、早く言って欲しかったなぁ」
小野はその陽気さにため息をついた。
「まあまあ、落ち着いて。犯人の手がかりを目前として焦る気持ちもわかるが、こう言う時こそ冷静に物事を判断するべきだ。まず全員の共通点を探すことから、だろ?」
もしかしてウィリアムは自分の焦る気持ちを見透かしていたのか?
「そうだね、ありがとう」
小野は気を引き締め直すと、次の手がかりを探し始めた。
それから六時間が経った。
高校、趣味、サークル、様々な共通点を探ってみたが、これといったものが見つからなかった。ここまで来ると、普通の人なら諦めるところだったが、小野は違った。彼にはここに必ずヒントがある、と言う確証があったのだ。
こうなったら、何世代も前まで遡って調べてやる。
そう思った時、小野の頭に二つの疑問が浮かんだ。
一つは小野は六歳に今の親と養子縁組で家族になっており、実際には血は繋がっていないということだった。つまり、小野は自分の本当の出生を知らないのである。もう一つ思い浮かんだ疑問は、自分の幼少期についてだ。人は大人になると、記憶があやふやであっても何かしら子供の頃は覚えているものなのだが、小野はそのころの、特に養子縁組になる前までの出来事が全く思い出せないのだ。
これは何かのヒントになるのか?
そう考えていた時、エレベーターホールからミランダとジョーがやってきた。
「ねえねえ、私たち共通点を一つ見つけたんだけど」
ミランダはとても上機嫌そうに言った。
「どんな共通点だい?」
「俺たちはそれぞれ養子縁組なんだ。しかも、同じ六歳に養子になっている。これって何か関係性でもあるのかな?」
!!
小野の頭の中で感嘆符が二つも出た。まさに今、自分が考えていたことがそれなのだ。
「それは僕も今、考えていたところだ。僕も六歳に養子縁組で今の親と家族になった。しかもそれ以前の記憶が全くないんだ」
そう言われるとミランダとジョーも首を傾げた。
「確かにないな。昔のことで忘れているだけじゃないのか?」
ジョーの質問にウィリアムが電話越しに答えた。
「確かに幼児期健忘という言葉があるね。脳の記憶を司る海馬が未発達なため、幼少期の記憶がないことだ。けど、その症状は三歳児までの話で、それ以後の例は聞いたことがない。私も六歳児までの記憶は一切ないね。不思議なことに、今日まで気づかなかったよ」
「私もないわね。しかも、私も養子よ」
エリーがウィリアムに続けて言う。小野はそれを聞いて少し驚いた顔をした。
「弟がいるから、てっきり違うのかと……」
「弟は私が養子に来た後に生まれたの。だから、遺伝的には正式な弟ではないわ」
なるほど、そうだったのか。
小野は腕組みをして考え込んだ。
みんな養子縁組で、六歳以前の記憶がない。これは何か関係があるのだろうか?記憶がないところで何か重大なことが行われていたのだろうか?
「とりあえず、モランにも確認してもらおう。養子だったのかと、六歳児以前の記憶があるかどうかを」
その時、ウィリアムが「ちょっと待ってくれ」と言って遮った。
「私は確かに六歳以前の記憶はないが、養子縁組ではないぞ。中学生の頃、DNAの授業で親と自分のDNAを照合して一致したのを覚えているから間違いない」
彼の言葉に小野は一瞬、困惑した。ここで例外が出てきたのだ。
「それでも六歳以前の記憶はないんだろ?なら、まだ可能性はあるよ」
小野はエリーの方を見た。エリーはすでにムトとの通話を切ってモランに電話していた。しばらくして電話を切ったエリーは鋭い口調で言った。
「彼も養子縁組だったわ。そして、六歳児までの記憶がないことも確かよ」
小野はそのことを聞いて心の中でガッツポーズをした。初めて自分たちの共通点を見つけたのだ。となると、残された疑問はウィリアムの養子ではないと言うことだった。
もしかしたら……。
小野は瞬時に頭を働かせた。幼少期の記憶がないということは、自分たちが幼少期の時に何か自分たちを繋げる重大な出来事が起きているかもしれない。
そうなると、それを知っているのはウィリアムの両親かもしれない!
