第52話「立て板に水の小太り」

「は?」

 上村の刺激的な質問に、私は表情を変えずに聞き返す。

 実際には微妙に顔つきが変わっていたかもしれないが、マスク越しなので恐らくは目立たない程度だろう。


「だってさぁ、福祉とか支援とかカッコつけた言い方してるけど、結局は介護でしょ? それ、誰でもできるよね?」


 予期せぬアクシデントにより時間をもて余し、一階に降りて大型の壁掛けテレビ――囲碁将棋チャンネルにて、竜星戦の模様が放送されている――を観たり、気分転換に外に出る選手たちの数も増えてきた。

 先ほどまでと比べてほどほどにざわついたロビーは、でも先ほどの上村のひと言によって、凍りついたような静けさを帯びているように感じる。


「リヨーシャさんたちと一緒に、幼稚園児がやるみたいなお遊戯したり、お散歩したりするのがメインなんでしょ? あとは食事介助とかしもの世話とか? 言っちゃなんだけどさぁ、それなりの体力と日常会話程度のコミュ力があればできるよね、きっと。しかも、“きつい”、“汚い”、“給料安い”の典型的なブルーカラー。一流私大出てまでそんな仕事に就くなんて、よほどの物好きか奉仕精神にあふれた人しかいない気がするんだけどね。まあ、キミの場合、後者は有り得ないだろうから前者かな? キミがボランタリー精神に目覚めていたらそれこそビックリッキーだよねぇ。世も末ってやつかなぁ?」


 牛のよだれのごとき長広舌ちょうこうぜつをふるい終え、上村は再度、中指でメガネのブリッジを持ち上げてみせる。


「てめえ、人の仕事を馬鹿にすんじゃねえ!!」

 私の横で黙って聞いていた浅堀が、上村の罵倒に怒髪冠どはつかんむりいて声をあららげ、ぐわりと彼の胸ぐらを掴んだ。


「まあまあ、浅堀さん。これ以上トラブルが大きくなったら、まずいですよ」

 思わずマスクをあごまで下ろし、両手を左右に動かしながら間に入った。

「ちっ」

 浅堀が、不承不承に掴んでいた手を放す。通りかかった選手たちが、足を止めてこちらに注目している。


「まったく、キミの知り合いも、やっぱりろくなもんじゃないな。スタッフが見ていたら即刻失格だぞ」

「先に挑発してきたのはお前だろ!」

「そうだね。でも、先に手を出したほうが負けになるということぐらい、アナタにもわかるよね? 世の中そういうもんなんだよ」

「くっ……」

 上村の嫌みな正論に、浅堀は返答に窮している。


「でもお前のおばあさんだって、福祉の世話になっていたじゃないか! それなのに、お前はそういう仕事を馬鹿にするのか? 大切な仕事だってことはお前にもわかるだろ?」

 ここまで我慢を重ねていたであろう小森が、上村に得心のいく正論を唱える。腹に据えかねて“お前”呼ばわりになってはいるものの、おそらく今ここにいる人間の中で彼は誰よりも冷静だ。


「わかってないなぁアナタも。ボカァ別に、介護の仕事が大事じゃないなんて言ってないさ。ただ、わざわざ良い大学を出てやるような仕事ではないと言ってるんだよ。だってそうだろ? 祖母が利用してた施設のスタッフだって、五十代か六十代ぐらいの冴えないオバサンやオッサンが大半だ。若いスタッフもいたことはいたけど、力自慢でいかにも頭の悪そうな男か、“ワタシ、人の役に立つ仕事がしたいんですぅ”とか薄ら寒い綺麗事で自分の能力のなさをごまかしてるような雰囲気丸出しの女しか見なかったからなぁ。そういう奴らでもできてしまう仕事に、わざわざ一流大学を卒業して就いているのが不自然だと言ってるんだよ」


 綺麗事を吐く女の真似をする際、上村は両手を重ね合わせて上司におもねるような演技をして見せた。さすがは、演技派小太りの異名を持つだけのことはある。

 しかし、なぜにそのゼスチュアなのかと内心でツッコミを入れながら、私は中途半端に装着していたマスクを取ってポケットにしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る