第47話 神の雷

 アンジェは意識を失った彼女をそっと地に下ろす。そして、スッと立ち上がると天を見上げた。

 

 見上げる先には邪神がいまし、されど全て世は事もなし。


 案ずる事は無いと彼女は言った。彼女の言った事には意味があるのだろう。何時もそうだった。ならば、そんな彼女の言葉を信じればいいだけ。それだけだ。

 その顔に迷いは見られず、覚悟をした者の顔であった。

「なんだ? その顔は。抗うつもりか? この神たる我に?」

 そんなアンジェに邪神は眉を顰めた。

「いいえ、抗うつもりは無いわ」

「では、なんだと?」

「ただ……」

「ただ?」

「貴方をここでたおす!」

 天をビシッと指し示し、声高らかに宣言した。



たおす? 我を? この邪神たる我をか? ……ふ……ふふふ……ふははははは!」

 そんな彼女の言葉を軽く一蹴し、笑い飛ばす。

「あまりに不遜! あまりに不敬! その言葉、神への冒涜に他ならない!」

「いいえ! 貴方は神でも何でもない! ただ妄執に憑りつかれてしまっただけの哀れな人でしかないわ!」

「……っ!」

 その言葉に邪神は気圧されていた。それは、邪神と融合してしまったハドレットの精神がそうさせたのかもしれない。

「……そこまで言うのであれば、この一撃に全力を持ってして相手してやろう」

 そう言うと、先程から集中させていた魔力の塊は、更にその大きさと威力を増していった。


「あれは……拙い!」

 その光景を見ていたネルは声を上げた。

「あの大きさから言えばここら一帯を消し飛ばすつもりだよ!」

「……いいえ、そんなことさせないわ」

 ネルの言葉を否定する様に両手を天に翳す。

「私がそれを相殺……いえ、消去させるわ! ネルはそのが来るからサポートをお願い!」

「……っ! 分かった!」

 アンジェの覚悟を受け取ったネルは一つ大きく頷いた。その言葉は、まるでイリアを思わせる口振りであった。

「人間風情が図に乗るな!」

 そんなアンジェの挑発的な言葉に激情したのか、


 アンジェは一呼吸置くと、魔法の詠唱に入る。

「雷よ 根源たる力を ここ宿し賜え! エレクトリックチャージ!」

 天に翳した両手の前に紋様が浮かび上がり、そこには仄かに電気がバチバチと迸っていた。

「待って! それって!」

 ふと思い当たる事のあったネルは尋ねた。

「そのままだとこっちも巻き添え喰らうんじゃ?」

「イリアは言ったでしょう? ディルムの逆って。なら、ネルはそのだけに集中すればいいのよ」

「……あー、何だっけ? あの……アレね!」

 言いたい事は判ったが、名前が浮かばず、取り敢えず納得だけしておいた。

「……さて」

 改めて邪神を見つめた。その翳す手には巨大な凝縮しきった魔力の塊が見受けられる。逃げ場など無い。ならば、立ち向かうだけ。

 気を引き締め直し口を開き言葉を紡ぎ出す。

「神聖たる万雷よ……」

 だが、先に事を終えたのは邪神の方であった。

「残念だが、こちらが先に終えた様だな!」

 その凝縮しきった魔力の塊を放とうとしたその時――


「……?」

 ふと邪神はに違和感を覚えた。天高く飛ぶ自身のにだ。さすがに無視出来ないと天を見上げるとそこには――

「なっ! なにぃ!」

 ――そこには巨大な魔法陣が敷かれていたのである。

「これは、空中魔法陣!? ……いや、違う! これは、天空魔法陣!!」


 天空魔法陣。それは空中魔法陣の一種ではあるが、その規模は遥かに上で、半径数キロメートルにも及ぶ事からその名を付けられた。しかし、それを準備するにはかなりの時間を要し、敷くにしても途中で見つかるなどのリスクがあり、あまり実践的とは言えない代物でもある。しかし、今回の場合何故かそれが出来ている。


