「子どもあつかい、やめてくれへん?」

「このへんおるはずなんやけどなあ。おーい、クララー、クラちゃーん、蔵之輔ゾウノスケー」

「蔵之輔言うな!」


 あだ名の方が本名よりも確実にはずかしいと思う。それとも、二段構えのあだ名だろうか。

 植木の茂みから飛び出した男は、自衛隊の演習服のような、普段の街中ではいくらか目立ちそうな格好をしていた。もっとも、「遭遇」以来よく目にするから、今となっては違和感がない。

 しかし、ひょろりとした体にはいかにも不似合いだった。


「ん? 誰、そいつ。何かめっちゃにらまれてるんやけど?」


 眼鏡男――奈良山ナラヤマ飛鳥アスカと名乗った男の隣の一葉カズハに気付くと、迷彩男はいぶかしげに首をかしげた。

 その手には、なぜか工具がにぎられている。


「しばらく、お客さん。岬一葉。ミサキ、こいつは石動イスルギ蔵之輔」

「だから蔵之輔言うなっての!」

「ってうるさいから、クララとでも呼べばいいから。クラ、いじるのもいいけど、もう暗いし中入っとけよ。次襲われたときも、運良く誰かに目撃されるとは限らんからな」

「地味におどすなよ」

「おどしちゃう、事実や」


 うーむとうなって、石動は植木のあたりに引き返し、やけに古い型のラジカセと部品らしきものを持って戻って来た。

 並ぶと、無駄に身長があるせいで妙な威圧感がある。


「今度は何?」

「んー、ばらして無線とラジオのコンポ」

「あ。無線、強化できるか? ケータイもつながるときばっかちゃうし、恭二キョウジとすぐに連絡取れたら助かる。――こいつ、機械いじりが特技なんや」


 気づかってか、まん中で挟まれた形になる飛鳥が注釈を入れる。


 一葉が連れて来られていたのはビルの一室だった。

 部屋でとった夕食の後で歩きたいと言ったら、ついでに他の奴を紹介しようかと、庭――と呼んでいいのかわからないが、とにかく敷地内の地面につれて来られた。

 既に顔を合わせたのは、飛鳥が「ボスその二」とささやいた医者の岩代イワシロと、飛鳥の妹。顔を合わせた時に逃げて行ったのは佐々木恭二というらしい。他に、ボスその一とその三がいるという。

 それだけの人数にこの建物は、大きすぎやしないかと思うが、昼間は人の出入りがあるというからそうでもないのかもしれない。

 そして、ボスはお前ちゃうんかと言った一葉に、飛鳥は、せいぜいが年少組の委員長やなあ、と苦笑した。

 妙な集団だ。


 数ヶ月前の「遭遇」以来、日本の人口は半減したと聞いた。そんな事態だというのに発行されている新聞をひろい読んでもらってもよくわからなかったが、とにかく、世界が混沌としたのは感覚としてわかっている。

