第2章 少女三日会わざるは括目せよ
第15話 ある日の奉仕者
その日、私は朝早くに目覚め、眠い目を擦りながら一階のリビングへと降りてくる途中、キッチンの方から音が聞こえてきました。大凡見当はついてますが。
リビングを訪れると、案の定キッチンにはイリアがいました。
「おはようイリア」
「んっ? あぁ、おはようアンジェ」
そう挨拶をすると、こちらに気付いたイリアが振り向き挨拶を返してきた。どうやら朝食を作っていたようだ。
「随分と早いけど、こんな時間にどうしたの?」
「うん、今日は早めに始めようかなって」
「それじゃ何か食べる? 簡単なもので良ければ作るわよ?」
「大丈夫、飲み物だけで」
「それじゃ、ココアでも淹れるわ。起き掛けは体温が下がってるからね、女の子が体を冷やすのは良くないわよ」
そう言い手早くココアを淹れに入る。イリアは偶に母親みたいな事を言います。
「イリア、今日はどのバイト?」
「今日は行商人から荷物が届く日だから配達よ」
イリアは毎日朝早くからアルバイトに出かけています。しかし、いくつも掛け持ちしており、日によって勤務先が違うので、いつどこで働いているのか、実はよくわかっていません。
「はい、ココア」
「ありがとう」
ココアの入ったマグカップを渡すと、イリアは出掛ける支度を始めた。
「もうすぐネルも起きてくるから、朝食はテーブルに出しておくわね」
「うん」
支度を終えたイリアを玄関まで見送りに向かうと、丁度ネルも二階から降りてきた。
「おはよう、もう出かけ?」
「そうよ。朝食はテーブルに出してるからね」
「わかったぁ」
まだ眠いのか、ネルは大きな欠伸をしていた。
「それじゃ、行ってくるわね」
そう言うとイリアは勤務先へと出かけて行った。
「毎日大変だねぇ」
「うん」
残された私達は何となくそう言い合っていた。
「一先ずは、こんな所かな?」
作業も一区切りがつき、ほっと一息。背もたれに身を預け大きく背伸びをする。時計を見ると気が付けば十時も半ばになろうとしていた。随分と集中していたらしい。
画材を片づけ、消耗品の在庫を数えてみると少し足りない事に気付く。
「うーん……買いに行くかなぁ?」
そう思い立ち外出する準備を始めた。
玄関の外へと出ると、庭で剣の素振りをしていたネルがこちらに気付き声を掛けてきた。
「アンジェ出かけるの?」
「うん、ちょっと在庫が少なくなってきたから」
「じゃあ僕も行くよ、買いたい物もあったし」
「わかったわ」
そう返事をすると、手早く準備をしたネルと一緒に商店街へ向かいました。
商店街に着くとそこは人々が行き交い活気に溢れていました。どこから回ろうかと思っていた時――
「あれ? イリアじゃない?」
「えっ?」
ネルの言う方向に振り向くと、近くの店から元気な挨拶と共に見知った人物が出て来ました。
「おーい! イリア!」
ネルが声を上げるとイリアもこちらに気付いたようで、声を掛けてきた。
「あら? 二人ともどうしたの? 買い物?」
「うん、在庫の補給しにね」
「僕も似たような感じだよ。イリアは見たままだね」
動きやすい作業服に荷物が積まれた台車と、どこからどう見ても配達途中である。
「まぁね、後数件回る予定よ」
「頑張ってね」
「ん、ありがと、じゃねぇ」
軽く手を振り別れると足早に配達へと戻って行った。
そんなイリアを見てネルは藪から棒に聞いて来た。
「配達ってさ、結構体力いるよね?」
「うん」
「なんであれでバテやすいんだろうね?」
「……確かに」
一先ず画材屋から回ろうという事で、店を訪れ足りない画材を見繕い会計へと向かったのですが……
「らっしゃっせー」
「あれ? イリア?」
先程配達していた筈のイリアが会計にいました。
「さっき配達してたよね?」
「そだね」
「なんでここにいるの?」
「あの残りで配達のお仕事は終わりだから、次の仕事場にいるのよ」
「いや、それはいいんだけど……」
私達は真っ直ぐにこの店に向かった筈なのだけど……あれ?
