第42話「時計が映す人柄」

 初手、右上隅星。

 二回戦では三々に打たれたが、やはり空き隅の着点でアマチュアに最も人気があるのは星のようだ。


 対する二手目、私はノータイムで天元の一路横に着手した。むろん、今回も事前に布石は決めている。

 男はややいぶかしげな表情を作ったが、すぐに平静を取り戻して三手目。右下隅の、やはり星。対局時計を押す際の音が大きく、やや耳障りに感じる。

 互いに五手打ち合い、盤面には私の予定どおりの布陣が完成した。

 https://24621.mitemin.net/i427272/


 対小森戦、および二回戦で使った布陣に似ているが、あちらはスタートが天元の斜め横であったため、全体に一路ずれている。いずれにしても、碁の基本原則に真っ向から反発した珍無類な打ち方であることには変わりない。

※参考:二回戦の白の布陣(対小森戦も白の配置は同様)

 https://24621.mitemin.net/i423447/


 一路ずれることで戦術としてどのような差異があるかと問われても、まるでわからない。なぜなら、理屈ではなく感覚で打っているからだ。

 この五つの石が織り成すフォーメーションならきっとなんとかなる、あるいは力をくれるだろうという希望的観測に突き動かされて、毎局石たちを持ち場へと運んでいる。周囲の意表を突く常識破りな作戦に根拠なき期待を宿し、自らの個性を発揮せんとして私は碁を愉しんできた。


 本局の相手はここまで二連勝しており、そう簡単に主導権は掴ませてもらえないだろう。しかし白番なので、細かいヨセ勝負に持ち込めればコミに物を言わせることができる。

 白の十手目に対し、黒は五手目の石からコゲイマジマリ。堅実だ。

 十一手目の(白から見て)右下隅の星への三々入りから、局面は動き出そうとしている。


 それなりのスピードで打っているが、男の着手は私よりも早い。

 奇怪きかいな布石を目前にしても自らの実力を疑わず、確固たる自信を抱いているように感じられた。手数が進んでも、対局時計を押す際の大げさな音は変わらない。

 男が珍しく長考に入ったため、私は小森たちの方へと視線を移す。例によって浅堀の盤面は見えないが、いくらか覗ける表情は普段と大差ないように思えた。

 隣に座る小森は、険しい顔つきをしていた。

 盤面を見ると、左下隅の黒の大石が取られている。粗忽そこつなのか白に上手くやられたのかわからないが、この隅だけで四十目以上の損失だ。彼の着手から察するに、まだはっきり生きていない中央の白一団に照準を合わせて大逆転を狙っているのだろうが、そう簡単に死ぬような石ではない。形勢は絶望的だ。


 小森の盤面に意識が向いていた私の耳に、ガシャッという威圧的な音が飛び込んできた。私の対局相手が着手したのかと思ったが、まだ思考中だった。

 ということはと思った矢先、先ほどと同種の音を今度は視覚とともにとらえた。小森の相手は主将より少し若いぐらいの男で、彼もまた必要以上に対局時計を強く叩く種族であった。浅堀の対局にも再度目を向けると、案の定、三将の男もまた然りだ。


 碁石の打ち方に個人差があるように、対局時計の押し方にもまた、打ち手により差が出るところだ。

 慎重な手つきでぐっと押す人、着手してから流れるように高速で押す人、なぜか頻繁に二、三度連打する人、親の敵討ちのごとく力を込めて打つ人など、思い浮かべてみるとヴァラエティーに富んでいる。

 時計の押し方に決まったルールなどないが、マナーとしてどうすることが適切か常識的な範疇でわからないものだろうか、常識外の振る舞いにより対局相手がどういう感情を抱くかということを、我々以上の高学歴(推定)にも関わらず想像できないのだろうかと失望した。


 副将の男は、横の二人よりもヴォリウムが大きい。

 恐らく、自分のほうが優勢になるとそれまでよりも強く叩くようになる、時折見かけるパターンだ。威嚇なのか投了の催促なのか知らないが、やられた側としては不快以外の感情が芽生えない愚行である。投了の催促ならば盤上においてすべきであり、盤外における小細工を弄さねば精神衛生を保てないのであれば今すぐ碁をやめたほうが良い。


「負けました」

 開始から約三十分、万策尽きた小森が投了した。

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