「ウィリアム、君の両親に君の幼少期について尋ねてくれないか?もしかしたら、彼らが何か僕らに関するヒントを握っているかもしれない」
しかし、電話の奥からウィリアムの声は聞こえてこなかった。
「ウィリアム、大丈夫か?」
小野は少し不安になって尋ねる。
「ああ、大丈夫だ。少し疲労と困惑が心を乱していただけだから」
彼は一呼吸置いて言った。
「実は、私の両親についてなんだが……。父は私が高校生の頃に交通事故で亡くなっていで、母は現在危篤で会話が出来るかどうかという状態なんだ。なんとか聞いてみるけど、あまり期待はしないでくれ」
小野は彼が困惑していた理由に合点した。確かに、親を疑うということは子供にとってはかなり辛いことだ。ましてや危篤の母親にそんな事を聞くのは心が痛む事だろう。
「ああ、容態が安定している時でいいから聞いてみてくれ」
小野は次にエリーの方を向いた。
「エリー、僕らもロンドンに行かないか?ウィリアムと合流しておきたいんだ」
小野の突然の提案にエリーはドキッとしたが、すぐに納得した。
「わかったわ。ロンドン行きのチケットを取りましょう。あなたたちも来るわよね?」
エリーはミランダとジョーに目配せした。
「もちろんだ。俺たちをはめようとした奴らにたどり着けるなら、どこにだって行くよ」
ジョーは腕組みをした。
「私も行きたいわ。あっ、安心して。パスポートもビザもそっち方面の友人にとってもらうから」
ミランダも笑顔で応じた。エリーはその発言に警察官として見逃すべきなのか、と自問したが、事態が事態なので黙認することにした。
「モランにもついでに聞いてみるわ」
彼女はスマホを取り出すと、モランに電話をかけだした。
「そう言えば、君たちは小説は読み終わったのかい?」
小野はミランダとジョーに尋ねた。これから円滑な情報共有のために、二人には神崎守の小説の内容を覚えてもらう必要があり、部屋で読んでもらうことにしていた。
「ええ、もう読み終わったわ」
ミランダは英訳された神崎守の小説を小野に返した。小野が受け取った小説はなぜかくしゃくしゃで、所々濡れていた。
「シャワーで読もうと思ったんだけど、濡れちゃったのよ。ほら紙でもの読むの久しぶりで……」
ミランダが申し訳なさそうに右手を頭の後ろに置き、首をすくめた。小野はそんな彼女が魅力的に見えてしまい、思わず目をそらした。
「俺は止めるように言ったんだがな」
ジョーが不機嫌そうな声で割って入ってきた。その言葉を聞いて小野は目を細めた。
「君たち、もしかして同じ部屋に泊まっているのかい?」
彼の問いにミランダはキョトンとした様子で答えた。
「何言ってるの?当たり前じゃない。少しでも滞在費を安く抑えるためよ。あなたたちは違うの?」
聞き返された小野は少し戸惑った。フランクフルトで一度同じ部屋に泊まったが、あれは仕方のないことだったからノーカウントと数えると、今まで彼女と同じ部屋に泊まったことがなかった。
「……いや……、ないけど……」
小野は渋るように言葉を発した。それを見たミランダは何か気づいたのか、ニヤリと笑った。しばらくしてジョーもそのことに気づいたのかミランダに
「……そういうことなのか?」
と、尋ねた。
「あなたも聞いていたならわかるでしょ? 私は匂いでわかったけど、そういうことよ」
「え? 一体どういうことだ?教えてくれ!」
小野だけが二人の言っていることがわからず混乱していた。
「まあ、いいんじゃないかしら。楽しみにしてるわ」
そんな意味深なことを言いながら、ミランダとジョーは去っていった。小野だけが心の奥にあるむしゃくしゃした感情と一緒にロビーにポツンと残された。
ロンドン王立病院に着いたウィリアムは車を降りると、見舞い品の梨を持って、まっすぐ受付に向かっていった。ノーベル文学賞を受賞し、有名となった彼は病院に入ると周囲の視線がこちらに向けられていることを感じた。最初の方はかなり戸惑っていたが、今となってはそれも慣れたものだった。
受付に行くと、看護婦が彼の顔を見ただけでニコリと笑い、
「今日は面会オーケーですよ。本人も体調は良好です」
と、勝手に教えてくれた。
「ありがとう」
彼はエレベーターに乗って母、カーナのいる病室に向かった。