会計も終えて店を出ようとすると「ありやしたー」と背中越しにイリアの声が聞こえてきた。店を出た私とネルはお互いに首を傾げていた。
次はネルの買い物へと思いましたが、今いる商業区とは反対の工業区になるので、一先ず昼食をとってからという事になり、手頃な飲食店へと足を運びました。
「ご注文はお決まりですか?」
「えっ? イリア」
そう声を掛けるウェイトレスですが、物凄く見覚えのある人でした。
「何でここにいるの?」
「何でって、バイトよ?」
「さっき画材屋にいたよね?」
「いたよ?」
「なんで僕らより先にいるのさ!」
「さぁ? なんでだろうね」
ネルの質問にあっけらかんとした態度でイリアは答えていた。
「というかその格好……」
よく見るとやけにヒラヒラとしたフリルの可愛らしい服装であった。
「これ? 店長の趣味らしくてね。このスカートの裾とか短すぎるでしょう?」
そんなイリアはスカートの裾をたくし上げようとしたので、慌ててネルが止めに入る。なんか他の男性客もこっちを見てるし。
「イリア可愛いわよ」
「いやいや、こういうのはアンジェみたいな子が似合うのであって、私とかマネキンレベルよ」
「そんな事ないと思うけど」
似合うと思うけどなぁ。
「それで、注文は?」
「おっと、忘れてた。僕はね――」
肝心の昼食の件を忘れていたので、慌てて注文をする事になった。
――昼食も済み、ネルの要件を済ます為に東側の工業区へと足を運びました。どうやら鍛冶屋に注文していた物が出来たらしいので、それを取りに行くとの事です。
鍛冶屋の扉を開けると中から声が聞こえてきました。
「らっしゃっせー」
「「……」」
私達は、何かデジャヴしか感じないセリフが聞こえ、ある種の予感が働く。受付に行くと案の定の人がいました。
「もう僕は何も言わないよ」
「……うん」
「ん? どうしたの?」
そんな私達を見てイリアは不思議そうにしていた。
――ネルの要件も終わり店を出る。ふと、残りの食材を考慮し少し買い足しに、再び商店街のある西側へと足を運びました。
必要な物を買い帰路に就こうと歩いていると、とある店の前を通りかかった時――
「おとといきな!」
勢いよく扉が開き、中から女性が男性を蹴飛ばし、転げ出てきた男性は逃げる様に慌てて店を立ち去って行きました。
「イリア?」
その姿はまたもや良く知る人物で、パンパンと手を払い店に戻ろうとする彼女を呼び止める。
「ん? あれ? 二人とも、今日はよく会うね」
「それはこっちのセリフだよ、今度はここでバイト?」
「そだよ」
そう言う彼女の勤め先は酒場であった。
「いいの? 校則違反にならない?」
「大丈夫大丈夫、仕事は給仕だけだし遅い時間までやらないからギリオーケーって、学園長も許可くれたしね」
「それならいいけど」
それでも荒くれ達が集う場で大丈夫なのかと心配になります。
「もうすぐ上がりだから、中で待っててよ。飲み物ぐらいは奢るからさ」
そう言うが早いか、イリアは私達を中へと連れ込んでいった。
店の一角に席取る。周りと見渡すとまだ日も暮れていないのに、既に大勢の客で溢れかえっていた。活気があるというよりは最早喧騒と言うべきなのかもしれない。騒がしく乾杯を迎える者もいれば、喧嘩腰に口論になっている者もいた。
そんな私に一人の男性客が近づいて来た。
「なんらぁおじょーちゃん、おれろと一緒に飲もうれぇ!」
その男性客は随分と酔っているのか呂律が回っていなかった。
「いえ、私は人を待ってるので」
「なんらぁおれろろれれってのらぁ!」
もう何言ってるのかわからない男性客は舐めるようにアンジェの肩に手を回してくる。
「ちょっと!」
それを見ていたネルが止めに入ろうとしたその時――
「お客様、他のお客様の迷惑になります。それにウチはおさわり厳禁ですよ?」
そこには男性客の首筋にナイフを押し当てているイリアがいた。その目は冷めており、背筋にゾクリと寒気すら感じる程である。
酔っぱらった男性客は一瞬にして顔面蒼白になりゴクリと生唾を飲んだ。
