「流されとったらそれで定着するからな」

奈良山ナラヤマミヤコです」


 笑顔と共に差し出された手に、恭二キョウジ戸惑とまどっていた。

 まず第一に、握手あくしゅをする機会などこれまでまずなかった。日本にはあまりない習慣で、その上恭二はこの一年を引きもり、その前はそんな社交行為の必要がない子どもだった。

 そして第二は、恭二が触れれば深くまで心を探れる能力を持っていると、目の前の少女は知っているはずだった。

 まだある。

 第三に――なめらかでやわらかそうな小さな手に、その持ち主の少女の美しさに、のぼせ上がっていた。

 恭二と同い年だというが、こんな少女と机を並べていれば授業どころじゃないだろうとぼんやりと考える。


「おーい、聞いてる? 聞こえてる? 見えてる?」


 目の前で小さな手が振られていることに気付いて、ようやく我に返る。少女は、怪訝けげんそうに顔をしかめて恭二を見ていた。

 わずかに少女の方が背が高いが、ほぼ同じ身長で顔の位置も近い。思わず、真っ赤になって目をらした。


「あ、あの、触ると…こわく、ない、ですか?」

「怖く思いたくないから、わざわざ手ぇ出したんやん」


 そう言って、有無うむを言わさず恭二の手をつかむ。思わず頭の中が真っ白になった。


 恭二が今突っ立っているのは、株式会社タシロの研究製作所姫路支部、の、ロビー。

 飛鳥アスカに出会って、既に一月近くが経とうとしている。その間恭二は、躍起になって能力を封じる努力を行っていた。

 その努力のかいあって、「声」を聞き流すことも、触れてもわざとでなければ深いところまでは潜らないこともできるようになった。

 そこで飛鳥から示された二択が、タシロの持つ保養地で山暮らしを決め込むか、他者と交じっての生活を再開するか、だった。だから恭二は、ここに来た。

 そして――少女に出会った。

 ここまで一緒に来た飛鳥は、少女を妹と言って簡単な紹介を終えた後、荷物を置くから案内するようにと少女に頼んで立ち去ってしまった。そうして、今に至る。


『同いやのになんで敬語?』

「敬語?」

「あ、わかった? やっぱり触るとちょっとはわかるんや。でもとりあえず、それだけなんやろ?」

「…え?」


 何を言っているのかがあまり理解できない。ほうけて少女を見ると、今度ははっきりと、顔をしかめた。


「もう、頭回ってないなあ!」


 強気に放たれた言葉に、びくりと身がすくむ。

 はじめは親しげに近付いてきたのに、ノリが悪いと離れていって、やがては悪意を放つようになったクラスメイトたち。息苦しかった教室を思い出して、そしてそこにつながった兄のことを思い出しそうになる。

 少女は、掴んだ恭二の手をゆすった。


「あのな、触れるだけで何考えてるかわかられるのはこわくていややん。でも、仕方ないやろ? 選んでそうなったわけちゃうんやし、頑張って勝手に見てまうのも防ぐようにしたんやし、ただ避けるだけも厭やし違うやん。だから、確認したかったん」


 まだ、声が出ない。

 京は、うーんと声を漏らし、もう一度恭二の目を覗き込んだ。あまりにも躊躇ためらいがない。


「さっき、何がわかった? 今、何がわかる?」

「…なんで敬語、って…もどかしそうに、してる…?」

「はい正解。ついでにごめん、標準語気持ち悪い」

「っ」


 思わず手を振り払うと、京は呆然としていた。

 驚きの感情に、失敗したと思うものの、またクラスメイトたちを思い出していたたまれなくなった。彼女も同じだろうかと、怯えていることに気付く。

 だが京は、恭二の怯えなどものともしなかった。


「ちょっとなにそれ、振り払わんでもいいやん!」

「…みーやーこー。今のはお前が悪い」

「おにい? 立ち聞き? 性格悪!」

「降りてきたらお前がべらべら喋っとったんやろ。文句言う前に謝る」

「えー? なんであたしが?」


 怯えていたせいかひたすらに京に気を取られていたせいか、多少距離があるとはいえ、飛鳥が戻って来ていたことにも気付かなかった。「声」である程度の位置はわかると思っていたのだが、思っていた以上に不完全なものだったらしい。

