第36話「昼休み」
「お疲れっす。はい、これ」
浅堀から、先ほど落とした扇子を手渡された。
「あっ、ありがとうございます。お疲れ様です」
「くぅ~、惜しかったですね。ドンマイです!」
浅堀に続き、小森も労いの言葉をかけてくれた。
「ありがとう。小森くんは勝ってたよね。浅堀さんはどうでした?」
「あぁ、一応勝ちました」
「おぉ、すごい! おめでとうございます」
対局カードを手に取ると、すでに記入済みだった。
「いやぁ二目差なんで、互先だったら負けですね」
浅堀が、照れくさそうに
「いやいや、コミなしだろうと立派な勝ちですよ。格上相手に勝たれたというのがすばらしいです。しかも二局続けて」
「ですよねー。ほら浅堀さん、もっとしっかり喜ばないと」
「うるさいよ
「えぇー、自分の分は自分で取ればいいじゃないですかぁ」
「いいから行けっての。お前が一番年下なんだから」
「はいはい。じゃあ、ちょっと行ってきますねー」
浅堀に促され、小森が弁当と飲み物をもらいに受付に向かった。
* *
「ここまでチームで二勝。上出来だな」
先ほど対局したテーブル席で弁当を食べながら、浅堀がここまでの結果を振り返って満足げな顔を見せる。
「いやぁ大健闘ですよ! このまま優勝できちゃったりして」
小森もいつもの爽やかな笑顔をつくり、景気のよいことを言う。
「そうだね。ふたりとも調子良いから行けるかも」
生ぬるいおーいお茶で喉を潤し、私も会話に加わる。
彼らはここまで、強敵相手に二戦二勝。勢いに乗ってあと二戦ものにしてしまう可能性も十分あり得る。
ふと、先ほどテーブルの端に寄せた対局時計が目に入った。
二回戦で私が使用した時計が、終局確認をした後に中断した時間のままになっていることに気付く。時計を手に取り、いったん電源を切る。そうすれば、次に電源を入れた時には最初に設定した画面(持ち時間ひとり四十分)に戻っておりすぐに使用できる。
「おぉ、さすが悦弥さん。マメですねぇ」
小森が、感心した様子で呟く。
「たまたま気付いたから」
今日はどういうわけか、こうした細かな点に意識が向く。
対局時計だけでなく、碁盤や碁石も、食事の前に少し離れた場所に固めて置いている。碁盤の上に弁当箱を置いて食べるなど
しかし、例えば"碁盤の上で字を書く"ような行為は、それなりに礼節をわきまえている人でもついやりがちである。碁盤を傷付けてしまうという観点から、これもまた
しかし、机上の僅かなスペースを有効活用するか、自身の鞄や大腿部を机代わりとして記入するなどの対応が可能である。そうした点も含めて棋力であり、一見些細に思える行動のひとつひとつを正しくかつ丁寧にできているか否かが、盤面にも影響を及ぼすと信じている(一、二回戦の対局相手は、みなその点をわきまえていた)。とはいえ、普段の自分の自堕落な言動に鑑みるといかんせん説得力に欠けるものがあるなと、冷たいコロッケをかじりながら内心で半笑いを浮かべた。
「ところで池原さん、体調大丈夫ですか?」
三人の中で一番に弁当を食べ終えた浅堀が、思い出したように尋ねる。
「対局中ちょっと頭痛したんですが、さっき薬飲んだので大丈夫だと思います」
「そうですかー。やっぱ本調子じゃないって感じですかね? さっきのポカも池原さんらしくないですし」
「どうですかねぇ。気を付けててもポカする時はしますからね」
今回ほどのミスはそう多くないものの、あとひと息で勝ちという対局を落とした経験はこれまでにもたくさんある。
「まだ二戦ありますから、頑張りましょう! 悦弥さんさえエンジンかかれば、優勝できますよ!」
「そうだな。まあ無理はしないで、しんどかったら俺たちに任せてください」
「おっ、浅堀さんも調子乗ってきたんじゃないですか~?」
食べ終えた弁当の蓋を閉めながら、小森がにやっと笑ってみせる。
「調子乗ってきたってなんだよ、俺はやるときゃやる男だし。わかってんのか?」
そう言いながら、浅堀は素早く小森の両脇をくすぐって抗議する。
「うひゃひゃ、くすぐったい……! 言い間違い言い間違い、調子乗ってきたじゃなくて、"調子付いてきた"です!」
「意味そんな変わってねえから! お前俺のこと舐めてんな? このっ!」
「ひゃっ! 舐めてないですってー。 ちょっ、うひゃひゃひゃ、勘弁してよぉ」
団体戦も悪くないな。
彼らのやり取りを見ながら、そう実感した。
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