第15話「損な性格」
感想戦における並べ直しは、強くなればなるほど長手数までできる傾向にあるが、やはり必要なのは各人の記憶力だ。
どういう手順で打ち進めたのか思い出す(かつ覚えておく)能力が高ければ、たとえ棋力が低くても広範囲で可能。逆に、その能力が不足していれば高段者でも序盤の数十手ほどしか再現できない場合もある。記憶力が人並みでも、数をこなすことで次第に長手数まで再現できるようになることも多い。
しかし、ここ十数年におけるネット碁の普及により、ほとんど対面での対局経験がないという打ち手も増えている。
そういう打ち手は高段の棋力を有していても、いざ大会に出ると“整地(互いの陣地を数えやすくするために、終局後に石を動かして整える作業)”ができないといった事例まであるほどだ。対局後に自動で棋譜が保存される便利なネット碁を用いて上達した“ゆとり世代”は、いざ対面で打った後に並べ直すのが困難であったとしても仕方なしと思えよう。
小森とこうして初手から並べ直すのは初めてだが、彼はこれまでの上達過程においてはネット碁をあまり利用してこなかったので――囲碁教室に通ったり大学の囲碁部で活動したりなど、私と同じようなプロセスだ。なお、私も彼も日頃の対局の練習としてネット碁を利用することはむろんある――、いわゆる“ゆとり世代”ではないだろう。
「はいお待たせ!」
十数手並べたところで、店長がジントニックとカルピスソーダを運んできた。
ひと口飲むと、喉の奥にライムの爽快感あふれる酸味が広がる。勝利の後に飲む酒というのはこんなにも美味かっただろうか。
「久々見たけどやっぱすげぇ~。わけ分かんねえ」
序盤の白の奇抜な布陣を見て、店長は肩を揺らして笑っている。
「いやぁ、これ打てるんだからヤバいっすよね。やっぱ囲碁って楽しいなぁ~」
対局中は概ね落ち着いていた小森も、カルピスソーダの健全な甘さを携えて言葉数を増やしている。
百手ほどまでは双方淀みなく手を動かし、それ以降で次第に小森の記憶が揺らぎ始めたため、途中からは私が並べ作業を主導した。私の場合、どんな対局でも二百手ほどは楽に再現できる。
「こんなところかな」
「そうですね、ありがとうございました!」
「ありがとうございました」
一時間におよぶ感想戦を終え、互いに改めて一礼する。感想戦は、所々で実戦の進行以外の変化を検証しながら行うのが醍醐味であり、検討だけで数時間に及ぶケースも十分あり得る。
「いやぁ、でも残念だなぁ。悦弥さんと一緒に団体戦出てみたかった」
カルピスソーダを片手に、小森が悔しさと諦めを織りまぜたような複雑な笑みを見せた。
「えっ、大会のための練習だったんじゃないの?」
私が反応するより先に、カウンターでパソコン作業をしていた店長が素早く振り返って尋ねる。
「今日の対局で僕が勝てたら、大会に協力してもらうってことになってたんですよ。悦弥さんあんまり乗り気じゃなかったみたいなのに僕がしつこく引き止めちゃって、それから話の流れでなぜかそういうことに」
「へぇー、そうだったの」
そんなことを言ったような気もするなと、思わず苦い笑いを浮かべる。
すっかり忘れていた。なぜ、そんな馬鹿げたことを口にしたのだろう。盤外で太刀打ちできない相手に憎まれ口をきいたところで自身の価値をさらに
しかも滑稽なのは、本当は久しぶりの大会や、そもそも誘われたという自体が
大学時代、自分という人間は人生に不向きなのではないかという、曖昧かつ
それに対する明確な答えは未だに出せずにいるが、つくづく損な性格をしていると思う。人を引き寄せずに遠ざける言動ばかり、私は事あるごとに積み重ねてきたのかもしれない。
「出ても、良いかな?」
「えっ?」
私の言葉に、小森は意表を突かれた様子だった。
「団体戦、やっぱり出ても良いかな? と言うより、参加させて頂いても良いでしょうか?」
両手を膝に置き、私はいくらか
「もちろんですよ! 良いに決まってるじゃないですか!」
「久しぶりに囲碁打ったら、なんだかすごく
「そうですか! いやぁ嬉しいです。ありがとうございます!」
負けた悔しさを抱えているはずなのに満面の笑みを
「当日までに、ネット碁とかで少し練習しておかないとな」
大会は来月の終わりごろなので、まだ一ヶ月近くある。
「おぉ、さすが主将! 期待してます!」
「えっ、主将なの?」
「だって、今回で僕に勝ち越したじゃないですか~。これで通算、悦弥さんの二勝一敗です。もう一人のメンバーは
小森の力説に対して私は半笑いを浮かべ、カウンターにいる店長はリズミカルに肩を揺らしていた。
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