第26話「望まぬ再会」

 振り返ると、そこにいたのは私と同年代と思われる男だった。


 同程度の背丈ながら(百七十センチ前後)細身の私とは反対に、あごや腹回りの贅肉が締まりなくたるみ、度の強さがレンズの厚みにくっきりと表れた柚葉ゆずは色のセルフレームメガネと相まって、私以上にいかにも異性から好まれないであろう見目をしている。


「久しぶりだね。上村祐也かみむらゆうやです」

 マスク越しに怪訝けげんな顔を浮かべている私を意に介さず、男は名乗り出した。

 上村祐也。その名前を、即座に脳内で反芻はんすうする。


「あの……ちょっと存じ上げないのですが」

 いぶかしげな顔をしている小森と浅堀の気持ちを代弁するように、マスク越しにあざけるような笑いを返しながら答えた。


「そういう冗談、キミが言っても少しも面白くないよ。忘れるわけないよね?」

 男が、私と同種の笑いを返す。

「知り合いですか?」

 小森が、私のほうを向いて尋ねる。

「小学五年生のとき、同じクラスだった奴だよ」

「あっ、そうなんですか」

 

 上村の言うとおり、忘れているはずはなかった。

 西暦二千一年。あの一年間で、私の人生は崩壊した。


「懐かしいね。小学生以来かな」

 かつてよく見せていた、嫌味たらしい笑みを浮かべて言った。

「どうして私だと……?」

 上村とは、小学五年の十二月に会ったのが最後。あれから二十年近く経ち、大人になった私に果たして気付くのだろうか。そもそも、彼はなぜこんな場所にいるのだろうか。


「もっともな疑問だね。数年前、暇つぶしに小学生の時のクラスメイトをFacebookで検索していたことがあってね。それでたまたま見つけたんだよ。ご丁寧に顔写真も載っていたから、こうして気付けたってわけ」

 上村の説明を聞き、私は軽く舌打ちした。

 確かに、Facebookには登録していた。友達登録している人はごく少数で閲覧もほとんどせず、なんのためにアカウントを所持しているのか疑問に感じることもあるが、退会するのも面倒なのでそのままにしていた。写真は確か、三年前に光蟲と熱海旅行をした際に撮ったものだったか。


「上智大学卒業かぁ、さすがだね。キミは、子どものころから勉強がよくできたからね」

 上智大学卒業は、私の人生の中で他人に誇れる数少ない事実だ。

 より高いレベルの大学を出ている人からすればそんなものは誇りでもなんでもないが、とある統計によると早慶上智出身者は日本国内では上位四パーセントに該当するらしく、その数値は私に大いなる矜持をもたらす。

 数値。先ほどエクセルシオールカフェで検温していた時は厄介なものだと感じたが、一方で私は、その数値という概念により自我を保っている側面が強かった。


「そっちは?」

「ボクは東洋大学だよ。早稲田に行きたかったんだけど、残念ながら合格できなくてね。やっぱり、テストの点数では池原くんには敵わないみたいだ」

 案の定、私よりも数段偏差値の低い大学にしか入れなかったことを知り、内心でほくそ笑む。

「あっそ。それで、こんなところにわざわざ何の用だよ?」

 そう言いながら、スマートフォンで時間を確認する。九時五十三分。あと少しで開会式が始まるのに、私はなぜにこんなところでつっ立って無駄話をしているのだろう。さっさと排尿を済ませなければ安心して一回戦に臨めない。


「ひどいなぁ。ボクもこの大会にエントリーしてるんだよ。キミと同じAクラスの主将で」

「えっ?」

 上村の予想だにしない返答に、思わず目を見開いてしまった。

「ボクも囲碁をやっていてね。大学二年の時に始めて、関東リーグにも何度か参加していたんだ」

 関東リーグは正式名称を関東学生囲碁団体戦と言い、春季と秋季に年二回開催される。その会場にまさか上村もいたなど、私は夢にも思わなかった。


「上智と東洋はほとんどクラスが被ってなくて部屋も別だったから、お互い気付かないのも無理はないよね」

「東洋大……確か、三年の春に四部リーグで当たったような」

「うん、知ってる。そのときはボク、都合がつかなくて出てなかったんだ。だから、キミが囲碁をやっていることも当時は知らなかった。でもこの前、珍しくFacebookに投稿してたでしょ? 今日の団体戦に出ます、って。だから、今日会えるんじゃないかなと思って探してたんだ」


 そういえば三日ほど前、三鷹の鳥貴族で一人飲みをしていた際、珍しくFacebookを開いてそんなことを呟いたような気もする。

 その日は十七時上がりの日勤だったが、予期せぬアクシデントにより事故報告書の作成を押し付けられて一時間ほどの残業を余儀なくされ、その憂さ晴らしに飲みに行ったのだった。自らのミスによる報告書であれば文句も言わないが、別の職員のミスにも関わらず、その当人が派遣社員であり残業をさせられないがために私が居残りするというのは、ありきたりな正社員の宿命とはいえ難色を示したくなる災難だ。メガハイボール三杯とレモンサワー二杯で気持ちよく酔い、機嫌を回復して何気なく呟いたのがその内容だった。


「まったく、嫌なもんだな」

 定期的に仕事を放棄している私が言えたことではないが、友達登録をしているわけでもない私のページを定期的にチェックしている上村はどれだけ暇な男なのかと、マスクの裏で苦い笑いを浮かべる。


「おっと、そろそろ開会式だね。僕のいるチームは"バカルディ・ゴールドの夜明け"。もし当たった時は、お手柔らかによろしく」

 贅肉に富んだ丸い顔をにやりと浮かべ、上村は自らのチームの席へと駆けていった。



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