「今度やったら当てるだけじゃ済みませんよ?」
更にグッとナイフを押し当てるイリア。
「返事は?」
「は……はひ!」
何とか言葉を紡ぎ出した男性客を見て、漸く首筋からナイフを離し解放した。男性客は完全に酔いが醒めたようで、そそくさと元いた席へと戻って行った。
それを見ていた他の客から歓声が上がった。
「でた! イリアちゃんの十八番! 人をゴミのような……否! ゴミとしか見ていない冷めた一蹴の目! ゾクゾクするぜ!」
「くぅぅぅ! 俺もゴミのように罵ってくれぇ!」
どこかしこで好き勝手な事を言い騒ぎ始めた。そんな客を余所に飲み物を持ってきたイリアが話しかける。
「ごめんね、本人も悪い人ではないのだけど、酔うとダメになる輩も多いのよね」
「あ、うん」
呆気に取られていた私達に対してイリアはいつもの調子で話していた。
イリアの仕事も終わり店を出ると日も暮れなずむ時間となっていた。街の中央へ差し掛かる頃、子供達が遊んでいる姿を目にする。
「あっ! 駄菓子のねーちゃん!」
すると子供達はこちらに気付いたようで声を掛けてきた。男女四人の仲良さげな子供達である。
「なんだ? 君等まだ遊んでたの?」
「いや、だってさ、魔王役がしっくりこなくてさ」
イリアに話しかける男の子はどうやらこのグループのリーダー的な子なのだろう。勇者ごっこでもしていたのか、木の棒などを持ちそれぞれが役になりきっていたようである。
「あぁ、魔王ね。だったらいいセリフとかあるわよ」
「マジで!」
「でも、今日はもう時間も晩いから帰っておきなさい」
「えー!」
子供達からは不満そうに声が上がる。
「また今度話してあげるから、今日のところは帰っとけ」
「むぅ、わかった! また今度ぜってーだかんな!」
そう言うと子供達はそれぞれ家路に就いて行った。
「駄菓子のねーっちゃんって何?」
「あぁ、それね。駄菓子の有用性について説いてやったら懐かれました」
「何だそれ?」
イリアの返す答えにネルは疑問符を浮かべていた。
「イリア子供に人気だね」
「私思うの……妹は勿論いいものだけど、最近弟もいいものだなぁって、うへへへへ」
イリアは蕩けそうなくらい緩んだ表情をしていた。
「すみませーん、ここに変態不審者さんがいまーす」
「誰が不審者よ!」
「変態も否定しようよ!」
いつも通りのやり取りをしつつ、私達も再び帰路に就きました。
――夜、私はイリアの部屋を訪れようと部屋の扉をノックしました。
「イリア、ちょっといいかな?」
「ん? あぁ、ちょっと待って」
すると、中から声が聞こえ、言われた通りに少し待つと部屋の扉が開きイリアが出迎えてきました。
「どうしたの?」
出迎えたイリアは眼鏡を掛けており、手には万年筆を持っていたので、何か書き物をしていた最中なのだろう。
「資料用に本貸してもらいたいなって思って」
「オーケー」
そう言うとイリアは部屋の中へと案内した。
部屋を見渡すと机には顕微鏡やら試験管やらが立ち並び、床には本が積み上げられており、テーブルの所々に何かの部品の様な物が転がっていた。
「また本増えてない?」
「うん、図書館の本借りてきたから」
ゴソゴソと本の山を漁るイリア。日に日に本が積み重なっていくので、仕舞には重みで床が抜けるのでは? とも思えてくる程である。
「何か書いてるところだった?」
「そそ」
「邪魔してごめんね」
「いいのいいの、気にしない」
そう言うイリアは数冊の本を見繕い渡してきた。
「イリアさんは努力する人は全力で応援する主義だから、それにこれはアンジェたんにも役立つものだから」
「どういう事?」
「それはその時にってね!」
本を受け取りつつ聞いてみると、人差し指を口元に当て内緒とばかりにイリアは口を閉ざしていた。
部屋に戻った私は、机に必要な画材を並べつつ思います。
こうして応援してくれる人の為にも頑張らないと。
「よしっ!」
そう一声気合いを入れると、借りた本を早速読み始めました。
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