第6話「揺れる想い」

「えっとですね、単刀直入にお聞きしますが、来月の二十八日って空いてますか?」

 小森の質問を受け、スマートフォンのケースに挟んでいた九月の勤務表を開く。


「二十八日……一応、休みになってるね」

「おっ、ホントですか! その日に、"内閣総理大臣杯"っていう三人一組の団体戦があるんですが、メンバーがあと一人決まってなくて。もしよかったら一緒にどうですか?」

 小森の誘いに、私は思わず半笑いを浮かべた。


 小森準之助。私の四学年下で、今年アラサーの仲間入りを果たした青年と初めて出会ったのは、三年前の囲碁の団体戦だった。

 団体戦といっても今誘われている内閣総理大臣杯ではなく、一チーム五人の違う大会だ。互いに主将で出場しており、最終局で当たり、私は中押し負けを喫した。

 その時はそれきりだったが、数ヶ月後に行きつけの碁会所で偶然にも再会した。彼はそこで、囲碁インストラクターとしてアルバイトをしていたのである。以来、小森とはたまに囲碁を通じて交流するようになった。ここ最近、しかし私が囲碁に飽きて碁会所に足を運んでいなかったため、小森とも疎遠になりかけていた。およそ一年ぶりに声を聞いた。


「悪いけど、遠慮しておくよ。もう全然打ってなくて、戦力になれないと思うから。他の人誘ってください」


 私は、想いとは裏腹な返事をした。

 本当は、久しぶりに囲碁を打ちたかった。


 大会という緊張感あふれる環境での一局は、自分にとって特別なものだった。さらに私は、小森のことをひとりの人間として好ましく思っており、尊敬もしている。

 それでもここで易々いいとして応じてしまっては、ただでさえ愚かで敗北感にまみれた泥沼のようなこの日々から、もう二度と這い上がれないような気がした。這い上がらんとする意思をそもそも抱いているのかどうか定かではないものの、私の中の塵芥じんかいのごとき矜持きょうじが作用し、足止めしたのである。


「そんなぁ、悦弥さんなら大丈夫ですよ! 僕もあんまり実戦は打ててないので、お互い様です。どうでしょう?」

「えっと……その……」

 小森のあまりに熱心な懇願に、私は言葉に詰まってしまった。どう返すのが互いにとって不幸にならずに済むか、数秒の間に懸命に思いめぐらす。


 小森は、浅井の恋人だ。

 いつからそういう仲になったか正確なところはわからないが、二年ほど前に囲碁つながりの知人数名と飲んだ時に、彼本人の口から偶然聞かされた。浅井と同じく小森も酒が飲めず、カルピスソーダがどっぷりと入ったジョッキを片手に爽やかな微笑をたたえていた。

 浅井とは、大学時代に囲碁部で三年近く活動を共にしてきた。私にとって、浅井は数少ない女友達だった。私に似て言葉数が少なく、出会った当初は感情をあまりおもてに出さない傾向にあった。


 当時私は二年生で、囲碁部の部長を務めていた。

 囲碁部は部員数が少ない上に活動日も定まっておらず、部室に顔を出しても誰もいないか、もしくは囲碁のルールも知らないのになぜか所属しており、プレイステーションのゲームをしに来る煩わしい三年生数名がいるかのどちらかであることが多かった。

 浅井は、その年ふたりしかいなかった新入部員のうちのひとりだったので、出会いのえんを大切にしていきたいという気持ちを、怠惰で無気力に近かった当時でさえも抱いていた。年に二回の団体戦やたまの部室での対局などを通じて、私は浅井との関わりを深めていった。囲碁部での関わりを通じて、浅井の表情が徐々に豊かになっていく様を感じた。


「誰でもいいわけじゃないんです。僕、悦弥さんと初めて打った時に感じました。この人と同じチームで、隣に座って大会に出たいって!」

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