第9話 辺境で暮らす術

 それからネルは幾度の抗戦を続けていた。

「ぐっ!」

 これで何度目の突進を受けただろうか。防御魔法を掛けてはいるものの、その効力は次第に弱まってきており、顔には疲労が見え始めているようだ。

 通り過ぎたイノシシは旋回を始め、またネルを目掛けて向かって来ようとしている。

「体力ありすぎでしょ、このイノシシ。さすがに、ちょっと拙いかも」

 そう思いかけてたその時――



「ネルー!」

 対峙するネルの背中から声が聞こえてきた。

「そこの木の枠で作ってある、均した“道”のところを、イノシシを引きつけて走って来てー!」

「えっ?」

 言われて振り返ると、向こうの森の傍にいるアンジェが声を上げていた。

 そして、畑の土を見てみると、デコボコしていた畑の土は“道”のように綺麗に均されており、その両枠には大きい間伐材が、まるで道路と歩道の間を仕切る境界ブロックの様に、綺麗に並べられていた。その枠の外には青や紫の色の布が広げて置かれている。


「それと! 最後の細くなったところに小枝があるから、そこを思いっきり飛び越えて!」

 アンジェの言うように、その“道”はハの字のように段々と狭くなっていた。小枝がどうとかは離れているのでネルからは見えなかったが、多分あるのだろう。

「何か分かんないけど、分かった!」

 そう返事をすると、イノシシがこちらに突進してくるのを見計らい駆け出す。



 物凄い鳴き声を発しながら突進してくるイノシシを引きつけつつ“道”を走り続けると、下に細い木の枝が二本横向きに並べられているのが見えた。その周りにはお情け程度に芋の葉が撒かれているようだ。

「アレだな!」

 ネルはアンジェの言ったものを目視すると、顔だけ振り返りイノシシを確認する。その距離をギリギリまで引きつけ小枝のあるところを思い切り跳び越えた。

「どりゃぁぁぁぁぁ!」

 その跳躍は見事なもので優に七メートルは跳んだかもしれない。世が世ならオリンピックに出れるだろう。

「ネル大丈夫?」

 アンジェの傍まで跳んできていたネルに声を掛ける。

「うん、大丈夫。それよりもイノシシは?」

 慌てて振り返ると、そこには前足がワイヤーに締められて、身動きが取れなくなったイノシシが暴れていた。

「えっ? これって……」

「うん、罠だよ」

 そうイノシシの背後からイリアが声を掛けてきた。

「罠っていつの間に……」

「それはね――」

 私はそれまでの経緯を説明する。



 ――時は農具小屋前まで遡り。

「ふふーん、我に策ありってね!」

 人差し指を立て不適に笑みを浮かべる私に、アンジェは疑問符を浮かべていた。

「村長さん」

「あっ、はい」

「大急ぎで村の人から唐辛子の粉と、青や紫の色の布でも何でもいいから沢山集めてきてもらえませんか?」

「わ、わかりました」

 そう言うと、村長は村へと駆け出して行った。

「具体的には何をするの?」

「まぁ、まずは着替えましょう」


 長靴に手袋、雨具で全身を覆い二人は畑の森が近い位置にまでやって来た。

「ここは一つ頭を使いましょう」

 腰の反対につけたポーチから、ワイヤーと枠で囲われた板を取り出す。

「それは?」

「踏み板式くくり罠ぁ~、昨日の夜に作っておきましたぁ」

「あっ! 昨晩隣からカチャカチャ音してたのってそれ作ってたんだね」

「うん、まず害獣の線が疑わしいから、必要かなと思って」

 私は農具小屋から持ってきたとんぼで、畑の土を均し始めた。

「行きに寄る所あるって言ったでしょ? ワイヤーはその時借りてきたのよ」

「なるほど。それで、私は何をしたらいいかな?」

「それじゃアンジェは畑に散らばってる芋の葉を集めてきてくれる? なるべく小さくて乾いたやつ」

「分かった」

 そう言うと、アンジェは葉っぱを集めに行く。

「……さてと」

 粗方土を均し“道”のように仕上げると設置作業に入る。



 先ずは“道”の枠から作り始める。作ると言っても大した事ではない、唯木を並べるだけだから。

 畑に来る途中から見てきた柵は、傍に森がある事から間伐材で作った物なのは直ぐに判った。なので、小屋かどこかに切り溜めているだろうと思い農具小屋の外を見回ると、案の定間伐材の束が置いてあった。それらを“道”の枠に置きハの字になるように並べて設置した。イノシシは無理してまで跨ぐ事は避けるので、枠の外に出させないための処置である。

