第45話 邪神降臨
「うぐっ!」
黒い靄の様なものは猶も絡み付き、その光景はまるで蛇が獲物を締め上げている様にも見える。
「えっ? どういう事?」
状況が理解出来ず困惑するネル。
状態については判っている様であったが、どういう経緯でそこに至ったのかが理解できていないようであった。
「別段難しい話ではなかったってこと」
「と言うと?」
「仮にも優秀で通ってた訳だし、単にアイツも依代としての素質があったって話よ。邪神? にとっては依代の素体が誰という事よりも、復活する事が第一でしょうしね」
「確かに、可能性としては無くもないね」
ハドレットは他方の分野での知識も豊富で、優秀な治癒術士で名前が通っていた。おまけに、魔法の扱いや素質も優れており、依代としての素質は十分あったと言えよう。
「まぁ、その優劣については別問題でしょうけどね」
相変わらず悪態を吐くイリア。
「ふ……ふふふ……」
そんな中、ハドレットは不敵な笑みを浮かべ笑っていた。
「私を選ぶと言うのか! 私を侵し尽そうと言うのか! ならば、私自らが邪神となりて世界を破滅へと導こうではないか!」
それは自棄なのか? 認めたのか? それは、本人にしか解らない事であったが、ハドレットは自らが依代となる事を受け入れた様である。
「アンジェにネル」
「ん?」
「何?」
ハドレットの状況を見てイリアは何時になく真面目なトーンで声を出した。
「この場はもうすぐ荒れるわ。それまでに二人はここから去りなさい」
「何言ってるの!」
「イリア、殿になるつもり?」
「私が先に行ったところで、こちらを狙い撃ちにでもされたら守り切れる保証が無いわ。それなら守り専門のネルがいた方が断然良いわよ」
イリアの言う通り、もしそんな状況を想定したらその方が断然良いだろう。しかし、納得がいかないアンジェは食い下がった。
「言いたい事は解るけど、その間イリアはどうするの?」
「私を誰だと思ってるの? 時間稼ぎに関して得意な人物が他にいる?」
「それは……」
アンジェ自身も認めていた為か返す言葉が見つからなかった。
「それに、王国軍もこちらへ向かって来ている頃だろうし、合流したら至急来るように言ってくれればいいのよ。後はそっちに任せるつもりだしね」
イリアは軽くウィンクをして砕けた態度を取っていた。
「ネルには事前に言ってあるから今更だけど、自分の出来る事をする、それだけよ」
「わ、わかってるよ!」
口ではそう言うがネル自身納得はしていない様にも見えた。
その時、ハドレットから叫び声の様に声が上がった。
「おおおおおおお!!」
黒い靄の様なものはハドレットを喰らい尽そうとしていた。獲物を締め付けた蛇がひと飲みにしようとしている様にも見える。しかし、実際は黒い靄の様なものはハドレットの内部へと入り込んでいたのだ。
「時間が無いわ! 二人とも行って!」
半ば強引に諭された二人は、惜しみつつも急いでその場を離れる様に階段を駆け下りて行った。
イリアは、二人が去って行ったのを確認すると、ハドレットの方へゆっくりと振り返る。すると、そこに居たのは最早人間と言うには烏滸(おこ)がましい姿の存在があった。
いつの間にか立ち上がっていたハドレットではあるが、その体は異常な筋肉の膨張が見られ、あちこちが無造作に膨れ上がっていた。その異常に耐えきれなくなったのか、眼球は飛び出し、歯は抜け落ち、爪は剥がれ、皮膚は裂け血管から血が噴き出していた。
うーん、さすがにこんなグロテスクな姿、アンジェたんに見せられないわよねぇ。
などと、変貌するハドレットを見てイリアは悠長に思っていた。
無理に急がせた理由には、こういった展開が予測出来たからでもあったからである。まぁ、本人はそんな事を言うつもりは毛頭ないだろうが。
「我……悲願……今……果たされん!」
最期にハドレットはそう叫び、彼の意識は途絶えた。