 親を失った子どもは多く、各地でスラム街じみたものも発生しているらしい。その中で、この小規模集団は、妙に落ち着いていた。

 そこになぜ自分がつれて来られたのかも、よくわからない。そもそも、飛鳥らはどうして、あの廃工場にやって来たのか。わからないことだらけだ。


「じゃ。――ああ、岬…ちゃん?」

「君」

「ああ、岬君。今から防犯装置入れるから、外出るときは俺に一声かけていってな」

「アホ、こんな時間に出るなんて物騒なことさせるか」


 一葉は何もこたえていないのだが、勝手に会話が進む。そうして石動は、階段へ向かって行った。

 飛鳥は、それを見送るでもなく一葉に視線を向ける。


「疲れてへんか?」

「子ども扱い、やめてくれへん」


 一葉が冷たい声を出すと、飛鳥は気にしないような様子で肩をすくめた。


「実際子どもやろ? 何歳?」

「…十七」

「えっ?! ウソやろ、年上? いや、ないないないって、まだ小学生やろ?」


 実際は、一葉は十四歳で通っていれば中学の三年だ。にらみつけると、今度はいくらかひるんだ。


「関係ないやろ」

「いや、そうもいかへん。ほんまやったら、栄養足りてないって。一時的なもんちゃうかったんやな。――あ、ミヤコ! ちょうどいい、明日朝、お前が当番やな?」

「おにいのせいで二連続やけど、それが何か?」


 何か用事でもあったのか、階段のあるあたりから姿をあらわした少女は、一葉と飛鳥の姿を見るなり、しかめっ面をつくった。

 しかし飛鳥は、一向にひるむ様子がない。もしかするとこの男、少々鈍いのかもしれない。にらみつけるか無表情の一葉にも、ずっと笑いかけている。


「ちょっと多めに作っといてくれるか。こいつに食べさせる」

「ええ?」

「センセーも言っとったんやけど、栄養足りてへんみたいやから」

「…エリさんの許可、おにいが取ってよ」

「ああ、今から会いに行こうと思っとったとこや」

「五階。おじさんと話してる」


 そう言い捨てて京は、受付だったろうカウンターに去って行った。

 見るともなしに一葉がそれを見送り、後姿も日本人形みたいで着物を着てないのが妙な感じや、などと思っていると、少し身をかがめてわざわざ目線を合わせた飛鳥がのぞき込んでいた。


「ほんまに、疲れてへんか?」

「しつこい」

「平気なら、ボスの一と三に会いに行こう。でも、無理するなよ? 倒れたら、お姫様だっこで部屋戻るからな」


 おどしなのか天然なのかといぶかしむ一葉に、どこか不満そうに、飛鳥は続けた。


「意識ない奴おんぶするのって、一人やと乗せるのが大変なんや。かついだら京にさんざ文句言われて。おかげで、えらい腕の筋肉ついたわ。て、そうじゃなくて。さわられるん嫌いってことやけど、問答無用でいくからな?」


 前半はグチだったらしい。なんとなく脱力して、一葉は、歩き出した飛鳥に並んだ。

 元は会社のビルだったというこの建物は、地上五階の地下一階らしい。外には、屋根のある駐車場と独立した警備員室もある。

 一階は部屋は二つほどだけで、ほとんどが一望できる空間になっている。

 その中央にさっき京が歩いていったカウンターが鎮座し、階段とエレベーターは、入り口から入って右手側の端にある。あとは、二階に三部屋、三階と四階に十二部屋ずつ、五階には十部屋。ちなみに、一葉が寝かされていたのは三階の一室だ。

 飛鳥は五階まで上ると迷うことなく、階段から遠い方の端の部屋をノックした。


「入りますよ」

「どうぞー。あら、その子が新人さん?」


 あ、巨頭会談、というつぶやきが聞こえた。

 興味があって飛鳥の後ろから部屋の中をのぞいてみると、やけに髪の短い例の医者と、ノーメイクでもそこそこ見られる顔の二十代くらいの女と、「さえない」の代名詞になりそうな三十くらいの男がいた。

