第13話「私らしい闘い方」

 七十八手目のツケから、新たに戦いの火蓋ひぶたを切った。

 左下の愚形ぐけいとなった黒四目は場合によっては捨ててくるかと思ったが、捨てては地合いが苦しいという判断をしたのか、真正面から助けてきた。攻める立場となり、あわよくばここで決めてやろうと思い、厳しい手の連続で黒に圧力をかける。

 しかし、いささか急ぎ過ぎた。

 自身の薄みを看過しての攻撃は命取りになると重々承知していたが、いったん攻めの方向に傾いたベクトルはそう簡単には修正できない。百三手目の逃げ出しから百五手目のノビキリ、そして百九手目で黒に綺麗に突き抜かれ、戦況は一変した。

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 小森は対局中にあまり表情を変えないほうだが、心なしか先ほどまでと比べて、その眼光は鋭さを取り戻しているように見える。しかし、私もこの程度ではくじけない。予定どおりではないものの、まだ左下の黒一団を狙えると考えていた。

 百二十四手目のツギがその表れだ。そこから必死のコウ争いを繰り広げたが、百六十三手目のカカエを打たれ、はっと我に返った。

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 生きている。黒はいつでもここに手を入れれば生きることができたのである。下辺のコウ争いは黒にとってリスクのない、花見のごときやり取りだったということか。壮大な思い違いに気付き、私は苦い笑いを浮かべた。

 激しい攻めの果てに得たものはなにひとつない。大幅に地を損し、さらに中央に眼形がんけいのない白一団を生み出しただけの、まさに大失敗という有り様だった。まだ負けになったわけではないにしろ、形勢は混沌を極めており、弱い石のない黒の側に楽しみが多いことは間違いない局面である。


 私は、でも動じてはいなかった。少しの動揺もなく綽然しゃくぜんとしていたと言えば嘘になるが、このぐらいの失敗は私の実力を考えれば予想の範疇だ。むしろ、ここまで上手く行き過ぎていたのだ。

 

 大学二年の時ならば、もう心折れていただろう。

 当時から今に至るまで、おそらく自分は人間的にはほとんど成長していないだろう。嫌なことから逃避し、傷付くことを恐れて穏便に、起伏に乏しい生活を積み上げている。

 それでも、盤上においてはあのころのままではない。囲碁を打つ上での私の心は、もうかつてのように繊弱せんじゃくではないと胸を張って言える。眩惑げんわくの一手でも瞞着まんちゃくの一手でもなんでも駆使して、勝利への可能性がゼロになるまで足掻あがき通す。恰好悪くても構わない。それこそが、泥臭い人生を送ってきた私らしい闘い方だ。


 数手打ったところで再度、盤面を俯瞰した。脳内で盤面を進め、様々な変化をシミュレイションする。このまま中央の白を凌ぐだけでは勝てる保証がない。

 常識にとらわれない、私らしい一手が求められる局面。

 

 熟考の末に、私は百七十手目のツケを放った。

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「どういう意図だ……?」

 小森の口から、思わず疑問の言葉がこぼれる。そして、少しの静寂を経て応手。予想どおりの手だが、それ以外の受けでは妥協になり得る。


「そっちか……」

 数手後、中央の一団が未解決のままで右上隅に手をつけたのを受け、小森が再度のぼやきをもらす。右上隅は地だけの問題ではなく、双方の根拠(石の生き死に)に関わるところなので非常に大きいが、中央に弱い一団を抱えている現状、動いてくるとは思っていなかったのだろう。

 右上隅の黒地を荒らし、同時に黒の根拠が薄くなったことで間接的に中央の白一団の強化になったことは言わば勿怪もっけの幸いで、打っている時はそこまで考えてはいなかった。それでも、ただ逃げるばかりでは勝てないと思って踏み込んだ。


 百九十二手目の切り込みが、先の百七十手目のツケと連動した狙いで、これでどうにかなるという感触を抱いた。

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 以降、双方最善を尽くしたとは言えないかもしれないが、二百八手目のワタリでこの一団の凌ぎに成功。その後のヨセも大きな失敗なく、私は十七目半勝ちを収めた。

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