「苦情窓口はこちら、ってことや」

 そして、飛鳥は歩き出した。少し進んで、立ち尽くしたままの一葉に気付き、振り返って首をかしげる。


「疲れてるんか?」

「――何が目的や」


 うん?と言って、飛鳥は腕組みをした。少しの間考えるような目つきをして、じっと一葉をみつめる。


「とりあえず、『遭遇』から起きてる発火現象と超能力とを調べることやな。今は日本政府なんてあってないようなもんやし、実質、まだ勢力の残ってる企業あたりがまとめてる感じやろ。発火と超能力も、そこらへんが調べてる。一応、協力体制とってな。とっとと解決策見つけな、いくらなんでもこの先荒れる一方やろうし、鎖国しっぱなしもきついからなあ。で、さっきおったエリさん。タシロって会社知ってるか? おもちゃで有名やけど、実は、日用雑貨や薬剤の分野にも手を出してる。エリさんは、そこの経営者側。タシロも、発火と超能力を解明しようとしてる企業で、ここはその拠点」


 そう言ってつかつかと近付いてきたかと思うと飛鳥は、タオルで作った輪の中に一葉の右手首をとらえ、引っ張った。


「続きは移動してにしよか。こんなところで立ち話もあほらしい」


 一葉の返事も聞かずに、タオルで一葉を捕らえたまま歩き出す。一葉も、とりあえず大人しく従う。不思議と、腹は立たなかった。

 さわられるのがイヤだと言ったことを受けて、生真面目に直接は触れずにいてくれるからだろうか。

 単に、飛鳥の発するどこか気の抜ける空気のせいかもしれない。優等生のような外見をしながら、雰囲気は違うのだから妙な奴だ。

 そんなことを考えているうちに階段を下り、三階の、一葉がはじめに寝かされていた部屋へと戻ってきた。

 使っているのは先ほど一郎たちがいた部屋と同じ側にかたよっているらしい。隣の一番端が飛鳥で、向かい側をそれぞれ蔵之輔と恭二が使っていると言っていた。

 改めて見た部屋の中は、備え付けの本棚や簡易の本棚と資料の並ぶ中に無理矢理にパイプベッドを入れたのが丸わかりだった。


「ちょい待っといて」


 すっとタオルを引いて、飛鳥が立ち去る。

 一葉は、ベッドに腰掛けて、そのまま後ろに倒れ込んだ。少し高く感じる天井が見えた。

 不意に、一郎の言葉と眼差しがよみがえる。


 ――逃げるか?


「うるさい」


 思わず声がもれた。

 逃げるも何も、勝手に連れて来たのはそっちだ。何も知らないくせに、一方的に好き勝手言って。

 いくつもの感情が、言葉にはならないまでもふくれ上がり、一郎の言葉に反発する。無性に、腹立たしかった。

 その言葉通り逃げてやろうかと、ふと思った。いや、逃げるのではない。出て行くだけだ。

 飛鳥はここで「遭遇」以後の変化を調べていると言ったが、一葉がどうやってそんなものに協力できるのかはわからないし、協力しようとも思わない。

 ゆっくりと休ませてもらって食事までもらったぐらいの義理はあるかもしれないが、それも、向こうが勝手にやったことだ。

 世界がどう変わろうと、一葉の生きていく方法に変化があるとも思えない。

 そう考えついたのに、何故か、体を起こすことすらできなかった。ただぼんやりと、質素な天井を見上げる。


「入るぞ。お湯持って来たから、体ふいとけ。湯船張ってもいいんやけど、風呂入ったら意外に体力使うからなあ」


 慌てて一葉が体を起こす。飛鳥は、バケツと手ぬぐいをかかえて入って来た。

 立ちのぼる湯気のせいで、眼鏡が真っ白になっている。バケツを床に下ろすと、早々に眼鏡を外した。


「ん? 何かついてるか?」

「…眼鏡」

「うん?」

「外すと間抜けヅラやな、あんた」

「うっわー、言うかそういうこと。そりゃ雰囲気出すためだけのダテやけどさあ。ほれ、手ぬぐい。とりあえず着替え。ああ俺、部屋出た方がいいか?」


 顔をしかめながらも、なかば笑っている。笑顔は、眼鏡がない方がくっきりと見えた。


「別に。女でもないし、関係ない。――それより、続き」


 とっさに引き止めてしまった自分に戸惑いながら、一葉は、急いでその理由を探した。

 渡された手ぬぐいをそのままに、とりあえず上着を脱ぐ。

 ついでシャツのボタンを外しながら、冬になる前にコートか何か手に入れないと、とぼんやりと思った。

 飛鳥のものなのか渡されたスウェットはくたびれた感じはあるが清潔で、垢じみてきていた今着ている服とは随分と違う。

 一葉は、自分がわざと飛鳥を見ないようにしていることに気付かなかった。

 飛鳥も、気付いていない。眼鏡のくもりをぬぐい取り、椅子を探したが見つからず床に直接腰を落とした。


「俺、説明とか論理的にとか、苦手なんやけどなあ。わからんとこあったら、遠慮せんと言ってくれな」


 理路整然としていないことにいら立ちそうな外見のくせに、情けない事を言う。

 一葉は手ぬぐいを湯にひたし、がりがりの体をぬぐった。湯を使うのは、いつ振りだろう。

 天災があったわけではないからガス管も電気も水道管も無事なのだが、それらを動かす人が減ったせいで、止められている地域も多かった。


「ここで発火や超能力なんかを解明しようとしてるって言ったやろ? まだ途中やけど、検査器具ももっと入れることになってる。人も集めるって言ってたな。今は、いろんなところに協力頼んで移動しまくってるけど。でな。設備以上に、とにかく、被験者を集めな話にならんのや。発火は遺体を調べるしかないしそっちは他のところに頼んでるから置いといて、ここで調べるのは生きてる奴ら。超能力を持った奴がどのくらいおるかわからん。政府としても、これ以上の混乱は避けたいからってまだ公表はしてないしな」


