第24話「心地よい冗句」

「おはようございます」

 壁にもたれてスマートフォンをいじっている浅堀に、マスクをあごまで下ろしてから声をかけた。

「あ、おはようございます。お久しぶりです」

 ほんの少しのを置いて、浅堀が一揖いちゆうする。

 彼は少しばかり強面こわもてで、加えて百八十センチ近い長身ということもあり、一見して小森のような明朗な印象を受けないのだが、こちらの存在に気付きさえすればいつも丁寧な挨拶をしてくる。先ほどのためらいは杞憂きゆうだったなと安堵した。


「今日はよろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします。風邪ですか?」

「ええ。ちょっと怠い感じですけど、熱はそんなないので大丈夫です」

「そうですか。まあ、あまり無理しないで」

「ありがとうございます」


 浅堀は私と同い年で、大学卒業後から自衛隊で働き続けている。

 自衛隊と言えども事務職なので、直接戦線に駆り出されるようなことはないとのことだ。休日もほとんど土日祝日で安定しているため、こうした大会やイベントにはよく出場している。


「JKはまだですかねぇ」

「そろそろ来るころだと思いますけど」

 九時三十五分。集合は九時半ごろとしていたので、多少のビハインドは許容されるところだろう。

「最近はどうですか? 囲碁のほうは」

 ただ並んで待っているのも不自然な気がして、珍しく私から雑談を展開した。

「ぼちぼちですかねぇ。土日にラフォーレ行ける時は行って、少し打つぐらいです」

「忙しいと、なかなか打つ気力もないですよね」

「そうっすねー。池原さんはどうです?」

「ここ一年ほどほとんど打ってなかったんですけど、少し前に数年ぶりに小森くんと打って、また打ってみたくなった感じです」

「あぁ、JKから聞きましたよ。悔しがってました」

 浅堀が、白い歯をこぼして笑う。

 この前も思ったことだが、一年もまともに囲碁にふれていなかった男に敗れてさぞ悔しかっただろうに、へそを曲げずに爽やかな表情を保っていた小森はやはり器の大きい男であると改めて感じる。


「遅くなりました~」

 九時四十二分。小森が駆け足でやって来た。

「おはよう」

「おっす。遅いぞー」

 私と浅堀が、それぞれ簡潔な挨拶を述べる。

「すいません! 小田急が遅れてて、新宿からダッシュで乗り換えました!」

「ホントかぁ? 寝坊したんじゃねぇのー?」

「違いますよ。ちゃんと目覚まし時計三個、五分間隔でセットしてますから! 電車です。小田急のせいです」

 浅堀の冗談めいた問いかけに、小森が半笑いで返答する。このふたりは私よりも付き合いが長く、また小森が年下ということもあり、こういうやり取りは以前から時折見かけたものだった。


「えっと、一人四千円ですね」

 小森が、ショルダーバッグから財布と参加ハガキを取り出す。大会の参加費は一チームにつき一万二千円。

「はいよ」

「よろしく」

 それぞれ財布から野口英世を四名取り出し、小森に手渡す。

「ありがとうございます。そういえば悦弥さん、風邪ですか?」

「うん。まあ、たいしたことないから大丈夫だよ」

「そうですかー。僕もあんま調子よくないんですよ、口内炎で」

「お前、それ調子悪いうちに入らないから」

「あっ、やっぱり?」


 なんの面白味もない私の返答が、彼らのささやかなボケとツッコミを引き出す契機となったことに、ほんのわずかな満足感を覚えた。


「じゃあ、受付してきます」

 参加ハガキと十二人の野口英世を携え、小森が参加受付の列へと向かった。

 


 

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