第37話「お呼びでない男」

「お疲れ様です。テンシンリューロの皆さん」

 談笑に水を差す不快な声がして振り向くと、上村が立っていた。


「なにか?」

 派手にひとつ嘆息し、うんざりした表情で答える。小森と浅堀も、なにしに来たと言わんばかりの冷ややかな視線を向けている。

「冷たいなぁ。朝と同じく挨拶だよ、挨拶」

 上村の丸顔はいかにも得意げといったふうで、早くここまでの対局結果を口にしたいのであろう胸裏きょうりがありありと見える。

「お疲れ様でぇす」

 私の代わりに、小森がそっけなく応じる。

「組み合わせ見ましたが、なかなか厳しいところと当たったんですねぇ。初戦でほん道場、二回戦で東工大OBですかぁ」

 上村に背を向け、私は三人の弁当箱の容器を重ねてすぐに下げられるよう準備する。


「しかしお二方、二連勝とはすばらしい。後半戦も期待が高まりますねぇ」

 私以外の二人に右手を向けて示しながら、わざとらしく称賛した。

 対局カードは、昼食前に大会スタッフに提出している。この男は、いったいいつから私たちの会話に耳をそばだてていたのだろうか。

「そりゃどーも」

 少しもありがたく思っていない様子で、浅堀が返答する。

「主将の池原くんは二敗だってね。不調かなぁ? あっ、それともマスクしてたから、もしかしてどっか具合でも悪いのかな?」

 盗み聞きしていたならば体調不良についても耳にして知っているはずなのに、白々しい物言いである。

「そんなところだな」

 早く視界から消えてほしいと思いながら、不承不承ふしょうぶしょうに答える。

「あっらぁー当たりでしたか。それはお気の毒に」

 お前はイスラム神かと、内心でツッコミを入れる。

「ボクはここまで二連勝。キミと同じ六段でね。初戦はわりと苦労したけど、二局目楽だったなぁ。あれで五段とか、普段どんだけぬるい碁会所行ってんのかと思うよなぁ」

 間の悪いことに、二回戦で上村に敗れて好き放題言われていた対局相手が、ちょうど横を通りかかった。彼の表情が勃然ぼつぜんとして険しくなる。


「しかし、さっきの君の対局ひどかったねぇ。僕の相手がなかなか投了しないものだから時間を無駄にしちゃって、最後のほうしか観られなかったけど、あんな初心者みたいなくだらないミスをするなんてねぇ」

「時間を無駄にしたのは対局相手のせいじゃなくて、お前のおごり高ぶった検討のせいだろ?」

 これ以上話したくなかったが、少し離れた場所にまだ立っている彼を庇護すべく、彼に届くであろう声量で上村の謬見びゅうけんに反論した。


「何っ?」

 むっとした様子で、上村は私をにらんだ後に斜め横の彼に視線を向けた。

 先ほどの会話も、彼が近くにいるとわかっていながらあえて展開したのだとすれば相当な性悪しょうわるであるが、上村がそういう卑劣な男であることを、私は小学時代に身をもって理解していた。


「チームの足を引っ張っているキミに言われたくないね」

 そう言われると、黙るしかなかった。

 事実、ここまでひとつも白星を獲得せず、チームに少しも貢献できていないのは私だけだ。

「お前、そんな言い方ないだろ!」

 浅堀が、語勢を強めて抗議する。

「いいよ浅堀さん。本当のことなので」

 かばってくれるのはありがたいが、これ以上話をややこしくしたくはなかった。

「こいつは、昔から性格が悪くてね。大人になっても相変わらずらしい。こんな奴の相手しても一ミリもメリットないっす。場所移動しましょ」


 小森と浅堀に向けて、ため息まじりにそう言った。

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