第11話「情熱というパズル」

 小森の初手は決まっている。

 五の五。この着点に、彼は自身の情熱をしているのだ。き隅の着手としては相当に珍しく、研究を重ね、かつ戦いに自信がなければ使いこなせないであろう難しい打ち方である。

 私との過去二回の対局だけでなく、私が知る限り他の打ち手との対局でも、小森は毎回五の五に打っていた。それほどにこだわる理由を問うたことはないが、対局中の彼の眼光の鋭さから察するに、それ相応の自信や信念を抱いていることが見て取れる。実際、彼はそれで多くの勝ち星を獲得してきた。


 五の五は、私にとっても思い入れのある着点だった。

 

 大学二年の秋――団体戦をすっぽかした数日後――、私は授業と授業の間の空き時間に囲碁部の部室を訪れ、井俣正いまたただしと対局した。時間が限られていたため、対局時計を用いて一手三十秒の早碁で行った。

 彼は、その年に浅井より先に入部した新入生だ。私よりも数段上の棋力を有しており、春季・秋季の団体戦の両方で副将を務めた(私は、どちらも四将だった)。

 黒番で、私は初手を五の五に打った。小森と異なり普段はまず打つことのない着手だったが、それまでに十局ほど手合わせして一度も勝てずにいる井俣から白星を奪取するには、そのくらい思い切ったことをやるべきだと直感したのである。技術的な未熟さを勢いと気迫で補い、私は井俣に初めて勝利した。


 小森の初手を目にして脳が瞬間的に大学時代にタイムスリップし、帰還するまでにはおよそ十秒ほどを要したように思う。

 対する二手目。落ち着いた所作で、天元の斜め脇に着手した。

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 小森と異なり、私の場合は必ずこう打つわけではない。

 しかし、盤上に放つ一手一手を情熱のひと欠片かけらとするならば、その総量は彼をも上回ると信じている。

 陣地を作りやすい隅から打ち始める、という基本的なセオリーに真正面から逆らった私の一手は、情熱というパズルを完成させるための第一歩だ。


 動じることなく、小森の着手は三手目以降も五の五。対して、かたくなに隅に打たない私も我が道を行き、十手ほど進んだところで盤面は奇警きけいな様相を呈していた。

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 私の布石の奇抜さと斬新さは、率直に言って小森の比ではなかった。

 隅をすべて放棄しひたすらにオオゲイマに繋ぐこの五つの白石の布陣は、おそらくは私のオリジナルだ。変則的な布石を時折用いるプロ棋士も中にはいるが、私のそれはもはや囲碁なのかどうかも疑わしくなるほどの配石で、ここまで振り切った打ち方ができる人間は世界中を探しても他にいないと私は不遜にも考えている。


「あの時と同じだ」

 普段、対局中にぼやくことさえ少ない小森が、珍しく半笑いで呟く。


 十手目まで、三年前の団体戦で対局した時とまるで同じ形だった。それを目指して打っていた自覚はなく、彼の呟きで初めて気付き、半笑いを返す。カフェラテの入ったカップを持った店長が、興味津々と言わんばかりの笑顔を付随させてやって来た。


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