第48話 女神クルセイル

 空は再び静寂と共に常夜の闇を取り戻していく。その後には邪神の姿どころか塵一つ残っていなかった。邪神を完全に消滅させたのである。放たれた雷は中和し終え、何事も無かったかのように消え去っていた。


「…………」

 暫し、静止したかのように立ち尽くしていたアンジェは、力無くそのまま倒れ込んだ。

「アンジェ!」

 ネルは慌てて駆け寄りアンジェを抱き起こす。

「大丈夫……ちょっと疲れただけだから」

 意識はあるようだが、その顔色は頗る悪く、偏に無事であるとは言い難い。どうやら魔力の消費が激し過ぎた為、指一本動かせないくらいに体力を消耗しているようであった。

「やったんだよアンジェ! 遂に邪神を倒したんだ!」

「……それは、よかっ――」

 そう言葉を紡ごうとした時、アンジェの表情は豹変する。


「……うそ……でしょ?」

 アンジェの見つめるその先をネルも見上げた。すると、そこには黒い靄の様なものが中を漂っていたのである。

「そんな……ここまでしてもダメなのか?」

 国王から聞いた話では、確かこう言っていた。

 

 五百年程前だったか、邪悪な神と当時の聖王が激戦を繰り広げておってな。何とか邪神の肉体を斃す事に成功したんだが、存在自体までは倒しきれんかったのだ……と。

 

 何かしらの原因で存在自体が残ってしまったのだろう。そう思っていたところがあった。しかし、実際はそうではなかったのだ。言葉通り、存在自体まで倒しきる事は出来ない……であったのである。

「人の身で抗う事は無理なのか?」

 そんなネルに追い打ちをするかのように、中を漂っていた黒い靄の様なものはその動きを見せ始めた。


「……所詮……出来損ない……フテキゴウ……」

 黒い靄の様なものは“声”のような音を発し、何かを言い始めた。

「……コNド……ソ42……4リ4ロ……」

 次第にその“声”は音としての認識すら出来なくなり聞き取り辛くなっていたが、ネルは何となくそのニュアンスを汲み取れた。

「まさかコイツ、今度はアンジェを依代にするつもりか!」

 イリアは致命傷で倒れ、アンジェは力を使い切り動けず仕舞い。唯一残された自身では倒すという“能力”は持ち合わせておらず、イリアの仕掛けも最早残されてはいまい。まさに絶望的であった。

「……4KS……ソNミヲ……」

 黒い靄の様なものはアンジェに向かって急速に迫ってきた。最早人の身に余る案件だ。神には勝てない。

 そんな中、ネルはただアンジェを庇うように身を挺すしかなかった。



 ――いえ、そこまでです。



「……えっ?」

 突如どこからともなく天から声が聞こえてきた。そして、その声と同じくして迫り来る黒い靄の様なものの周りに結界が張られ、結界内へと封じ込められた。

「これは……一体……?」

 見上げると結界に封じ込められた黒い靄の様なものがおり、完全に身動きを封じられているように思えた。



 ――貴方は此処で終焉おわりを迎えます。



 声は結界内に居る黒い靄の様なものごと縮小、圧縮していき、最後にはその存在ごと綺麗に消え去ってしまった。

 それを確認したかのように少しの間が空くと、何もない空間から一人の女性が中に姿を現した。絹衣の様な衣裳を纏い、その姿放たれる神々しいオーラは、この世の者とは思えなかった。

