第53話「アンハピネス」

「悦弥さん! こんな奴に好き勝手言わせておくことないですよ。何か言ってやってください!」

「そうだよ! この野郎、わかったようなことばかり言いやがって!」


 小森と浅堀が、私に味方してくれる。

 たった独りで戦っていた小学時代と異なり、私には今こうして仲間がいる。これぞ団体戦の醍醐味たるやと、ふと場違いな感慨にふけった。


 私は、でも反論できなかった。


 勝ち誇ったような笑みを見せる目前の男に、圧伏あっぷくされているような心持ちでさえあった。

 上村の言っていることには、確かに恣意的な臆見おっけんが含まれているだろう。福祉の仕事に心からやり甲斐を感じている人が聞けば、それこそ頭から湯気を立てて怒るだろうと思う。それでも、咄嗟とっさに言い返す言葉が見つからなかった。


 私自身も、彼と同じように思っているからだ。



 "御茶ノ水障害者福祉センターハピネス"に勤めて四年目になる。

 中堅どころと呼ばれる経験年数に達した自分は、職場でうとまれていた。あるいは、仕事が充分にできない職員として認識されていた。


 私の職場には五十代や六十代の年配ばかりではなく、比較的若い職員もいる。しかし、現場仕事は上村が話していたように特別な技術を必要としないものばかりで、人によっては入職から数日で主力級に重宝された。

 体力と腕力とコミュニケイション能力、そして上の人間に取り入る要領の良さが重要視される環境であると、一年目の段階で痛感した。


 社会福祉学科を卒業し、精神保健福祉士の国家資格を所持していることを踏まえると関連はあるものの、しかしやりたくもなかった福祉の現場職に仕方なく就くこととなった私のモチベーションは最初から低いものであった。また、内情を知れば知るほど、私の志気は逓減ていげんした。現場業務は資格の有無など関係なく、そもそも頭の良し悪しがほとんど問題にならないものであった。


 雇用形態は、常勤・非常勤・派遣の三通りに分かれていた。現場に入らない管理職は例外として、それ以外の職員はどの形態だろうと、普段の仕事内容は変わらない。

 差異が生じる点としては、常勤は事務的な業務を割り振られて少しばかり手間が増えるとか、派遣職員が何かやらかした場合は常勤職員(主に管理職)が代わりに尻拭いをするとか――先日のように、私のようなひらが代わりに事故報告書を作成させられるようなこともたまにある――、あるいは公休の希望が複数人重なった場合は非常勤や派遣の職員を優先するなど、わざわざ列挙するほどでもないような些細なことしかない。とはいえ、事務作業などは、大多数の職員が要領の悪い方法でだらだらと行っており、定時を過ぎても無駄話に花を咲かせながら進めるというスタイルがマジョリティであった。


 私は、言うまでもなくそんな馬鹿げた時間の使い方はしない。時間内に終えるのが厳しいと思われる時は、昼休みに仕事をした。周りの視線を感じて気が散ることのないよう、その時間誰もいない宿直室(夜勤職員が休憩をとるための部屋で、通常昼休憩では使用しない)にノートパソコンを持ち込み、WALKMANで気に入りの曲を流しながらてきぱきと抱えている業務を進めた。


 職場の連中は、おそらく私のそうした工夫を知らないのだろう。

 あるいは気付いていたとしても、定刻後に遅い時間まで残っていることにカタルシスを覚えるにもつかない感性の持ち主ばかりであろう。だから、私が自分なりのやり方でさっさと仕事を終わらせて定時ジャストで退勤すれば、もう帰るのかと嫌みを言う者もいた。その都度、「用事があるので」とか「急ぐので」などと、質問主の顔を見ずに返した。


 職場の人間たちに嫌気がさすのは、効率の悪い働き方についてのみが理由ではなかった。

 明らかに自分よりも知的レベルも学歴も低い後輩――記録や書類の文章は稚拙かつ誤字が散見され、また利用者への言葉遣いも荒い時が多い――が、持ち前の明るさや阿附迎合あふげいごうの上手さだけで今年度からリーダー職に就任し、私にタメ口で指示するようになった。以前は敬語だったにも関わらず、だ。

 また、比較的ゆとりのある状況であることを見越して利用者の話を傾聴けいちょうしていれば、そんなことよりも間接業務を進めろと同僚から文句を垂れられた。おそらく、相手が私だから言ったのであろう。他にも理不尽と思える事例は数多くあるが、所詮は程度の低い人間たちゆえに会話にならないと諦め、私は心の窓を閉ざすしかないのである。その上、もとより備わっている怠惰な性質が重なり、仮病含みの欠勤を幾度も積み重ねることで、周囲からはまるで信頼を得られなくなった。


 また、上智大学卒というブランドは、大卒の人間すら数えるほどしかいない職場においては他に類を見ないステータスであったが、悲しいかな何の意味も持たなかった。むしろ、他人に公言できるほどの経歴を持たない大多数の職員たちから白眼視はくがんしされ、“あいつは高学歴なのをいいことに好き勝手に振る舞っている”という噂も流れるようになった。

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