「馬鹿な! こんなもの何時の間に!?」

 邪神の居る上空は魔力感知結界の外になるので、気付かなかったのかもしれない。だが遺跡周辺には魔力感知結界を張っていた為に、このような代物を敷いていたのなら、気付かない筈がないのだ。それこそは……

「その槌にて……」

 更に詠唱は進み言葉を紡ぐ。すると、空中では更に魔法陣が展開されていった。

「魔力増幅陣!? しかも二重だと!?」


 魔力増幅陣。その名の通り魔法の効果を増幅させたりする時に用いる魔法陣である。主に魔力に自信が無い者が多用するものではあるが、素養の高い者が使用すればその威力は凄まじいものへと変化するであろう。


 邪神の頭上には三重に敷かれた魔法陣が存在した。それも自身に気付かれずにだ。これには驚きを隠せずにはいられなかった。だが、そのせいで折角の先制攻撃を不意にしてしまった事に気付いていなかったのである。

「汝が敵を 撃ち抜け!」

「っ! その詠唱は!」

 そこで漸く自身が出遅れるカタチになっていた事に気付いた。

「だが!」

 邪神は上空の魔法陣へと向きを変えて構える。

「消し飛ばしてやればいいだけの話だ!」



 そんな邪神を目にしたアンジェは、隣にいるネルへと目配せをする。それに気づいたネルも頷き返す。

「雷は空から来るものだって思った? のよ!」

「……なっ!」

 その言葉に慌てて地上へと向きを変えるも、時既に遅し。完全に出遅れるカタチとなった。

神の雷トールハンマー冬雷とうらい!」


 神の雷トールハンマー。雷が対象に向かい撃ち放つ雷系放出型の最強呪文。凄まじい威力を誇る雷は、神の雷と称されている。周辺一帯を打ち砕き、後には何も残らない。魔法災害の一つとも呼ばれる諸刃の剣。


 天へと翳した紋様から、一筋の閃光が解き放たれた。それは地上から天空へと迸る雷であった。

 雷が地上から? と思うだろうが、実際に雷は地上から発生する事がある。雷の発生については以前にも述べたが、今回はそれの逆を用いたのだ。上空の魔法陣には負電荷が付与されており、アンジェ自身は正電荷を紋様に付与した状態で魔法を発動させた為に、雷は地上から空へと駆けるカタチに至ったのである。

 これは、主に冬に発生しやすい雷で、積乱雲の上部が横に倒れる様に流れた時に、地上の正電荷と反応する事で起こるものである。この場合多重帰還雷撃ライトニングとは違い、一回こっきりの雷となるが、その威力は桁違いである。俗に一発雷と言う。

 昔「龍が天へ昇る姿を見た!」などと言う比喩があったが、この雷を見間違えたという説もあるとか。


 放たれた雷は邪神へと迫り来る。

「舐めるな!」

 邪神も負けじと魔法を解き放つ。

「塵一つ残さん! 原子崩壊アトミックブラスト!」

 凝縮しきった魔力の塊はその言葉と共に解き放たれた。そして、互いの魔法は空中でぶつかりせめぎ合いとなる。



「雷よ 我らの身を 護りたまえ! サンダーシールド!」

 その最中ネルは結界を張り、余波へと備える。その直後互いに衝突した二つの魔法は周囲にその余波を送り出してきた。辺りには迸る電撃が無造作に飛び交い周囲の木々を薙ぎ倒す。邪神の放った魔法に触れた物体は言葉通り原子レベルで乖離され跡形も残らなかった。

「くぅぅぅぅ!」

 それは余波などと言う簡単に済ませてよいものではなかった。最早災害である。その災害相手に少しでも気を抜けば吹き飛ばされる状況で、ネルは必死に耐えていた。今自分が倒れれば邪神と直接相手をしているアンジェも、ここまでの布石を作ってくれたイリアにも申し訳が立たない。