 そもそも何故“道”を作ったかというと、イノシシはデコボコした道は足を痛めやすくなるので、均した道があればそちらを選ぶからである。


 次に罠の設置に入る。

 まず設置場所を選び穴を掘るのだが、穴は掘り起こされて既に開いているので埋めるだけでいいのが楽だ。なので、踏み板が確実に作動するように左右両端の下に木片を設置する。木片は間伐材の置いてあった所に転がっていたのを拝借しました。

 踏み板の周りにワイヤーを掛け中央の蝶番を超えないよう調整する。ワイヤーの根元を足に巻き機関部の下側を引っ張りバネを縮め、十分に縮んだら機関部の下端をロックする。

 後は先程作った穴の木片に設置し、ワイヤーの端を傍の森の木にくくりつければ設置は完成ね。序でだから躱された時用に二・三個設置しとくかな?

 後はカムフラージュに草木や土で隠すだけだが……

 そう思っていた時、村中駆け回ったであろう村長が息を切らして戻ってきた。



「お、お待たせしました!」

「ありがとうございます。村長さんは少し休んでてください」

 調味用の唐辛子の粉、それと青と紫の布を受け取る。丁度そのタイミングでアンジェも戻ってきた。

「それじゃ、アンジェは枠の外側の縁に近い所に粉を撒いてから、この布を広げて並べてくれる?」

「分かったわ」

 早速粉を撒きに向かうアンジェ。その間に私は罠の仕上げといきますか。

 軽く土を被せ、その上にアンジェが集めてきた葉を違和感なく置いて罠を隠した。石などを使うと間伐材の時同様足を痛めるのを避けるので、避けてしまうリスクがあるから使わない方がいいのである。

 後は進行方向に対し、罠の前後に森に落ちている適当な木の枝をまたぎ棒として設置する。ここで大事なのは歩幅なども考えて設置間隔を調整するのだが、走っている時の歩幅は、最初に追いかけられていた時に、あちこちに足跡が残っているので、調整するのは容易かったわ。



「終わったよ」

「お疲れ様」

 私の設置も終わる頃、アンジェも作業を終えたので戻ってきた。

「ところで、これに何の意味があるの?」

「あぁうん、それはね、イノシシは青や紫の色を嫌がる習性があるの。また、唐辛子などに含まれるカプサイシンって刺激成分を嫌がるのよね」

「あぁ、なるほど。枠の内を通らせる確実性を上げる為ね」

「そゆこと」

 本来罠は獣道に設置するのが当たり前なのだが、場合が場合なので苦肉の策ではあった。

 後はネルが如何にイノシシの冷静さを失わせているかに任せるしかないかな?