 しかし考えてみればそれはそれで、封じることには成功しているような気もする。

 とにかく今は、目の前で繰り広げられる兄妹の言い合いを、馬鹿みたいに突っ立って眺めていた。二人とも、憎しみめいた「声」は聞こえない。


「気持ち悪いっての、言われて厭やろ」

「感覚なんやから仕方ないやん!」

「関西弁きしょいとか言われてみ」

「うるさい知るかあ!」

「ほら」

「…それなら言ってくれたらいいやん。そんなん、言われなわからへんもん」


 ふてくされたように言って、ちらりと恭二を見た京は、ごめん、とかすかに言って小さく頭を下げた。言葉よりも、「声」がはっきりと謝っていた。

 恭二が固まっていると、歩み寄った飛鳥が軽く頭を撫でる。


「悪いなー、こういう奴で。俺も人のこと言えんけど」

「あ! おにい、あたしと同じこと言ったんちゃうん。図星と見た」

「…言ってはなかったけどなー」

「あーあ、ちょっとだけ見直したのに損した。慰謝料を請求します」

「あほ」

「…あの」


 二人の会話に口を挟むのは勇気がったが、どうにか声を絞り出すと、二人は言い合いをやめて恭二を見た。

 冷や汗が、背をつたう。だが、これは飛鳥にも、ずっと訊きたかったことで。


「勝手に心読まれるのに…こわく、ない…ですか」


 不思議そうな「声」と、呆れたような「声」と。


「だーからー、さっき言ったやん」

「でも、やろうと思ったら、いくらでも…」

「やるん?」


 京に真っ直ぐに見つめられ、少し距離があるのに間近にいるかのように息苦しくなる。その間に、手を掴まれた。


「気付かれることもなくできるんやろ? でもそれ、するん?」


 問い詰められているわけではなく、確認されている。答えを間違えれば、京も飛鳥も、離れて行くだろうことはわかった。


「したく…ない」

「じゃあいいやん。問題なし。あ、でも場合によってはけるから。いちいち気にせんといてな? ほら、汗だくのときに近くに誰かにおってほしくないとかみたいな」


 にこりと笑って、京は手を離した。それを少し残念に思って、恭二は、そう思ったことに慌てる。

 京の態度に恋愛感情めいたものはむなしくなるほどに感じられず、つまりは望みがない。それなのに恭二に好かれたところで、嬉しいはずがない。

 それにしても兄妹だなと、半ば無自覚に恭二は意識をらす。

 何も言われずに二人を見て血縁と気付くほど姿が似ているわけではないが、持っている空気や強さが、同じ質をしている。それが、一緒に過ごしてきただろう時間を思わせた。仲のよさもにじみ出ている。


「で? おにい、なんで戻って来たん?」

「ああ、そうそれ。叔父さんたち、食堂に集まってるらしくって」

「あ、そなん? じゃあ行こ、食堂地下やから。あ、恭二って料理できる?」

「きょ、恭二?」

「え、名前違った?」


 含みなく不思議そうに首を傾げてから、ああ、と京は大きな動作で手を打った。


「ごめんごめん、順番間違えた。苗字で呼ばれるとおにいまぎらわしいから、名前で呼んで? で、こっちだけ名前呼びもあれやから、名前で呼ばせてもらうな。もう、お兄が割り込むから」

「俺のせいか? お前の強引っぷりは、思ってた順番通りにやっても面食らわせたやろ」

「えー?」

「厭なら厭って言っとけよ。流されとったらそれで定着するからな」


 とりあえず移動ー、と言って、飛鳥は恭二と京の肩を掴んで押す。

 保養地にいた間訓練に付き合ってくれた飛鳥だが、いまだに恭二に触れることに躊躇いがない。

 散々付き合ったし慣れた、と本人は言うが、むしろ逆に警戒させそうなものだ。何しろ飛鳥は、恭二の無軌道だった力をたりにしているのだから。

 それなのに。


「え、ちょ、ちょっと、何で泣いてるん!?」

「わあ?」


 京の慌てた声に比べ、飛鳥はのんびりとしている。それでも、二人ともが本当に驚いて慌てているのはわかって、止めようと思うのに止まらない。

 人前で泣くなんて――泣くなんて、恥ずかしいのに。


「あー…お前がいじめるから」

「ええっあたしのせい?!」


 そんなわけがないのに、少しだけ本気にしている京。恭二を気遣って、身をかがめてくれている飛鳥。


「僕――こ、ここに、いて、いい、の…か…」

「おってくれる方が嬉しいんやけど?」

「何でここまで来てそんなことで悩んでるん」

「だっ…そん、資格…っ」


 飛鳥に抱きしめられるように背を叩かれ、京は頭を撫でてくれる。まるで子どもをあやすかのようで、それが一層に不安をき立てた。

 ここにいて、荷物になって、厄介者になるなら。こんなに優しい人たちにさえうとまれ、悪意を向けられるようになるなら。

 ――そうでなければ、兄のように、殺してしまうかもしれないから。

 不安だけが大きくふくれる。触れたところから、二人が親身になって心配してくれていることがわかって余計に、膨らませる。

 溜息が、聞こえた。


なんでおるだけで資格がいるんや?」

えて資格とか言うなら、その力で好き勝手しようとしてないところとか、思い上がってないところとか?」

「邪魔やと思うなら、とっくに放りだしてるって」

「そうそう。ちょっと厄介かも知れへんけど、そのくらい、あたしたちだって一緒やし。いちいち資格とか言っておうかがいたてなあかんなら、あたしらもここにはおれへんわ」

「って言うか、今更それ言われるとさすがにちょっと傷つくなあ」


 はあぁと、飛鳥が大きく息を吐いて、恭二の肩にうなだれるように頭を置く。そうしてからきっぱりと顔を上げた。


「大丈夫。恭二はここにおっていい。俺が決めた」

「あたしも」


 にこりと、京が笑いかける。

 そうして、三人は歩き出した。恭二は、泣きそうになりながら決意した。二度と、彼らを疑うことはやめよう。

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