「まけるぅぅぅくわぁぁぁぁぁ!」

 声を荒げ叫ぶように全力で守りを貫き通していた。



「くっ!」

 一方、せめぎ合いとなったアンジェであったが、状況は少々劣勢であった。不意を突き先制攻撃を仕掛ける事が出来たのに……だ。

「その素質、やはり目を見るものがある。だが、神たる我には及びはせん! このまま押し切ってくれるわ!」

 更に邪神は力を加え押し上げてきた。

「……ダメ……押し負ける!!」

 その表情は苦痛に歪んでいた。ぶっつけ本番の最強魔法の上に邪神相手に一人で立ち向かっているのだ。体への負担は想像を絶していた。少しでも気が緩めば、その刹那命は無いだろう。

「……足りない。後一手……いや、二手足りない!」

 そう、互角に届いてすらいないのである。一手どころか二手は足りてないだろう。この状況で二手とは無理がある。


 ――勝てない。


 そう心が折れかけていたその時――


「……鳥?」

 見上げる視界の端に何かが映り、咄嗟に視線をずらすと、そこには夜空を翔る黒い影が見えた。そのシルエットからして鳥だろうと思った。

 鳥は足に何かを掴んでいた。何かは解らなかったが、何かを掴んでいる事だけは判った。

「……えっ?」

 アンジェは驚いた。優雅に羽ばたくその鳥は臆する事無く、せめぎ合う魔法の中へと突っ込んで行ったのである。

 その直後である。せめぎ合う魔法の間に巨大な天空魔法陣が瞬時に展開されたのであった。



「なっ! なにぃ!!」

 突然上空を覆う魔法陣の如く巨大な魔法陣の二つ目が現れたのだ。さすがに邪神も驚きを隠せなかった。更にそれは魔力増幅陣であり、寄り添うようにもう一つの魔法陣も展開されていたのである。〆て五重魔法陣。

「ぐおぉぉぉぉぉ!!」

 これには邪神も押し返す事が出来ず、邪神の放つ魔法は徐々に雷に飲み込まれていた。更にその体には亀裂が入り始めていた。

「ば、馬鹿な! 神たる我が! 人間如きに!」

「如き何かではないわ!」

「何だと!?」

 邪神の叫びにアンジェは言葉を挟んだ。

かつての戦いでもそうだけど、神だからどうとかじゃないわ! 人を甘く見過ぎた結果敗れた、唯それだけよ!」

「!! か、体が砕ける!?」

 更に押し上げアンジェの魔法は邪神の手元にまで迫っていた。亀裂の入った体はその衝撃に耐えきれず砕け始めていた。

 その時、不意にあるやり取りが頭を過ぎる。



「そんな大規模な魔法を行うには準備が必要となるぞ? そんなもの、今この状況でどうやってするつもりだ?」

 邪神の言葉にイリアはニヤリと笑みを浮かべ返す。

「その辺りに……抜かりはないわ。……終わっているから」

「……何?」

 そう答えたイリアに邪神は眉を顰めたような表情を浮かべていた。



「……まさか!」

 邪神は視線をイリアへと向けた。

「まさか、これも全て貴様の計算づくだとでも言うのか!」

 しかし、イリアは反応する事も無く気を失っているだけであった。だが、その表情は「ざまあみろ」とばかりにニヤリと笑っていた。

「完全に消えて無くなれぇぇぇ!」

 最後の一押しとばかりに全身全力で魔法を放ち、雷は遂に邪神をも飲み込んでいった。

「おのれぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 耐えきれなくなった体は砕け去り、手や足胴体へと進んで行き、邪神が最後に見たものは純粋なる白であった。


 天へと昇る雷はやがて閃光と共に爆発する。その閃光は大陸中へと及ぶ程に広がり、白昼であるかのような眩い光を放っていた。



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