第12話「たったひとつの自信」

 私の放った布石は、珍しいとか変わっているとか、そのような次元はとうに超越していた。当初、勝つ気がないのかと思ったという小森の感想も、改めて俯瞰ふかんすると分からなくもないと感じる。


 私は、しかし真剣だった。勝負を捨てているつもりなどはこれっぽっちもない。ブランクも含めると十七年ほどの囲碁人生の中で様々な打ち方を試行錯誤してきたが、こうした布石が最も自分に合っており、勝てる可能性が高いと感じたのだ。

 そして何より、私は碁を打つ上で"自分らしさ"を表出することにこだわっていた。ほとんどそれだけを目指して碁を続けてきたと言っても過言ではない。日常生活において発揮しきれない積極性やオリジナリティやクリエイティヴィティといった正の要素を盤上にぶつけることで、自分という人間のアイデンティティを確かめてきた。


 こういう布石を打てば、対局相手は必ずと言っていいほど半笑いを浮かべる。その中には呆然ぼうぜんや疑問や困惑や動揺といった種々しゅじゅの感情が人それぞれに含まれていよう。しかし、たとえいかなる半笑いを頂戴しようとも、私の信念が揺らぐことは決してなかった。

 端正な顔立ちと、それに似合いの快活さで浅井という女を手に入れた小森より、私はたぶん碁盤の外では何もかも劣っている。多くの異性に好まれるような外見も、人生を器用に誇らしく渡り歩けるようなコミュニケーション能力も、さらには自分を愛してくれる恋人も所持してはいない。


 彼より優ると胸を張って言えるものは、盤上での自分らしさ、オンリーワンを貫かんという意思だけだ。

 それでも、他人よりも自分のほうが優ると自信を持って言える何かがたったひとつでもあることで、人は今よりも強くなれる。どんなに小さなことでも良い。その自信が信念へと形を変え、更には生きる活力へと昇華される。


 もとを辿れば、私は地にからい棋風だった。小目や三々を多用し、足早に実利を先行してしのぎ勝負に賭けるという展開が、二・三段あたりまでは多かったように思う。

 今回の布石のように真ん中から打ち始める布石を敷けば、一見するといかにも中央を重視して打つように思えるが、それでは芸がない。中央志向と見せかけての実利転換作戦には私のもともとのプレイスタイルが表れており、特に今回は相手が五の五という隅の陣地を確保しづらい着点で来たため、その傾向はなおさら色濃くなる。


 右下のカカリから始まり、左上の三々入り。上辺二十四手目の割り打ちに回って足早に展開する。小森は力を溜めた上で二十七手目で仕掛けてきたが、こちらの仕掛け返しが成功し、六十手目で黒五子を取り込んでは白好調。黒はあくまで中央の白の薄みを狙うが、七十六手目まで各所に実利を確保した白の優勢だ。

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 ここまで、我ながら一年ぶりの対面での対局とは思えないほどに善戦しており、どこか信じられない気持ちだった。それでも、対局が始まってからの自分は妙に気負うでもなければ身構えるでもなく、なかなか冷静に盤面を俯瞰できているなと思う。おごりかもしれないが、そう感じた。

 かつて、井俣相手に五の五を繰り出して勝利した時も、夾雑物きょうざつぶつのない落ち着いた気持ちだった。良い碁が打てる時はそうなのだ。感情の揺らぎは盤面に直結する。

 

 このままの勢いで勝ちをものにできるほど、小森はぬるい打ち手ではないはずだ。この先も、妥協のない着手が必要である。

 ひとつ深い呼吸をして、盤面に傾注した。

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