 女が一人で奥のミニソファーに腰掛け、医者が入り口手前の椅子、もう一人の男がデスクとセットの椅子に座っている。

 女の言葉を聞いた瞬間に、強面こわもての医師が盛大にふき出した。


「エリちゃん、それはないだろうよ、新人さんってキャバクラの新顔じゃあるまいし」

「えっ、そんなつもりなかったんやけど…気を悪くしたらごめん」


 そんなやり取りがされている間に、飛鳥が医者の向かいに置かれたイスを一葉に勧め、自分はパイプイスを引き出した。


「岬一葉。岬、田代タシロ恵梨奈エリナさんと五十崎イカザキ一郎さん。センセーは、もう顔あわせてますね。さっき年きいたら十七って言ったんやけど、どう思います?」

「まーそりゃ、ないこともないだろうが…本当のところ、どうなんだ?」

「十四」


 面倒になって単語だけで答えた一葉に、あらら、と言って、恵梨奈が眼を丸くし、一郎が首をかしげた。


「京と同い年か」


 それにしては小さいな、と、一郎は口に出してはいないが続く言葉がわかる。いつものようにそれを聞き流そうとしたが、いら立ちはつのった。

 一葉は、口を開きかけた飛鳥をさえぎった。


「あんたら、何が目的? 人身売買でもやってるんか。それならとっとと売り払え、ここにおるよりましや」


 はあ、と、ため息が二重奏をかなでた。医者と恵梨奈で、一郎は感情の読めない視線を静かに一葉にそそいでいる。


「飛鳥君、何も話してないん?」

「すみません。自覚もないみたいで、どう切り出していいか迷って今になりました」


 さばさばと、飛鳥が言い切る。思わず一葉が視線を向けると、悪びれた風もなく座っていた。

 うーん、と腕組みをしながら、医者と恵梨奈が視線をかわすのが見えた。

 それが妙に意味ありげで、一葉は、自分でもよくわからないままに感情がたかぶるのがわかった。頭に血が上り、意識が白く染め上げられる――瞬間に、視界も真っ白になった。


「は?!」

「落ち着けー。ここには割れ物もあるんや。壊れたら、どうせ片付けるん俺や」


 言われたことにしたがったわけではないが、冷静になってみると、一葉の視界に広がるのはタオル生地だった。白い、おそらくバスタオル。

 なぜそんなものがあるのかがわからないが、それを、どうやら飛鳥に頭からかぶせられているらしいのもわけがわからない。


「…何すんねん」

「悪い悪い」


 あまり悪いと思っていない口調で、しかし素直にタオルは取り払われる。おじさん勝手にかりたでーと、のんきな言葉も聞こえた。

 飛鳥をにらみつけると、へらりと笑い返された。

 ちらりと大人たちに眼をやると、恵梨奈が少し驚いたような表情で、医者は興味深げに笑い――一郎が、動じた様子もなく変わらない眼差まなざしを一葉にそそいでいるのが不気味だった。


「言って信じてもらえるかどうかわからんけど、岬、えーと…ほら、あれ、あれあれ。あの、なんて言ったっけ…えっと…物体浮遊とか違くて…いや、違わんけど、えーっと」


 くしゃくしゃになった白いタオルを手に、ひたすらうなっている。

 言い始めは深刻な空気をただよわせていたというのに、アホかこいつ、と、一葉は飛鳥の顔をながめやった。

 大人たちが黙ったまま、さかんにうなっていた飛鳥は突然、ああ、と言って手を打った。が、タオルに音は吸収される。


「念動力!」

「また、古い言い方するな」

「新しい言い方なんてありました?」

「PKとかサイコキネシスとかだろ?」

「サイコ…って、ホラー系ちゃいました? サイコさんとか」

「飛鳥君、脱線してる。サイコパスだしそれ」

「え? あ、ああ」


 はっとしたように、飛鳥は一葉に向き合った。身をかがめて視線を合わせるのはクセなのか、ここでも律儀にひざをまげている。


「わかるか? 念動力でもPKでもサイコ…なんとかでもいい。とにかく、物を動かしたり壊したりまげたりできる能力や。超能力の漫画とかであるやろ。あれ」


 物を動かす。

 即座に一葉の頭に浮かんだのは、廃工場での出来事だった。

 気付けば男たちが倒れ、慶介が化け物と呼んだ。そして、飛鳥が頭を打った本は、床に落ちていた本は、どうやって落ちた?

