第47話「似合いのふたりと愚かなふたり」

「それにしても浅堀さん、めちゃくちゃ強いですね! あのチームの五段に勝つなんて」

「いえいえ、たまたまっす。序盤からずっと苦しくて、途中で相手に無理気味な手が出て、それでね」

 浅堀が、照れくさそうな顔をみせる。

「ホントすごいですよねー! ここまで唯一の全勝ですよ。やっぱり調子付いてますな~?」

「だからその表現おかしいだろ。国語の教員免許が泣くぞ」

 小森の冗句に、浅堀は半笑いを浮かべながら抗議する。

「ははは。実際、まったく活用してないですからね」


 法政大学在学中に、小森は国語の教員免許(中学・高校)を取得していた。

 しかし、免許取得の過程で燃え尽きて教員として働く意欲が低下し、自身の好きな囲碁を活かした仕事がないか真剣に探した。彼自身の人柄のよさと人脈の広さが功を奏し、大学卒業と同時に町田の囲碁サロンでのアルバイトが決まり、現在では七ヶ所もの囲碁サロン(または碁会所)で仕事を持つ敏腕インストラクターである。賞与等のないフリーランスという立場ゆえ給与面はいささか寂しいものであり、厚生労働省で働く浅井の給与を大きく下回っていると、以前飲みの席で話していた。


「お金なら私が稼ぐから、心配しないで。あなたは、ただ囲碁を楽しんで、その楽しさをひとりでも多くの人に届けてくれれば、私は嬉しい」


 私の知っている浅井からは想像できないような、甘く情熱的な――しかしながら面白みには乏しい――その台詞もまた、彼がカルピスソーダを片手に口にしていたものである。

 聞いた当初こそは、並々ならぬ妬心とやり場のない――かつ身勝手な――怒りに胸中穏やかではいられなかった。なぜに浅井は私や彼女よりも学歴が劣り、稼ぎも少なく――それは私もだが――、おまけに不安定な仕事しかしていない小森を選んだのか。そんな的外れな苛立ちも募らせていた。


 しかし、今は違う。

 小森と浅井はこれ以上ないほど似合いのカップリングであり、私が入り込む余地など欠片もない。学歴や年収といったステータスを超越した堅い絆で、彼らは結ばれているに相違ない。その事実をはっきりと受容できる。同時に、小森は浅井に選ばれるだけのたいした器である。ここまでチームで闘い、感情の共有を重ねたことで確信した。


「それはそうと、もう置き碁じゃ勝てないかな。今度は定先じょうせんでやりましょう」

 数秒の思考ののちに閑話休題、浅堀の話に戻した。

 浅堀とはラフォーレで何度か対局したことがあるものの、いずれも置き碁だった。二子局と三子局で私が勝ち、四子局では私が負けた。しかし、最後に打ったのはもう二年ほど前なので、そのころよりも浅堀の棋力が伸びていたとしても不思議ではない。


「いやいや、せんは無茶ですって。それより、向こう」

 緩んだ笑みから真剣な表情にシフトし、浅堀が会場の奥の方向を指さす。

 目を向けると、どこのチームか知らないが、対局者同士――ともに、六十代から七十代ぐらいと思われる年寄りだ――で口論しているようだった。


「なんかもめてる感じですか」

「ですねー。どうしたんだろ」


 近づいてみると、どうやら対局中に盤面の石が知らぬ間にずれてしまったらしく、その復旧作業が解決に至っていない様子だった。どちらも自分の記憶が正しいと信じているのか、盤面を指で示しながらああでもないこうでもないと言い争っている。

 こういうトラブルの際には、審判を務めるプロ棋士に相談するのが定石。しかし、開会式で対局開始の合図をした中年の女流棋士が間に入って仲裁しようにも、事態は余計に紛糾している。

 仮にもAクラスに出場する選手が、対局中に盤面を――たとえ故意でなくとも――崩して再現できないなど愚の骨頂だ。まだ他にも対局している選手もいる中、声を大にして場を乱し、彼らの集中力をいたずらにぐ無分別な老人たちに私はなんら同情する気になれなかった。こういう打ち手が存在するせいで、囲碁という娯楽はいつまで経っても大衆に普及しないのではないかとふと思う。


「次の試合、予定より遅くなるかもな」

 彼らのやり取り自体にはさして興味のなさそうな顔をして、浅堀がいつもの落ち着いた調子で呟く。

「いったん離れますか。僕らがここにいてもどうもできないし」


 小森の提案に揃って首肯しゅこうし、対局場を後にした。

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