第5話「着信あり」

 目が覚めると、十一時半を過ぎたところだった。

 たっぷりと眠り、頭はしゃっきりとしている。食器類はいつの間にかきれいに下膳されており、テーブルには冷えきったおしぼりと裏返しになった伝票だけが整然として残っていた。


 眠っている間に、夢を見た。

 夢には、浅井知佳あさいちかが現れた。彼女はかつて上智大学の法学部法律学科に所属しており、私の一学年下の後輩だった。もっとも、私は法学部ではなく総合人間学部の社会福祉学科であったので、先輩・後輩というのは囲碁部における関係性だ。


 夢の中で、私は浅井と酒を交わしていた。

 場所はどのあたりか判然としないのだが、下北沢や三軒茶屋あたりにありそうな年季の入った薄暗いバーのカウンターに、ふたり並んで腰かけていた。ほとんど下戸げこに近い浅井が生ビールはおろか、バーボンやテキーラなどの強い酒をロックグラスでテンポよく飲み進めている光景を見て、これは夢に違いないと夢の中で確信した。

 カウンター横のテレビでは竜星りゅうせい戦のトーナメントを映しており、私たちはそれを眺めながらあれこれと言葉を交わしていた。誰が打っていたのか憶えておらず盤面もさっぱり思い出せないが、やがて浅井が微睡まどろみ出し、私の肩にもたれて小さく寝息を立てた。つやのある長い黒髪から、清潔で優しい香りが漂っていた。


 スマートフォンが振動し、画面を見ると小森準之介こもりじゅんのすけからの着信だった。私は、思わず苦い笑いを浮かべる。


「はい」

 出ようか無視するか迷ったものの、彼が留守電を入れ始めて数秒のところで応答した。

「あっ、もしもし。悦弥えつやさんですか? お久しぶりです! 小森です!」

 久しぶりに耳にふれる快活な声。席を立ち、トイレの付近まで移動する。


「おぉ久しぶり。池原です」

「すいません、こんな時間にお電話して。今、少し話しても大丈夫ですか?」

「あぁ、うん。大丈夫だけど、わざわざ電話してくるってことはずいぶんと重大な話とか?」

「いやぁ、そんな重大なことではないんですが、たまにはしてみようかなと。久々に、悦弥さんとお話したかったですし!」

 電話越しに、小森の邪気のない声がよく通る。

「あぁ、そう。それで、話って何かな?」


 小森のことだ。なにか裏があるわけではなく、心からそう感じての行為だろう。サラリーマンとおぼしき若い男性が、早足で私の横を通ってトイレへと入っていった。

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