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 その笑顔はまるで太陽のようにまぶしかった。そういえば、会ってから初めて彼女の笑顔を見たなと森須は思い、鼓動が一瞬速くなったのを感じた。




 夕暮れ時が一日の中で森須の一番好きな時間帯だった。太陽が沈む町には、深夜に訪れる冷たい沈黙と違って、温かい静けさに満ちている。そんな慌ただしくもゆっくりと流れるこの時間が好きだった。


 二人はタコス屋の帰り道で町の市場を通っていた。夕暮れ前の町の市場には夕飯の材料を買いに地元の人たちが集まっている。盛況する市場の風景に森須は思わず持参したカメラのシャッターを切った。和気藹々と会話する人、今夜の献立は何にしようかと考える人、珍しい食材を見つけて味見してみる人。様々な人の表情がこの一枚に収められた。


 二人は特に話すこともなく黙々と前に進んでいだ。異性とほとんど会話したことのなかった森須は何か話しかけようにもどう話しかけたらいいものか分からなかった。一方のランダは、口元に付いたトマトソースを親指の腹で拭うと、ぺろっと舐めた。よほどお腹が空いていたのか、それともタコス屋がとても気に入ったのか、彼女はタコスを二つも食べていた。


「そういえばさ……」


 ランダが口火を切った。彼女も彼に何か話しかけようと考えていたらしく、決意したかのような話しかけ方だった。


「どうやってわたしのことに気づいてくれたの?」


「俺は生まれつき耳がすごく良いんだ。何十メートル先の音、調子が良いときは数キロ先の音まで聞き分けることが出来るんだ」


 森須は得意げに右耳を指で軽く触った。


「へぇー、それでわたしの息苦しさを聞きいてやって来たんだ」


 上目遣いで言うランダに、森須は「ま、まぁな」と少し照れくさそうに相槌を打った。その様子を見たランダは何を思ったのか、嬉しそうにはにかんで見せた。その笑顔とバックに輝く朱い太陽がすごく合っていると直感した森須は、急いでカメラを構えるとシャッターを切った。


 夕焼けを背景にして微笑む一人の女性。幾多もの偶然が重ならないと出来ないであろう神秘的な一枚が出来あがった。写真を撮られたランダは予期せぬ出来事にしばらくキョトンとしていたが、ややあって、からかうような笑みを見せてきた。


「ビックリしたぁ」


 彼女は森須の肩を軽く小突いた。

 彼の頬が赤くなっていたのに気づいたのは少し経ってからだった。

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