第56話「思う念力岩をも通す」

「有馬も、介護やってるんだよ」


「えっ?」

 上村の返答に、思わず間延びした声を出す。

「くだらないバイトを転々とするのも虚しくなったらしく、なんでもいいから正社員で就職したいと思うようになったと、昔飲みの席で話していたんだ。まあそうだよね。この先結婚とか考えていくのであれば、正社員で安定した収入がなければ話にならないだろうし。それで、いろいろ受けてたよ。飲食、警備、工場、エトセトラ。たぶん、五十ぐらいは受けてたんじゃないかな」


 あの男に正社員で働きたいなどという願望があったことを、私は意外に思った。

 アルバイトだろうがなんだろうが、働き口があればそれで満足する程度の男だと思っていた。近い将来、真っ先にAIに代替されそうな単純作業に精を出す彼の姿なら、二十年近く会っていない今でも容易く思い描くことができる。首藤やクラスメイトたちに散々馬鹿にされながら、それを甘んじて受容し、彼らのご機嫌取りに終始することで自身の存在意義を見い出していた哀れな男。彼にとって正社員など、高望みも甚だしいというのが第一感だった。


「あいつは努力していたよ、馬鹿なりに。でもまあ、厳しいよね。勉強も運動もできないし、ブサ面だから面接の印象も悪いしさ」

「外見に関しては、お前も五十歩百歩だろ」

「それでも、有馬は勝ち取った。五十連敗してようやくな」

「それが、介護職だったってわけか」

 この数時間で、上村はすっかり私の嫌みを聞き流すスキルを身につけたものだなと感心する。

「そう。福祉関連だけでもいくつか受けたらしいが、他は落とされ、そこだけ運よく引っかかったってわけだ」

「なるほどな。確かに、お前にしては興味深いトピックだ。あの有馬が正社員とは」

「だろう? “思う念力岩をも通す”ってことわざがピッタリくる、胸熱なエピソードだ」

 私の横で聞いている小森と浅堀が、反応に困ったような表情を浮かべている。


「しかぁし! このエピソードに感動という名の虹を架けるには有馬だけでは不足。池原、キミの存在が不可欠だ。わかってるよな?」

 メガネのブリッジをくいっと持ち上げながら、上村は人の悪い笑みを見せた。

 

「キミの職場は、“社会福祉法人 夢の扉”が経営する障害者施設、『御茶ノ水障害者福祉センターハピネス』で合ってるかな?」

「なっ、なぜそれを……? Facebookにも、どこにも書いていなかったはずなのに……?」

 私は慄然りつぜんとした。どのSNSにも漏らしていない個人情報を、なぜに上村が知っているのか。目の前で嫌らしく笑う男は本当に私の知っている上村なのだろうか。思わず、尻もちをついてしまいそうになるのを堪えながら立位を保つ。


「『八王子福祉センターメモリー』、それが有馬の勤務先だ」

「なんだと……?」

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