第18話「散歩道」

 中央線に三十分ほど揺られ、四ツ谷で下車した。

 団体戦の会場である日本棋院の最寄り駅は市ヶ谷で、総武線に乗り換えて一駅。私は、でも市ヶ谷に行く時にほとんど乗り換えをしない。


 いつものように四ツ谷の麹町こうじまち口改札を抜け、エスカレーターで地上に出た。四ツ谷から市ヶ谷へは徒歩でおよそ十分。総武線に乗り換えて行くのも歩くのも、時間的にはさほど変わらない。

 エスカレーターを上がって斜め右方向に見える母校の上智大学には、もうずいぶんと訪れていない。今の職場に入る時に卒業証明書が必要で、それを発行しに行った時が最後だった。それからもう三年半ほども経つのかと、私は久しぶりに母校の建物を眺めながら感慨にふける。


 この三年半、それなりに面白おかしく日々を送ってきたと言うこともできる。

 音楽の興味の幅を広げてこれまで足を運んだことのないアーティストのライブへ行ったり、長期休暇のたびにどこかしらへ一人旅に行ったり、(ここ一年ほどはご無沙汰だが)橘中きっちゅうの楽しみにもそれなりに気力を注いだ。夜勤入りの日以外は、ほぼ毎晩のように酒を飲んだ。たまの遊蕩も、虚しくはあるがそれなりに愉快なものである。


 しかし、私はいったいいつまでこうした自堕落な日々を享受できるだろうか。

 而立じりつを迎えるまであと一年と少しだというのに、ぬるま湯に肩まで浸かった生活を続けていて良いのだろうか。そしてこの生活の果てに、私はどこへ行き着くのだろうか。

 そういう考えは時折ゆくりなく頭に浮かぶのであるが、なにも今考えることではないだろうと、BECK'S COFFEE SHOPの入り口前に突っ立ったまま半笑いを浮かべる。


 WALKMANから流れる一青窈ひととようの『かざぐるま』の穏やかなメロディに心気しんきゆだねながら、雙葉ふたば学園沿いの道を歩く。

 四ツ谷から市ヶ谷までの十分足らずの道のりを歩くのが、私は子どものころから好きだった。特に今日のような天気の良い日に、母と一緒によく歩いたものだった。母は市ヶ谷にキャンパスがある大妻女子大学の出身で、中学のころまでは親子二人で大妻の文化祭に行くこともあった。


 日曜の朝、このあたりは本当に静穏だ。人通りはごくわずかで、左上方向に広がる外濠そとぼり公園も秋の装いを始めていた。

 まだ微熱があるはずだが、心地よい秋風にひゅうっと肌をなぜられるといくらか体温が下がっていくような感覚になる。空気のこもった電車を乗り継ぐより、外を歩くほうがずっと気持ちがよい。 光文書院や東京中華学校を横切り、成城石井が見えてくればもうすぐだ。

 五番町に出ると、少し前まではなかったはずの富士そばができていた。中を覗くと、建築関係と思われる服装の中年男性がかつ丼をかき込んでいる。朝からかつ丼なぞ食べては、対局中にあちらを催しそうだなと内心で苦笑した。


 横断歩道を渡り、駅方面に続く緩やかな坂道を下る。八時二十四分。小森たちと合流するまでにはまだたっぷり時間がある。坂を下ったところの文教堂書店に併設しているエクセルシオールカフェで、朝食を摂ることにした。

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