 上体をぬぐい、何度か手ぬぐいをすすいだ湯は思った以上に黒くなったが、構わず一葉はもう一度すすぎ、手ぬぐいをバケツのヘリにかけてズボンを脱いだ。


「とりあえず、岬には検査を受けてもらいたいんや」

「人体実験?」

「あほ。俺らも受けた。数は多いけど、痛いのは血を抜いたり注射するくらいや」

「――俺『ら』?」


 思わず顔を上げると、飛鳥は視線を本棚のあたりに向けていた。眼をそらしてくれている。新鮮な反応で、少し驚いた。


「俺と、京と恭二と。ついでに言えば、さっきの三人とクラも同じ検査を受けた。誰かが発火したときに使えるかも知れん、ってさ。…実は、岬が気絶してた間に、いくつかの検査と採血はさせてもらってる」


 睨み付けると、覚悟したようにこちらを向いた飛鳥と目が合った。


「無断で悪いと思うし、怒るのは当たり前や。謝れ言うなら、土下座でもしたる。でも検査結果は使わせてもらうし、できるならこのまま協力してほしい。もっと言うなら、全然人手が足りてない状態なんや。仲間になってほしい」

「――仲間、って、ナニ?」


 ほとんど裸の状態で、だが気温のせいでなく、一葉は冷えるのを感じた。寒い。

 飛鳥は、悩むようないぶかしむようなかおをしていた。


「さっきも言ったな。仲間を見つけた、って。なあ、仲間って何? あんたらのスウコウな目的のために協力したらいいん? 俺が、物浮かしたりできるから? ――利用したいだけなら、はっきりそう言えや」


 優しくして、魅力的ないくつかの条件をちらつかせて、それでも、はじめからただ利用するだけだと言われていれば、迷ったりはしない――期待など、抱いたりしない。


「都合よく利用するだけなら、そう言えばいいやろ。こんなゴジセイや、喜んで使われたるわ。でも、見えすいた仲間ごっこはごめんや」


 すっと、飛鳥の表情が消えた。眼鏡の向こうから、冷え冷えとした視線が突き刺さる。図星を突いたかと、一葉は思った。寒さが増した。


「どうやってお前を見つけたか、不思議に思わんかったか」

「はぁ?」

「お前がおったんは、ここから十キロ近く離れたところやった。しかも、人気のない廃工場の中。なんで見つけられたか、不思議に思わんかったか」


 それはたしかに、疑問に思った。

 一葉が無言で睨み返しても、飛鳥の表情に変わりはなかった。ああこれが能面みたいって言うんかなと、ちらりと思った。


「恭二は、声に出してない、考えただけのことも聞こえる。今は大分調整できるようになったけどな。その恭二が、誰かが泣いてるって言って来たんや。今では聞こうと思わん限り人の考えが聞こえんなった恭二が、そう訴えてきた。悲しんでる、このままやと――自分みたいになるって。恭二は、『遭遇』の前やけどつらいことがあってな。どうすればいいかわからんで、ずっと引きこもってたらしい。その間のことは、厭な時期やった、って一言。まだ話すこともできん。そんなやから、そんなのはあかんって、なんとかしたいって言って来たんや」


 それで二人で自転車に乗ってきたなどということになったのかと、一葉は納得した。

 しかし、だから何だというのか。先ほどの一郎と似たようでどこか違う視線は、相変わらず一葉を射抜いている。


「お前が俺らを信用できんのは仕方ない。俺らが利用してるだけやと思いたいなら、それでいい。でも、お前がここに残るなら、俺らはお前を仲間やと思う。ごっこやとは誰も思わへん。だから、そう思っても俺以外には言わんようにしてくれ」

「――はっ、わけわからん」

「苦情窓口はこちら、ってことや。他、何か質問あるか?」


 元のどこか気の抜けた空気をまとい、飛鳥は首をかしげた。もう先ほどまでの厳しさはどこにもなく、その落差に戸惑う。


「ないなら、そろそろ寝るわ。朝食は、地下の食堂で六時から。朝だけは外出してる奴以外一緒にとることにしてるんや。起こしに来るな。ああ、バケツ置いといたらいいから」


 一葉は返事ひとつしなかったが、飛鳥は、立ち上がって凝りをほぐすためか背伸びをすると、ドアノブに手をかけた。

 閉める前に、振り返ってああそうや、と付け加えた。


「俺、隣やから。何かあったら声かけてくれ」


 おやすみ、と、戸は閉められた。

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