プロローグ

題名:最終章から始まる鎮魂歌

名無之権兵衛 作

 プロローグ


「それは自分のテーブルの上にポツンと置かれていた。」


 この一行目を見た瞬間、は嫌な予感とともに背筋が凍るような悪寒を覚えた。


 まさか!


 彼は慌てて残りのページを繰った。新作の原稿を読むとき、基本的にゆっくり読む小野なのだが、それは作者の作り出した物語の世界をふんだんに味わいたいためで、別段速く読めないわけではない。


 五分ほどかけて最終章を全て読み切った小野は、次に日記を取り出して、ここ一ヶ月間の自分の行動を振り返った。そして、最終章に登場する小野世という人物が自分と全く同じ行動、思考をしていることがわかった。


 どういうことだ、これは……。


 頭はショートを起こしたかのように思考を停止していた。原稿に書かれている内容は自分がそれを手に取ってからだ。つまり、作者は原稿を書く時点で自分がどのようにして原稿を手に取り、読んでいるのかを予想していたのだ!


 小野は何か手がかりはないかともう一度読み直してみた。すると、最終章の最後に奇妙な言葉を見つけた。


「ハクシヲミテゴラン」


 それはサインペンを使って最終章の本文から一行空けてカタカナで書かれていた。


 ハクシ? まさか白紙のことか?


 ハクシという名詞は他にもいくつかあるが、「ミル(おそらく見る)」という動詞と結びつきそうなのは白い紙の白紙だけだったから。


 小野はすぐに第五章のページを開いた。ランダと森須の二人が市場で会話するシーンの間に白紙が一枚挟んであった。小野は最初これを印刷ミスだろうと思って気にしなかったのだが、どうやらこの白紙にヒントがあるらしい。


 しかし、読んで字のごとく白紙に何も書かれていない。そこで小野はあらゆる角度からその白紙を眺めてみた。すると光に反射して何か書かれているかのように見えた。


 これは、文字が浮き出るトリックか?


 小野は以前見た科学番組を思い出した。それは、油で文字を書いて渇かすと見えなくなるが、水につけると見えるようになるというものだった。彼は急いでトイレに行き、手洗い場の水で紙を濡らしてみると、文字が浮かび上がり、一枚まるまる使うほどの文章が書かれていた。


「小野政治さん。


 まずは初めましてと言っておこうか。神崎守です。


 いまこれを読んでいるあなたの心情は、目の前で何が起こっているかさっぱり理解出来ず、焦りと不安に駆られている状態だろう。でも安心なさい。これからさらにあなたの心と思考を掻き乱してあげよう」


 小野は神崎に対する考え方が興味から恐怖へと変わった。なぜなら、彼は今の自分の心情をぴたりと言い当てたのである。ここにいるわけでもなく、ましてや過去にそのことを言い当てたのだ。


「まず手始めに手品を見せてあげようか。君はいま新談館の八階のトイレにいるはずだが、そこのデジタル時計を見てごらん。午後二時十一分二十二秒を指しているはずだよ」


 小野はそこまで読んでぱっとトイレにあるデジタル時計に目をやった。時刻は午後二時十一分二十二秒に入ったところだった。


 マジかよ……。


 小野は恐怖と緊張が入り交じった精神状態に入っていた。ここから何がどう転ぼうと、波乱しか待っていないのは自明であった。


「さて、時計を見て恐怖と緊張感で入り交じった君はポツリとこう思ったはずだ。『私はいったい何者なのか』、と。同時に君は私の正体を推測し始めていることだろう。君は優秀な人間だからね。自分の名前を知っていることから知り合いを連想するだろう。その中から自分のことをしゃべりそうな人を絞り込もうとする。その時点で人付き合いが得意でない君は自分の知人にそのような人物はいないことに気付くはずだ」


 まったくその通りだよ! 僕は人付き合いが得意じゃないんだ。


 自分の考えを次々に言い当てる神崎に、小野はいらだちしか覚えなかった。


「次に君は私の正体を直接突き止めようとするはずだ。どこかで自分のことを知った誰かが送ってきたのかもしれないと推測してね。前書きに書かれている情報から私が栃木県在住の五十代、自営業の男性。しかし油インクでプリントが出来るなど印刷業関連だと予想することだろう。あとはインターネットでその条件を入力すれば私の正体にたどり着けると考えるだろう。


 素晴らしい、さすがだよ。


 常人ならこうも短時間にここまでたどり着くことは出来ないはずだ。しかし、君の頭の中ではまだ解決していないことが多いはずだ。なぜ私がこうも君の行動・思考を予測しジャストで言い当てるのか。こればかりは君が今まで吸収してきた知識では解けないだろうね。


 ああ、もちろんこれは科学法則を無視したことではないよ。せっかくここまで引っ張っておいて超能力でしたなんて君も興ざめだろう?」


 超能力で説明出来ないんだったら一体どうやったって言うんだ。


 小野は紙を握る力を強めた。ちょうどトイレに入って来た男は彼の姿を見てただならぬ気配を察したのか、すぐに引き返していく。


「そうだな。一つ特大のヒントを与えよう。私が君から与えるヒントはこれが最初で最後だ。あとは自分たちの力でなんとかするんだな。


 私はいま池袋プリンスホテルにいる。まだしばらくそこを動かないつもりだから会いたければぜひ来るがいい。部屋番号は301だ。


 君たちが私のもとにたどり着いてくれることを楽しみにしているよ」


 神崎からのメッセージはそれで終わっていた。


 小野に迷いなどなかった。


 彼はすぐさま自分のデスクに戻ると必要最低限のものだけ鞄に詰め込み、編集室を飛び出した。編集室を出たところで先輩の竹ノ内にぶつかりそうになった。しかし、小野は彼を何とかかわすと、廊下を全速力で走り出した。


「すいません、急な用事が出来たので早退します」


 小野は大声で竹ノ内に言った。走りながら大声を出したので息苦しくなったが、構わず走り続けた。


「なんやなんや。えらく生き生きしとるやないか。好きなおなごでも出来たんか? じぶん」


 廊下を全力疾走をする小野を見て、竹ノ内はぽかんとした表情をした。

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