第55話「歴史的な反乱」

「面白い話ねぇ……」

 スマートフォンをポケットにしまい、首を左右にひねりながらつぶやく。


有馬吉幸ありまよしゆき、アイツのその後を知っているか?」

 度の強いメガネのブリッジを中指で持ち上げながら、上村が嫌らしくにやついて訊いた。

「そんなこと、知るわけないだろ。僕はお前ほど暇じゃあない」

 仮病を行使し、ルノアールに六、七時間こもることができる程度には暇をもて余している生活だが、昔の知り合いが今どうしているか検索して調べるようなしみったれた発想は欠片も浮かんでこなかった。

「だろうね。彼はクラスでもぶっちぎりの劣等生だったから、キミが興味を抱くはずはないよな。テストの点数でしか、人の価値を測ることができないキミには」

 上村の言葉を右から左に受け流しながら、この男のレンズ度数は左右ともにマイナス八.〇ぐらいだろうかと無意味な思考をめぐらす。


「有馬はね、中三の時に担任から高校進学はとても無理だと言われたそうだけど、死にもの狂いで受験勉強して、高校進学が叶ったんだよ。まあ、偏差値三十五のド底辺校だけどね」

「へぇ、あいつがねぇ」

「さすがに大学は無理だったらしくて、高校卒業してからは派遣やアルバイトでいろんな仕事を転々としてきたとか。ペットボトルのおまけ付けとかシール貼りとかビル清掃とか、簡単な仕事ばかりみたいだけどね。それでも、ニートにはなりたくないって気持ちがあって頑張ってるよ」

「それも、Facebookを覗いて知ったのか?」

「いや、アイツとは小学校卒業してから未だに、ちょくちょくやり取りしていてね。たまに飲みに行ったりもするんだ。だから、すべて直接聞いた情報さ」


 そういえば上村と有馬は、小学時代からそれなりに仲が良かったようだ。

 学芸会の一件は上村が首謀者だったが、直接の実行者には有馬も含まれており、正確に任務を遂行していた。あの出来の悪い有馬が。


 “走れメロス”の演劇だった。

 私と上村と有馬は同じ山賊役で、メロス役の高杉と対峙するシーンがあった。その時、上村は私の台詞を事前告知もなく横取りし、有馬と高杉もそれに合わせて練習とは異なる運びをしていた。流れるような芝居だった。夾雑物きょうざつぶつたる私に手痛い屈辱感を味わわせつつ、蚊帳の外へと追いやるそのクラス一丸となっての没義道もぎどうな策略に驚きこそしたものの、私は愉快さを覚えたものだった。

 場違いな感情だと、常人ならば肝をつぶすだろうか。当時の私は、しかし首藤による度重なる体罰行為と、愚昧ぐまいなクラスメイトたちの醸し出す右倣みぎならえな空気に辟易していた。正常な感情と異常な感情との境が曖昧になる程度には、私の精神は鈍い音を軋ませていた。


 窮地に追い込まれたあの状況下で、私は反乱を起こした。知性的で、かつ諧謔に富んだ反乱だったという自画自賛を隠せないほど、それは見事なものだった。


 反乱の末に待ち受けていたのは、首藤およびクラスメイトからの制裁だった。身体的にも精神的にも、あの一件により私は限界寸前まで追い込まれた。

 代償は大きかったが、二十年弱経った今でも、あの時の反乱は私という人間のアイデンティティを確かめる上で欠かすことのできない歴史的な出来事だったと思うのである。


「それで、あいつがどうかしたのか?」


 この無駄話に終わりはあるのだろうかと思いながら、たった今バイブレーションの発動したスマートフォンをポケットから出して画面を見る。

 光蟲みつむしからのLINEだった。ロック画面に表示された"新着メッセージがあります"という一文に、私の胸は跳躍する。

 開くのは上村を処理してからのお楽しみにしようと思い、スマートフォンをポケットにしまった。

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