第33話「もう少し あと少し」
青年の初手は、
三々という着手は、これまで限定的な使われ方をしてきた側面がある。
しかし、数年前からのAI(人工知能)の台頭により、三々という手の価値や考え方そのものが抜本的に見直された。特に、星へのいきなりの三々入り(通称"ダイレクト三々")は、昨今では星へのアプローチとして最も一般的であると言えるほどの地位を確立し、それに伴って空き隅の着手としての三々も再評価され、一時期と比べて多く目にするようになった。
ひとつ深呼吸をして、私は二手目、天元の斜め上の地点に打った。
「おぉ……なかなか……」
青年が、感嘆と呆然を混在させたような呟きをする。目指すのは、対小森戦で見せた一本棒の布石だ。
続く三手目。黒は左下隅の、やはり三々。白は、先の地点からオオゲイマ。
互いに我が道を行き、十手目を打ったところで私の布陣が完成した。
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四隅すべて三々に打たれた経験は何度かあるものの、かなり珍しい部類であることは間違いない。
最も隅を確保しやすい三々を最初に占め、弱い石を作らないよう留意しながら地道に実利を増やしていけば中央の布陣はさほど働かないというのが、黒の意図するところだろう。
同じ布石や同じ盤面を前にして考え方や方針がまるで同一ということは有り得ず、打ち手によって大なり小なり違いが生じるもので、そこが囲碁の面白さのひとつである。だから、私の推測と彼の意図が完全に一致しているわけはなかろうが、長年このオリジナル布石を愛用してきた経験に基づく推測はあながち的はずれではないはずだ。
右下隅へのカカリから、辺を中心に足場を固めていく方針で打ち進める。私の碁は辺に重きを置いている側面があり、辺に地を作るか打ち込ませて攻める展開にするかは相手の応手次第で決まってくる。
一回戦の子どもと異なり、青年は序盤からじっくりと時間を使ってくる。
終盤に残り時間が少なくてもミスをせず打ち切る自信があるのかどうかはわからないが、私の碁は往々にして定石にない未知の形が出現するため、一手一手に慎重を期さねばという感情が生じるのも頷ける。
同じ布石を数多くこなしていれば、相手にとっては未知でも自分にとっては見慣れた形というケースもあり、時間の消費を抑えられる利点もある。私は、だからそれなりに丁寧に思考を働かせても、青年よりも五分以上持ち時間を余らせて打つことができた。
黒が長考に入ったので、右方向に視線を向ける。
隣に座る小森の打ち方は、白番でも変わらない。五の五から複雑な形に引きずり込み、局面の主導権を握りつつあるように見えた。相手は五十代ぐらいの男性で、
その隣の浅堀の盤面は、私の席からでは完全に把握するのは難しい。しかし、彼は私や小森のような物珍しい打ち方はしない正統派な棋風なので、序盤から大きく崩れることは少なそうだ。対局時計は私の席からでも見える位置に置かれており、浅堀のほうが八分ほど多く残っていた。彼の相手は隣の男性よりも少し若そうな中年男性で、見た目にはさほど強くなさそうだと感じる。囲碁を打つのに器量は関係ないが、いかにも自信なさげな
長考の末に打ってきた手は、予想していたいくつかの候補手のうちのひとつだった。数手先の読みを確認し、素早く応手した。左手に持った扇子を右手で僅かに開いたり閉じたりしながら、次なる着手を待つ。
本局は序盤で相手側に無理気味な手があり、早い段階で優勢を確立することができた。中盤に入っても形勢は動かず、このまま無難に終局へと進めば、大差ではないとしても白が残るだろうと容易に判断できる。
青年の表情は一定で、視線は最初から一貫して盤面もしくは対局相手である私へと注がれていた。投了するつもりがないことは彼の顔つきから
もう少し、あと少し。ZARDの名曲が脳内で流れ始めた。
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