第39話「冷静と憤怒のあいだ」

「昔話で盛り上がるのも結構だけど、三回戦まであんま時間ないからさ、なにか言うならあと一個ね」

 右手の人差し指を持ち上げ、さらに上村の怒りの助長を促す。

 実際、次の対局まであと十五分。食後の排泄タイムを十分に確保するためには、あと五分ほどで会話を終わらせる必要がある。


「そんなに聞きたいなら言ってやろうか? このゲス野郎」

 重々しい口調で言った。

 小森と浅堀は、まだ椅子に座ったままで付き合ってくれている。こんな無駄話に巻き込んでしまっては、後で缶ジュースの一本でも差し入れておきたいところである。

おぼしきこと言わぬは腹ふくるるわざ、ってね」

「十二月。お前は図工の時間、先生から指定されたテーマと無関係な絵を描いていたな」

 徒然草の一節を引用したインテリジェンス溢れる私の返答を無視して、上村は淡々と語り出す。

「それも、女性が葉巻を吸っている不健全な絵だ。注意されて当然だよな?」

 今にも最終兵器を繰り出さんとする上村のしたり顔は、当時の痩せて貧相だった見た目からは想像できないほどに肉感豊かで、本当に彼なのかと疑ってしまうほどだ。


「あれは自分としては、一番冬らしい絵だったんだがな」

「いくらお前が思っていても、周りに認められなければ意味ないんだよ。世の中ってのはそういうもんだ」

 スマートフォンを開くと、ディスプレイに十三時四十八分と表示されていた。三回戦まで、あと十分と少し。

「それで、お前は先生から、午後のドッジボール大会に参加する前に絵を描き直して提出するよう指示された。妥当なところだろうよ。まあお前のことだから、どうせドッジボール大会なんてレクリエーションは馬鹿らしくて、出なくていいならむしろラッキーって思っていたかもしれないけどな」

「そのとおり。よくわかってんじゃん」

「でも、皆が出てるレクリエーションに参加させないってのもひどくないか? レクでも、授業の一環だろ?」

 浅堀が、上村の弁舌に惑わされず肯綮こうけいあたった指摘を挟む。

「確かに、そういう見方もできるでしょう。しかし、この池原悦弥の日ごろの言動は、そうした一般論では対応しれきないほどに常識を逸脱したものだったんですよ」

「常識を逸脱……」

 小森が、弱々しい口調で呟く。


「ええ、そうです。だから、先生の対応もやむを得なかった。その後この男、どうしたと思います? 絵の具やらパレットやらの道具をぶちまけて図工室を汚した挙げ句、何を思ったか教室に行ったんです。僕らのクラスの五年二組に。その時間、レクやら課外授業やらでちょうどすべての学年が校舎から出払っていたのをいいことに、こいつは教室で暴れ散らしたんです。現場は見ていませんが、僕ら生徒と先生が教室に戻ってきた時には、すでにそこには誰もいない。まるで大災害に遭ったかのごとく、荒れ果てた教室だけが目の前に広がっていた。机と椅子が残らずなぎ倒され、ランドセルなどの生徒の私物はあちこちに投げ捨てられ、黒板にはヒビが入り、先生のノートパソコンは破壊されていた」

 先ほどよりも落ち着きを取り戻した様子で、上村は長広舌ちょうこうぜつをふるってみせた。


「彼にも、それなりに思うことはあったのでしょう。しかし、それならそうと正々堂々主張し、話し合えばいいんです。その上で、自らの非を認めて改善する誠意を見せれば、先生やクラスの皆も納得したでしょう。それを、誰もいない教室で暴れまくってストレス発散するなんて、卑劣にもほどがある! この男は、人として最低のキチガイですよ」

「キチガイか。まあ、否定はしないよ」

「当然だよね、事実なんだから」

 勝ち誇った様子で、半笑いを浮かべている。

「ついでに、“変人の”という三文字を頭に付けといてな」

 私の冗句に、上村は鼻白んだ様子で眉をひそめた。


「上村、ひとつ聞きたい」

「なんだ?」

「あの日、お前は図工の時間になんの絵を描いた?」

「そんなこと、なんで今言わないといけないんだよ」

「いいから答えろよ。それだけ克明に記憶してるなら、覚えてんだろ?」

「覚えてるさ、スキー場の絵だ。スキーをする親子や、リフトに乗って楽しむ人たちの様子を描いたものだ。ちゃんと冬のテーマに即した絵だろ? それがどうした」

「いや、本人確認を取りたくてな」

「なんだと?」

 予想だにしないであろうワードに、上村は訝しげな顔を向ける。


「だってそうだろ。当時、痩せっぽちで貧相な体型だったのに、今僕の目の前にいるお前は、まるであのころの面影がないんだから。今はすっかり腹が出てるから、むしろ有馬ありまを思い浮かべたよ。彼がお前のふりして現れたって可能性もゼロじゃあないだろう?」

 得意の半笑いを随所にこぼしながら、本人確認せざるを得ない正当な理由を説明した。

「ふざけるな! あんなどうしようもない馬鹿と一緒にするな!」

 再度冷静さを手放した上村が、語気を強めて有馬による扮装説を否定する。確かに彼は、同じクラスの中で抜きん出て成績が悪く、小学五年生にして九九さえも満足に覚えていないような男だった。

「冗談だよ。とりあえず、本人確認が取れて安心した。対局前の排尿があるからそろそろ失礼するよ」


 十三時五十五分。小森と浅堀に目で合図をして、離席した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る