彼女は十年ほど前から病気にかかるようになり、医師から免疫力が低下していると指摘されていた。そして、三年前からこの病院に入院するようになり、治療を受けていた。治療といってもそもそも原因がわかっていないため根本的な治療法はなく、免疫力の低下するスピードを抑えるくらいの処置しか出来ていないのが現状である。
病室に着くと、ウィリアムは数回扉をノックしてからゆっくり開けた。中はゆったりとしたスペースが施され、医療機器が備え付けられたベッドには老婆が一人、静かに座っていた。
「あら、ビル。来てくれたのね」
カーナはウィリアムのことを一目見るとニッコリ笑ってそう言った。
「珍しいじゃない。いつもは見舞いに来る前日には連絡をよこすのに」
「たまたま近くを通りかかったんだ。急に母さんの顔が見たくなってね。堪らず来ちゃったんだよ」
長い闘病生活のせいで彼女の体は随分やせ細り、肌はシワシワになり、髪は白くなっていた。
「母さんの好きな梨を買ってきたよ。いま剥いてあげるね」
彼は近くにあった果物ナイフを手にとって梨を剥き始めた。
「それで、ビル。今日は本当は何をしに来たの?」
何か察したのか、カーナはウィリアムに優しく語りかけた。彼の鼓動は大きく鳴ったが、平静を装うために落ち着いた様相で梨を剥き続けた。
「母さんはさ、昔から私のことをよく面倒見てくれたよね。IHOの仕事も忙しいはずなのによく遊んでくれたし、私が論文で徹夜していた時には夜食を作ってくれた」
「当たり前でしょ。私はあなたの母だもの」
彼女の言葉にウィリアムは思わず胸が締め付けられるような思いをした。
「高校の頃はサンドイッチを作ってくれたし、週末には家族で近所のレストランに夕食をしにも行った」
「ええ、そうだったわね」
彼女は優しく相槌を打つだけだった。ウィリアムは溢れ出さんとする涙を懸命に抑えて彼女のことを見て核心を言った。
「あのね、母さん……。私は六歳より以前のことが思い出せないんだ。ただの幼児期健忘でないことはわかっている。私が幼い頃、一体何があったんだい?母さんなら分かるんじゃないかと思うんだ」
カーナは少し優しい笑みを浮かべて黙った後、ゆっくりとした口調でこう言った。
「あなた、そんなことに気づいたの……。そう、気づいてしまったのね……。この話は墓まで持っていくつもりだったのだけれど、そうもいかないみたいね……。いいわ、話してあげる」
ふとウィリアムは彼女の異変に気が付いた。カーナの右目に赤い血のようなものが溜まっていき、やがてゆっくりと滴ったのだ。
「母さん……」
ウィリアムが呼びかけてみるものの、カーナは何も言わなかった。ホルター心電図の脈を告げるピッという音は徐々に早くなっていた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ……。
「母さん!」
ウィリアムは柄にもなく大きな声を出した。心電図の音はどんどん早くなっていき、脈拍は百五十という、普通の人間ならあり得ない数字を出した。
ピピピピピピピピ……。
ふと、カーナが細々とした声で呟いた。
「あら、もうバレてしまったの。早かったわね」
突如、彼女はゴホゴホと咳をし、同時に吐血した。ウィリアムの頭から血の気が引き、一瞬何も考えられなくなった。
「すみません!誰か、誰かいませんか!」
ウィリアムはナースコールを押すのと同時に必死に叫んだ。すぐさま医師と数人の看護師が現れてカーナの診察を始めた。ウィリアムは何も出来ずにただただその場に立ち尽くしていた。彼には膨大な知識はあっても、そこから新たな知識を作り出すことは出来ないし、実践する身体能力はないのだ。
「ウィリアムさん、こっちに来てください!」
医師の声でウィリアムは我に帰り、カーナの元へ寄った。カーナはウィリアムが来ると必死に彼の袖を掴み口をパクパクさせた。彼はすぐに彼女が何か言おうとしていることに気づいて彼女の口元に耳を寄せた。
血なまぐさい息が流れる中、カーナはか細い声で、けれどもはっきりと言葉を発した。その直後に彼女の心臓は鼓動を停止し、ピーっという音が部屋中に響き渡った。
「蘇生施術にはいります。部外者は離れてください」
看護師に付き添われて部屋を出たウィリアムは呆然としながらも、頭の中では彼女の今際の言葉を繰り返していた。
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