 ――なんだ、そんなこと。


「見世物小屋にでも売る気か」


 一葉は、自分の言葉がいやに平坦なことに気付いた。そのくせ、感情は息苦しいほどに波立っている。耳に、血管を走る血の音が聞こえた。

 ああ――なんで、怒ってるんや。わかりきったことやったのに。

 一葉は、鼓動に耳をすませ、念動力と呼ばれた力を使う感覚を思い出そうとしていた。ところが。


「まさか」


 あっさりとした、何を言っているんだと言わんばかりの声が、一葉の耳にすべり込んだ。


「せっかく見つかった仲間を、わざわざ遠ざける意味がわからん。そりゃ、行きたいって言うなら止められんやろうけど、そのためにチャリの三人乗りなんかするか」

「――――――は?」

「言ってないから知らんやろうけど、お前探しに行ったときうっかり恭二と二ケツで行ってもて、帰りえらい目にあったんやからな。わかるか? ちっさい子ども前と後ろに乗せるわけちゃうんやぞ? 三人も乗るとな、いつタイヤパンクするかわからんし、ペダル踏んでもなかなかおりひんしかといって下手に体重かけると横に倒れるし。日はどんどん暮れていくから、寒いし危ないしで。金稼ぐんやったら、もっとましな方法探すわ」

「そりゃお前、ただの準備不足だろう」

「しゃーないじゃないすか、恭二自転車乗ったことないんやから。さっき、クラに無線強化できんか頼んできました。って、センセー、俺に念動力古いって突っ込むなら、こいつの見世物小屋も突っ込んでくださいよ。今時あるんですか?」

「お前が、突っ込む間もなくしゃべりだしたんだろうが。ちなみに、今となっては知らんが『遭遇』前まではあることはあったらしいぞ」

「え、行ったことあります?」

「脱線」

「あ。えーと…ごめん」


 一葉は、何を謝られているのかわからなかった。ぽかんと、随分と近くにある飛鳥の顔を見つめる。のぞき込む眼が、申し訳なさそうにしていた。

 何が起きているのか、どうすればいいのかが、上手く考えられない。


「逃げるか?」


 するりと、降ってきた声があった。

 一郎が、やはり無色の視線を向けたまま、静かに口を開いた。


「信じたくないと、裏切られたくないと、かたくなにこばんで逃げるか? 残念ながら、背を向けたままでおれば、得られるものもうしなうことになる」


 なかば呆然として聞く一葉よりも、何故か隣の飛鳥が、はっとしたような気配があった。

 一郎は、ただ静かに一葉を見つめている。残る大人二人は、戸惑うように息をひそめているのがわかった。


「さあ、どうする? 好きにすればいい。君の人生や」


 突き放したような声に何を選べと言われているのか、わかるような気がして、でもやはりわからないような気もした。

 一葉は、考えようとすればするほどに空回りするのを感じた。

 急に、頭に何かが乗せられた。ついで、大したことのない重圧。顔を上げてようやく、飛鳥がタオルを乗せた上から手を置いたとわかった。


「おじさん。俺ら、そろそろ寝るわ」


 先ほどと変わらない、全く気負いのない、とぼけた声で言う。ふっと、一郎の張り詰めていた糸が切れるのがわかった。

 見れば、口元には微笑すら浮かんでいる。笑うと、最初の印象よりもいくらか若く見えた。


「ほんま、飛鳥はカオリさんの子どもやなあ」

「ええ? それ、地味に嫌がらせ?」


 心底イヤそうな飛鳥に、今度ははっきりと、一郎が笑う。部屋の空気は、すっかりやわらいでいた。


「いやいや、納得したんや。言われてみれば、岬君は今日一日で色々あったやろうし、飛鳥も、三人乗りで疲れてるんやったな。おやすみ」

「うん。あ、エリさん、岬にしっかり食べさせたいから、ご飯少し多めにしてもいいですか?」

「――どうぞ」


 話をふられると思っていなかったのか、いくらか間を置いて恵梨奈が答える。その間に医者が、俺もそうした方がいいと思う、と、即座に賛成した。


「ありがとうございます。おやすみー」


 おやすみ、とそれぞれに返される言葉に飛鳥は笑顔を返し、一葉に出るよううながしながら、出したパイプ椅子を戻していた。まめだ。

 部屋の戸を閉めたところで、あ、タオル、と飛鳥がつぶやいた。手元のバスタオルに視線を落とし、まあいいか、と、すぐに続ける。

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