それぞれ
西木皐月
「…」
「おー、久しぶり? クラならちょっと呼ばれてるけど、すぐ戻るやろ」
素早く一回転して背を向けようとした皐月を止めるように、そんな声がかけられる。
「クラとは仲良くできてるみたいやな」
「な…っ」
「俺この頃、クラからさっちゃんがどうしたさっちゃんが、って、聞かされる話の大半がのろけなんやんなあ」
にやりと、人の悪い笑みを浮かべる。皐月は、顔が赤くなるのを自覚してとっさに伏せた。
蔵之輔が、受け
その自覚がある分、もしも飛鳥が言うことが本当であれば――嬉しい、とも思ってしまう。かなり重症だ。
「ま、二人ともが幸せならいいことや」
からかうような口調で、そんな言葉が落とされる。つい言い返しそうになって顔を上げた皐月は、ふと違和感を覚えた。
何か――
「眼鏡」
「ん?」
「いや…いい」
笑顔のまま首を傾げた飛鳥の顔には、細いフレームの眼鏡がかけられている。
それはいつものことのはずで、だが皐月が違和感を覚えたのは、思い返せば、何かと話をしては蔵之輔と話せとやって来ていたときの飛鳥は、眼鏡を外していたからだった。
だからどうしたと言われれば困る程度の違和感だ。
視線を泳がせた皐月は、早く蔵之輔が戻ってくれないかと思いかけ、はたと、居ては訊きづらい質問があることを思い出した。
「引越し、本当にするん?」
「嘘ついてどうする?」
「だって…」
飛鳥は、あと二月ほど、遭遇が起こって丁度一年が
皐月としては、蔵之輔が残ることになって嬉しいとは思う。
だが、その分、蔵之輔の淋しげな表情を目にするのも多くなったように思う。やはり、分所の形で行き来があるにしても、距離はある。
何故行かないのかと、皐月には訊けない。
そんな話を持ち出して蔵之輔の気が変わってしまえば、皐月はまた、置いて行かれてしまう。そのことを止める権利などあるはずもなく、だからできることといえば、そうならないように願い、黙り込むしかない。
卑怯だと思いながらも、それ以外の
蔵之輔の
だが、だからといって以前やってしまったような、半ば力づくの引き止めができるはずもない。
切り札と呼べるかもしれない皐月の能力も、濫用のせいか、蔵之輔には利かないと考えた方がいいだろう。
その前に、そんな方法をとってしまえば、みじめになるだけだ。
「心配せんでも、クラは残るやろ。そのためにわざわざ、臨時に弟子入りしてるんやで、俺」
「…いつの間に」
このところ、手が空けば蔵之輔のところに入り
びっくりして目を丸くする皐月に、飛鳥は変わらず笑いかける。
「だって俺、皐月のさっちゃん
言葉を失う皐月を真顔で見つめたかと思うと、にやりと、再び笑った。
「俺彼女おらんのに、見せつけられても悔しいからな」
「何っ、阿呆ッ!」
「あははははは!」
大笑いする飛鳥を蹴りつけるが、あっさりとかわされてしまう。この男にも、止まれと言ってもあまり
なおも足を上げたところで、蔵之輔が戻ってきた。慌てて足を下ろす。
「…二人で何してるんや?」
「皐月のさっちゃんに好きって言って怒られた」
「何ッ?!」
「ち、違っ!」
慌てて否定しようとする皐月の肩が、力任せに引き寄せられる。気付けば、蔵之輔の腕の中にいた。頭に血が上り、言葉を見失う。
飛鳥は、眼鏡の向こうでにんまりと笑って見せた。
「よーく覚えといてくれよ、俺は、クラもさっちゃんも大好きなんやって。じゃあな」
ひらりと、手を振って飛鳥が姿を消す。
残された皐月は、戸惑って蔵之輔を見た。こちらも、困ったように飛鳥の消えた扉を見つめていた。
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