その瞬間、急激に膨張した体の内部から黒く悍ましい姿をしたバケモノがその姿を現す。例えるなら、蟲が蛹から羽化する様にゆっくりと這い出して来たのであった
――一方、シグルド率いる王国軍はシャルワ祭壇跡へと向かって進軍していた。その数凡そ百人。よくもこの短時間で集められたものである。急ごしらえの部隊である為に統率が取れるのか? という心配もあった。だが、シグルドの人柄か、不思議と統率の取れた部隊と仕上がっていた。
「殿下! 後半刻程でシャルワ祭壇跡へと到着致します!」
「よし、わかった!」
部下からの報告を受け、シグルドは兵の皆へと声を掛ける。
「間もなく敵陣に入る! いつどこから来るかわからん! 各自警戒に当たれ!」
シグルドの号令に兵は「おおー!」と、声を上げた。
その光景を見届けたシグルドが前方を振り返ったその時――
「……なんだ? アレは?……」
今居る所からは遠くであるが、その周囲には何らかの魔力が渦巻いている様にも見えた。そして、その中心にはどす黒い塊が現れていた。
……そう、こんな遠くからでも視認出来る程である。その大きさは想像以上のものであろう事は明確であった。
「……まさか!」
思わずシグルドは声を上げた。だが、それはシグルドだけではない。その光景を見ていた者は皆、そう思っただろう。
事は最悪の事態に成ったのだろうと。
「くっ!」
シグルドは大きく顔を振り邪念を振り払う。
「皆の者! 事態は思った以上に最悪に成っているようだ! 進軍急げ!」
兵を鼓舞する様に声を張り上げ、シグルド率いる王国軍は急ぎ現地へと向かうのであった。
――その頃、相対するイリアは、変貌しきったハドレットを見つめていた。
「邪神……ねぇ」
実際にその姿を見ると、言い得て妙だなと思っていた。
内より現れた姿は、元の素体であるハドレットの原型すら留めておらず、悪魔のような姿をしていた。大きさにして十メートルはあるだろうか? その姿は黒い翼に赤い瞳、大きな角が二本。前進は黒く染まりきった体で、魔神の様な姿をしており、全身からは禍々しさを感じていた。
「ご機嫌はどう?」
「世界を破滅へ導こう。悲願を果たさん」
邪神相手に気後れする事も無く声を掛けた。すると、ずっと黙り込んでいた邪神は、その声に反応するかのように声を発した。
「だが、その前に先ずは貴様だ。貴様は許さん」
赤い瞳はイリアを睨み付ける。その敵意は確実にイリアへと向いていた。
どうやら、なまじ半端に依代と成った為か、その精神はハドレットと融合してしまっているように思えた。
これで、あっちの二人の安全は確保できそうね。
……そう、全てはその為であった。矢鱈と挑発する行為にはこういった状況の為の布石であったのだ。こちらへと敵視を向けさせれば、その分二人の安全が保障されるからだ。だが、このやり方には一つ問題点がある。向いた敵視からどう凌ぎ切るかだ。
「……さてと」
イリアはうつむき加減に顔を下げ一呼吸置くと、キリッと顔を上げ邪神を見上げた。
「始めましょう?」
両手に携えるは白黒の銃。相対するは古の邪神。
――今、一人の少女が神へと挑む瞬間であった。
「問おう、人間であった我ですら倒せぬ貴様如きに何が出来る?」
「愚問ね」
左手の人差し指をビシッと突き付け答える。
「時間稼ぎぐらいは出来るわ!」
「ほざけ!」
邪神はその巨腕を振り翳すとイリア目掛けて叩き付けてきた。
「速い!」
その巨腕は見た目とは裏腹に速く、あっという間に目の前にまで迫って来ていた。
巨腕はそのまま地面へとぶつかり……否、地面ごと抉り、腕が止まる頃にはクレーターが出来ていた。
「……?」
だが、邪神はそこに違和感を覚え、腕を引くと、案の定そこには抉れた地面の瓦礫のみしか存在していなかった。
「何? どこに行った?」
辺りを見回すもその姿は無かった。だが、ふと頭上に気配を感じ見上げると――
「遅い!」
そこには二丁の拳銃の銃口を向けたイリアの姿があった。
