第34話「汚い声音」
「いやぁね? ここの死活がどーのこーのというより、そもそも序盤の構想が良くないんですよぉ。このへんさ? 厚み作ったつもりかもしれないですけどね、あちこち薄いし足も遅い。稼がれただけ損なんですよ。この時点で、ボクだったらやる気なくしちゃいますねぇ」
堂々たるというより自信過剰、もしくは
「そうですねぇ、力の差が顕著でしたねぇ。ここのワカレを甘いと感じられないようではちょっとぉ。終始、黒に良いトコない一局でしたねぇ、残念!」
勝利したらしく、上村はヒーローインタビューに応じるがごとき口調でとくとくと語っている。
対局に勝った後のコメントや感想戦における振る舞いについては、私にとって囲碁を始めた当初から悩みの種のひとつであった。
悩みと言うのは大げさだが、これまでに何十、何百と対面での対局を重ねても確固たる答えは見つからず、どうしたものかと思案するのだからそれなりの課題であろう。あからさまに喜ぶのも、反対にいかにも喜びを押し殺したような不愛想な顔をつくるのも今ひとつだと思う。恐らく、これという正解のリアクションは存在せず、目前の相手の表情や仕草などを観察した上でその都度感覚的に判断しなければならないデリケイトな問題だ。仮病を使って職場に迷惑をかけたり、そのために家族に嘘をついたりすることには少しの罪悪感も覚えない鈍感さを備えていながら、私はこういうところでひと一倍慎重になる質だった。
斜め前から聞こえてくる
上村の汚らわしい声音に思わず眉をひそめると同時に、忘れかけていた身体の怠さが再発してきたような気がした。持ち時間は十分に残っており、むしろ青年のほうが残り五分ほどで余裕がない状況ゆえ、焦る必要はない。青年の必死のヨセで地合いの差はいくらか接近してきたものの、軽く目算したところではせいぜい盤面勝負、つまり六目半のコミがかりで逃げ切れる可能性が濃厚だった。
もう少し、あと少し。上村の嫌らしい声は未だ止まず、その不快感から頭痛をも催してきた。
「ありがとうございました!」
隣から、先ほどとは打って変わって気持ちのよい声がした。小森が終局し、勝ちを手にしたところだった。
彼も、どちらかといえば局後に自発的にコメントするタイプだが、勝っても負けても上村のような不遜な態度をとる様子は見たことがない。少し遅れて浅堀も対局を終えたらしく、じゃらじゃらと石を片付けている。彼の勝敗は、この席からでは判断しがたい。
私の対局も、まもなく終了しようとしていた。
残すは
青年の残り時間は、すでに一分を切った。それにも関わらず、彼は半コウ争いを引くどころか、何としても勝って一目得せんとばかりに、必死の形相で盤面を見回している。時折時計を確認してはいるものの、妥協するつもりは少しもないようだ。
私は、コウ立てをやめて手を渡した。
残り時間は四分ほどあり、ゆっくりコウ材を探しながら打っても間に合う。しかし、半目を争う形勢でないことはわかっており、これ以上続けてもいたずらに体力を消耗するだけだ。
「終局ですかね」
青年が半コウをつないだところで、終局の確認をとる。
「終局ですね。時計いいですか?」
「はい。止めますね」
そう言って、対局時計の"中断"ボタンを押した。青年の残り時間は十八秒。あのままコウを続けていたらどうなっていただろうか。
残すはダメ詰め。終局確認をした後、黒と白どちらから打っても一目にもならない箇所(ダメ)を交互に打ち合い、全て詰め終えたところで整地に移る。
ようやく終わった。安堵とともに、早くロキソニンを服用して頭痛を和らげたいと感じる。小森や浅堀、またほかに数名の選手たちが、こちらの盤面に注目している。
「えっ?」
ダメ詰めの途中、青年がゆくりなく呟く。視線は盤面に注がれている。
「へっ?」
私もつられて反応し、間の抜けた声を出す。
対局を取り囲む観戦者の口元がほんの少し揺れた気がした。
「あっ……」
思わず、左手に握っていた扇子を床に落とした。
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