「貴女は……?」

「我が名はクルセイル。貴女方の信仰対象となる女神です」

 そう女性は言い放った。



「よし、着いたぞ!」

 一方、シグルド率いる王国軍は、漸くシャルワ遺跡跡へと辿り着いた。

「敵は何を仕掛けているか解らん! 各自周囲を警戒しつつ最上部を目指すぞ!」

 シグルドはテキパキと指示を飛ばし編成を整えていく。

「殿下! アレを!」

 そんな最中、部下の一人が祭壇の最上部を指示した。それに釣られてそちらへと顔を向けると、そこには……

「なっ! アレは……まさか!」

 遠目ではあったが、先程までの感じとは違い、悪意・憎悪といった禍々しいものではなく、寧ろ清廉潔白のような、透き通った感覚さえする。

「何が起こっているのか解らんが、兎に角行くぞ!」

 状況は呑み込めていないが、兵士に動揺が走る前に檄を飛ばし最上部へと向かい進行して行った。



 ――その頃、最上部では。

「女神……様?」

 アンジェは辛うじて声を出す。

「そうです……が、その状態では話辛いでしょう」

 そう言うとクルセイルは右手をアンジェに向かい翳す。その手から放たれる暖かな光がアンジェを包み込んだ。

「これで多少は動けるでしょう」

「……あれ? 動く?」

 アンジェは言われるがままに体を動かしてみる。すると、重くなっていた手足の動きは軽減され、ゆっくりと動かせる程になっていた。

「一度に魔力を多量に消費し過ぎていた反動が出ていたのです。もう少しで廃人になっていたところですよ?」

「そ、そうだったんだ……」

 その事実を聞かされたネルは改めてアンジェの顔を見つめ直す。

「無茶し過ぎだよ!」

「ご、ごめんね。でも、イリアの為にも頑張らないとっておも……って……」

 そこで二人は重大な問題がある事を思い出した。



「イリア!」

 咄嗟にイリアへと駆け寄る。

 地に伏せる彼女の青色は悪く、呼吸もしていない状態であった。

「どうやら全身の骨は砕け、肋骨が肺に刺さり呼吸が出来ない状態でいますね。呼吸停止から随分時間が経ち過ぎています。後一分と持たないでしょう」

 一目でイリアの状態を見抜いていた。

「お願いします女神様! 彼女を、イリアを助けて下さい!」

「僕からもお願いします! 助けて下さい!」

 二人は必死にクルセイルに懇願した。しかし……

「残念ながら貴女アンジェの時とは違い、生死を別ける状態の者までに至るのは、過干渉として認められません」

 そうクルセイルは言い切った。

「そんな……」

 その言葉に絶望しきった表情でイリアを見つめる。

「……ですが」

 クルセイルは少し間を置き含みのある言葉を口にした。


「此度の件、常に他者を思い、敬い、そしてその命すらも尊ぶ姿に、敬意を表します。よって、今回だけは特例とします」

 そう言うとイリアに向かい手を翳した。先程のアンジェの時とは違い、その光は眩く輝きイリアを包み込む。すると、イリアの受けていた傷はみるみるうちに癒えていき、損傷部は塞がっていった。

「これで問題は無いでしょう」

 光が止み、翳した手を下ろしクルセイルはそう言った。

「……げほっ! ごほっ!」

 暫くすると、イリアは咳き込み息を吹き返した。

「イリア!」

 アンジェはイリアを抱きしめる。

「おっ? おおっ? 突然のモテ期到来?」

 状況を把握してかしないでか。起き抜けに小ボケをかます。

「良かったぁ! イリア心配したんだよ!」

「そっかぁ、それは悪いことしたね」

 相変わらず悪びれた素振りをする事無く軽口をたたいていた。そんな中、イリアを抱きしめていたアンジェはその違和感に気付く。


「……ねぇ、イリア。その腕は?」

 そこにはある筈のモノが存在していなかったのである。

「あぁ、これね。のよ」

「えっ?」

 その言葉にネルとアンジェは驚きの表情を見せた。

「彼女の言う通りです。彼女の左腕は此度の戦いで失ったのではなく、失っていたのです。こちらは体の傷とは違い時間が経ち過ぎていますので修復に至る事は出来ません」

 口を挟む様にクルセイルはそう言った。

「だから、何も気に病む事は無いのよ?」

「そう……だったんだ」

 言われてみれば、イリアは動作の際左手を良く使っていた。てっきり利き手だからと思っていたが、実際は義手であった為、手を痛める心配がなかったからのようである。

 そんな時、祭壇の階段辺りから声が聞こえてきた。

「……やば」

 イリアは誰に聞こえることなく一人ボソッと呟く。

「……急げ! もうすぐだ!」

 その声は次第に近づき、ハッキリと聞こえる頃には、階段からその姿を見せていた。



「アンジェ! 無事か!!」

 シグルドはアンジェの姿を確認すると、急いで駆けつけた。

「えぇ、何とか」

「そうか! それなら良い!」

 落ち着いた表情のアンジェを見てホッと胸を撫で下ろす。

「ネルもご苦労だった! それから……」

 シグルドはチラリとこちらを向く。

「ゼロも一緒だったのか!」

「えっ?」

 振り向くとそこには眼帯を付けたイリアの姿であった。

「まさか今回も手を貸してくれたのか! そいつは助かったぜ!」

「どういう――」

「いいから話を合わせて」

 ネルの言葉に小声で口を挟む。

「偶々ギルドにいたから様子を見に来たのよ」

「そ、そうそう! 偶々ここで会ったんですよ!」

「そうか! 先に行ってる斥候ってアンタだったのか!」

 何かに納得が言ったようでうんうんと頷いていた。


「どうやら無事に合流出来たようですね」

 そんなやり取りを見ていたクルセイルは穏やかな口調で話しかける。

「貴女は?」

 その声で漸く気付いたシグルドは尋ねた。

「我が名はクルセイル。アナタ方の信仰する女神です」

「なっ!」

 それを聞くや否や一歩引き頭を垂れた。兵たちも同じように続く。

「事態が事態だったとはいえ、女神様の御前、大変失礼いたしました!」

「いえ、構いません。肉親を思う心を咎めるつもりはありません」

「お心遣い感謝致します」

 クルセイルの寛大さに感謝の意を表する。

「事情については貴方の妹君に聞くと良いでしょう」

 そう言うとクルセイルは消え始めていた。

「後は人の世で成すべき事です」

「はっ!」

 クルセイルの言葉に敬礼を捧げ、その姿を見届けていた。



 ――皆は女神を見上げているので気付いてはいなかったが、一際ドス黒いオーラを発していた人物がいた。

“――オイ、待てや”

 クルセイルはそのオーラに気付き視線を向けた瞬間ゾクリと全身を震わせた。勿論誰にも分らない様に。

 “ナ、ナンデショウ?”

 クルセイルを見つめる人物は笑顔であった。そう……笑顔であったのだが、そこには有無を言わせぬ凄みがあった。

 “エガオガ、トテモコワイデス”

 勿論互いに言葉は交わしていなかったが、何が言いたいのかは直ぐに判っていた。その人物は、クイッと顎で指す。後で話があると言わんばかりに。

「で、では私はこの辺りで……」

 クルセイルは優雅にその姿を消して……元い、引き攣った顔を悟られない様に一目散に去って行った。

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