第25話「天真流露」

「OKです。 行きましょー!」

 小森が、受付を済ませて戻ってきた。

 日本棋院は地下一階から八階まであるが、こうした大会は二階もしくは三階で行われることが多い。今回もいつもどおり、二階の大ホールでの開催だ。


 二階に上がると、室内は先ほど以上の賑わいを呈していた。二百四十名ほどの参加者と十数名のスタッフだけでなく、選手の応援に来たのであろう人々も含めて、そこかしこで楽しげな雰囲気を醸し出して歓談している。やはり若者が多く、中には以前別の大会などで見かけたことのある顔もちらほらとあったが、むろん声をかけたりはしない。


 今大会は、オール互先たがいせん(ハンディなしの手合い)の"無差別戦"と、一段級差につき一子いっしのハンディがある"クラス別戦"とに分かれており、私たちはクラス別戦にエントリーしている。無差別戦のほうはほとんどの選手が高段者で、くだんの"元院"も当然のごとく参戦している。

 行きしなにセブンイレブンで見かけた関口も元院だ。彼はその中でもトップクラスで、プロと比べてもそれほど遜色ない実力者だというから驚きである。そういう次元の異なる選手が他にも何人か出場しているはずで、ただの趣味として囲碁にふれている我々では勝ち目はないに等しい。

 クラス別戦のほうの棋力は自己申告なので、確実に互角の勝負ができるとは限らないが、無差別戦のように手合い違いの相手と当たる可能性は大分少なく、実力の出し甲斐があると言える。


 ホワイトボードに掲示されたチームの一覧表を眺め、私たちは自身のチーム名を探す。クラス別戦は棋力によってA~Dクラスまで分類されるが、六段二名に四段一名の我々はAクラスにいるだろう(ちなみにクラス別戦の最高段位は六段である)。


「おっ、あった。天真流露てんしんりゅうろ

 浅堀が、一覧表に記された名前を見つけて呟く。


 天真流露。それが私たちのチーム名だ。

 先日小森と対局した後、チーム名としてなにか良いネーミングはないかと尋ねられ、ふと思い浮かんだのがこの四字熟語だった。スマートフォンの予測変換に出てこなかったことを考えると、かなり珍しい部類の言葉と言える。

 同日、仮病を行使してルノアールで寛いだ後、場所を移動して中野のベローチェで読書タイムを満喫していた。その時読んでいた田山花袋たやまかたいの『蒲団ふとん』――二十世紀初頭の、自然主義文学を代表する作品――に登場した四字熟語で、それが妙に印象に残っていた。生まれつきの素直な心そのままに、自然のままの姿が現れ出ていること、というニュアンスが我々にふさわしいかどうかはさておき、言葉の響きと文字の並びに引き寄せられた。


「おぉ、初戦はほん道場か……」

 小森が、一回戦の相手チームの名前を見ながら掻頭そうとうする。

「洪道場……聞いたことあるような」

洪清泉ほんせいせんさんっていう、関西棋院所属の棋士がやっている道場ですね。プロ志望の人はもちろん、アマチュアでもトップクラスを目指す人のための厳しい教室らしいですよ」

「なるほど」

「ここ数年大活躍している藤沢里菜ふじさわりな女流本因坊が、確か洪道場出身でしたね」

「へぇー、そうなのかぁ」

 インストラクターとしてあちこちで囲碁を教えているだけあり、さすがに詳しいものだなと感心した。

「子どもだよね、小学生ぐらいの。俺、去年も当たったけどボロ負けだったわ」

「そっかぁ。浅堀さん前話してましたよね。強かったって」

「今度はちったぁ粘りたいとこだけど、自信ないな」

 浅堀が苦い笑いを浮かべ、つられて私もマスク越しに半笑いを作った。

「まあ、打ってみないとわからないですよ。四戦あるので、一局でも多く勝てるように頑張りましょう!」

 小森の清新せいしん鼓舞激励こぶげきれいを受け、浅堀と私の表情はナチュラルな笑みへとシフトした。



「池原くん……?」

 

 整い始めた心身に水を差すように、背後から聞き慣れない声音こわねが耳に響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る