「――と、まぁそんな感じよ」

 ざっと説明が終わる頃には、暴れていたイノシシは他の罠にも掛かり、殆ど身動きが取れなくなっていた。

「よく使い方知ってるねぇ」

「行きに辺境出身だって話はしたでしょ? 周りの敵が強いから、罠を使ってでもないと勝てなかったからね」

「イリアは冒険者か何かになれるのでは?」

「いやいや、イリアさんは普通の村人さんでいいのよ」

 まぁ、魔力の無い元女神ですがね。


「さて、動きは完全に封じましたので、ネル先生出番ですぜ!」

「分かった!」

 そう言われて、ネルはイノシシに向かい剣を構える。一呼吸入れると眉間に目掛けて振り下ろす。

「……あれ?」

 しかし、振り下ろした剣は眉間にぶつかりはしたものの切り裂くまでには至らず、鈍い打撃音が響いた。

「効いてない?」

 そう思ったネルだが、時間差を置いてイノシシはグラリと地面に倒れ込んだ。

「……勝ったの?」

「多分失神したんだと思う。止めはいるだろうけど、一応勝ったかな?」

「か、勝ったどぉー!」

 ネルの歓声は戦いが終わった事を告げた。



 ――その後、しっかり倒しきり、調査報告用の報告書をまとめる為に、イノシシの種類を調べていたのですが……

「……あれ?」

「どうしたの?」

 アンジェが声を掛ける。

「このイノシシ図鑑に載ってないわ」

 生物図鑑を見てもこの種類のイノシシはどこにも載っていなかった。

「……まさか!」

 思い当たる節があり、ポーチに仕舞ってあるもう一冊の本を取り出し、急いで検索すると案の定載っていた。

「……あっ!」

「「あっ!」って何? ねぇ?」

 その言葉に不穏さを覚えネルが声を掛ける。

「その……何だ……言いにくいんだけど……」

「だけど?」

「そのイノシシ、魔獣だったわ」

「ちょっ!」

 魔猪オウルボア。身体能力に優れ、毛や皮は分厚く頑丈で電気も通さない。そんな毛や皮は防具などに重宝される。

「――ってさ」

 私は本に書いてある事を読み上げた。

「確かにイノシシにしては見た事ない感じもしたなぁーって思ってたんよね」

「いやまぁ、僕も普通のイノシシにしては体力あり過ぎだとは思ってたけどね!」

「逆に良く勝てたよね?」

 そんなやり取りをしていた私達に、村長と村人がお礼を言いに来た。


「本当にありがとうございました」

「いえ、こちらが勝手にやったことですから」

「いえいえ。おかげで被害は畑だけで済みましたし、本当に感謝致します」

 村長の重ね重ねのお礼にネルは照れ臭そうにしていた。また、アンジェの計らいにより後日残党がいないか森の調査を至急する事になりました。

「しかし、今期の収穫の分はどう補うべきか」

 村長が悩むのも無理はない。いくら退治できたとしても損害は取り戻せないから。


「そこで、村長さんにご相談があります」

「はい、何でしょう?」

 その言葉を皮切りに、ちょっとした方向へと話は進む。

「今回の魔獣で損害の幾らかの補償にしてください。毛や皮など使い所があるので、少しは足しになるかと思います」

「よ、よろしいのですか?」

 コクリと頷く。これは私達三人で決めた合意の上のものである。そもそも、今回の事は私達が勝手にやった事なので、それをどう扱うかも私達次第であったわけだしね。

「それと……」

 私はメモ用紙にサラッと何かを書き記すと、村長に手渡した。

「良ければそちらを当てにして頂ければ、今期分の保険は降りると思いますのでどうぞ」

「っ! これは!」

 村長は驚きの表情を見せる。

「じゃあ、帰ろっか」

「では、失礼しますね」

 一礼を入れると二人は王都へと帰還する為に歩み出す。

「……では、今後ともご贔屓に」

 私だけ遅れて一礼をし二人と合流するのだった。



 私達が去った後、村長は村人の男性から声を掛けられた。

「村長、それは一体?」

「あぁ、これはクラディウス商会の紹介文だよ。あそこは損害保険がおりるそうだ」

「おお! それは助かりますね!」

「ふふ、なるほど。恩を売る代わりに物を買わせろってところかな? 商売上手なお嬢さんだ」

 その商魂逞しさに村長は感心しているようだった。



 一方、王都へと帰還する三人は。

「最後何か話してたけど、何話してたの?」

 ネルがそう問いかける。

「いや、ちょっとしたオイシイ話よ?」

「美味しい? 食べ物?」

 お腹が空いてるのだろうか、ネルの目が食べ物を求める目になってる。

「じゃあ、帰ったら何か作ろっか?」

「それじゃあ二人とも、例のモチモチした芋のジュース、飲んでみる?」

 アンジェの気づかいに、折角だからと私はそれを口にする。

「えっ! アレって家でも作れるの?」

「うん、澱粉ならあるから簡単に作れるよ?」

「おお! 遂に僕も芋ジュースデビュー出来るぞ!」

「ふふふ、楽しみだねぇ」

 そんな二人のやり取りを微笑ましく見つめる私がいたのでした。



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