「神銃咆哮(しんじゅうほうこう)! 神獣狼牙(フェンリル・バイト)!」
二丁の銃から放たれた魔力弾は、互いの弾と溶け合い一つの姿へと変えていった。その姿は青白い毛並みの巨大な狼の姿をしていた。
巨大な神狼はその口を大きく広げ、邪神の首筋へと牙を突き立てた。
「ぐぉぉぉぉぉぉぉ!」
その攻撃に思わず邪神は仰け反った。
神狼は肉体を食い千切らんと一層牙を突き立てる。しかし、それは長く続く事は無かった。ものの数秒で神獣はその姿を消してしまったのだ。
これも、以前述べた通り、所詮は魔法の真似事でしかない為に、威力も持続性も魔法には敵わない。あくまでも瞬間的にどうこうする事にしか向いていないのである。
「……この!」
邪神は仰け反った体を何とか足で支え、イリアに掴み掛ろうと手を伸ばして来た。未だ空中にいるイリア。今のままではその手を躱す術は無いだろう。
「ふっ!」
だが、イリアは空中でその身を捻り頭部を地面へと向ける。そして、銃口を天へと向けるとその引き金を引いた。発射される銃弾の反動で地面へと噴射されるようにイリアは落下速度を上げ邪神の手を躱した。
「甘いわ!」
掴み掛った手が躱された邪神であったが、すかさず反対の手から魔法を繰り出しイリアへと放つ。
地面へとぶつかる寸前にクルリと体を回転させ華麗に着地。直後銃口を後ろへと向け、前方へ踏み込むのと同時に引き金を引いた。イリアの瞬間移動と銃による加速により、邪神から放たれる魔法を寸前で躱す事に成功する。その銃の使い方は、差し詰めブースター代わりという事であろう。
攻撃を躱したイリアは間合いを取り、銃弾を込め直す。
「この
予想だにしなかった攻撃に邪神は苛立ちを隠せなかった。
――それからは、互いに一進一退の攻防を繰り広げていた。邪神の攻撃を躱しては、出来た隙を見計らい攻撃を仕掛け、すぐさま間合いを取るといった戦法でイリアは凌いでいた。
しかし、そう事は上手くいく筈も無い。お忘れではなかろうか? 彼女の瞬間移動には制限がある事を。
「どうした? 随分と疲れているようだが?」
多少のダメージはあるとはいえ、その動きに支障のない邪神はイリアの疲労を見抜いていた。
予めドーピングとして、糖分を摂取していたとはいえ、こう何度もこの手を使用していては体が持たないのは必然であった。その動きは徐々に衰えて行き、表情を変えずとも顔色は悪く、嫌な汗が額を伝っていた。
正直かなり拙いわね、良くて後一手かもしれない。
自分が出来るのは後一手、時間稼ぎする事が限界だろう。そう確信していたイリアは、白い銃を仕舞い黒い銃を、剣を持つように構え引き金を引いた。すると、銃口から放たれた光はまるで剣を模倣したように形作られる。
「もう一つ削いでおこうか」
名を
腰を落とし踏み込む足を極限にまで引き絞る。
「そろそろ遊びも終わりだ!」
邪神はその巨腕を再び叩き込む。イリアは邪神の動きに合わせ全力で飛び出した。
一歩。地を蹴り邪神の腕に飛び乗る。
二歩。更に踏み込み上腕へと飛び上がる。
三歩。その上腕を踏み台に中へ飛び出し、遂に邪神の顔まで到達した。
「何!?」
「その視界、貰い受ける!」
イリアの放つ薙ぎ払いの一閃は、邪神の目を捉えた。
「うぉぉぉぉぉぉ!!」
思わず目を抑え苦しむ邪神。だが、同時にイリアも限界を迎え意識が飛びそうになっていた。
その反応が少し鈍った瞬間を邪神が見逃す事など無く、鈍い視界の中にイリアの姿を捉え、その巨腕を大きく振りかぶりイリアへ叩き付ける。
「……まず!」
未だ空中にいたイリア。先程までの彼女なら避ける事も容易かったであろう。だが、既に体が限界を迎えていた彼女は、即座に反応する事が出来ず、回避する術も無くその直撃を受け地面へ叩き付けられた。
邪神の叩き付けた拳の先からは鈍い音と共に鮮血が溢れ出していた。
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