「アホ、そんな問題ちゃう!」
元はタシロ(株)の研究施設だった建物――なかば冗談で「基地」と呼んでいる――で、
その間を一葉は、移動と検査と念動力の訓練と、合間には適当にぼーっとして過ごした。
生活を始めてまず驚いたのが、食事量の多さだった。
鎖国状態になっていてもある程度の輸出入は行われ、逆に、各国からの援助物資も多い。国内の人口が減った分だけそれらが行き渡りやすくなっているというが、一葉には初耳だった。
しかも、だからといって特別に量を多くしているというわけではないらしい。
実際、成長期だと主張する
「はい、あれで検査は終わり。おつかれー。結果をどうこうするのはボス連中に丸投げや」
この間、ほぼ付きっ切りで一葉の検査に付き合っていた飛鳥がそうにこやかにつげ、自転車を発進させた。
場所によっては、単車もあった。
「とりあえず、今日残りは自由時間。何かやりたいことあるか?」
「別に…クラさんでも見てる」
この頃では、一葉も基地での生活に慣れてきて、食事などの当番も一人で割り振られるようになった。
基地の人たちとのやりとりもそこそこある。
恭二は、元が無口なのかろくに会話はないが、それでも気まずさはなかった。
三人の大人たちにはどうにも子どもあつかいされるのが難点だが、気付けば観察されているような一郎をのぞけば、特に問題はない。
意外にも蔵之輔が一番付き合いやすく、どこをどうやって完成するのかもわからない機械いじりを見ているのも面白かった。
飛鳥は、あの日以来厳しい空気を見せることはなかった。へらりと笑い、一葉にも分けへだてなく接する。
むしろ、慣れない生活だからと気遣ってくれることの方が多い。
大人たちまで含め、この集団の実質のリーダーは飛鳥だと、一葉にも断言できるようになっていた。初日に言った「委員長」は、本人がどう思っているかは別にして、謙遜でしかない。
そして一葉は、この集団から離れがたく思っている自分に、じわじわと気付かされてきている。
「ふうん。ま、とりあえず帰ったら昼飯やな」
のんきに鼻歌を歌いながら、飛鳥はペダルに力をこめる。その背にしがみつくようにして荷台に腰掛ける一葉は、ひとつの決意を胸にした。
利用されていてもいい。捨てられなければ、最後まで使ってくれれば、それでいい。――母が、そうしてくれたように。
だから一葉は、夜を待った。
基本的に、基地の就寝は早い。電気の使用量が夜間は制限されることもあり、例え満月の夜でも、やれることが限られてくるからだ。
それなら、今の時期は夜明けが遅くなって厳しくなってきたとはいえ、早朝に起きて行動した方がいい。
だから夜間は大体が、ロウソクをともして急ぎの作業をしているか窓辺で話をしているか。自室に戻っていれば、眠っていると見てまず間違いがない。
一葉は音を立てないよう注意しながら、ドアノブをひねってわずかに戸を開け、すべり込んでまた静かに戸を閉めた。鍵もかける。
静かな行動とは裏腹に、心臓はうるさい。失敗したら眼も当てられない。
だが――どうせ離れるなら、早い方がいい。
「飛鳥」
暗闇の中で足音を立てずにベッドに近付き、口付けるようにして囁いた。数度繰り返すと、うーんといううなり声と共に、眠たげに目が開いた。
すかさず唇を重ねる。舌をからませると、まだ寝ぼけているのか反射的にか、飛鳥の方からも反応があった。
が、しばらくして、肩をつかんで遠ざけられた。勢いよく飛鳥の上体が跳ね上がる。
「――っ、おまっ、一葉?!」
「静かに。大声出したら、他のやつらが起きるやん。大丈夫、俺、下手な女より上手いから」
「アホ!」
耳が痛くなるほどの怒鳴り声。一葉は、肩をつかむ手を握った。
「男はあかん? でもためしてみるくらい――」
「アホ、そんな問題ちゃう!」
それだけ言って、言葉につまる。顔が見えなくても、怒っているのがわかった。
ああ――やっぱり。無理だった。
「ごめん、ジョーダン。このくらいで怒るなって」
「ジョーダンって――おい!?」
逃げるように部屋を出た。
そのまま二階までかけ下り、廊下の突き当たりにある窓を開ける。そこからは、木の幹が見える。
一階から出ようとすれば蔵之輔が仕掛けている防犯機器に引っかかり、基地中の人間を起こしてしまう。
木をつたって塀を越えれば、着地の距離さえかせげば問題ない。早々に見つけていた外出方だ。
もう、戻るつもりはない。
こんなにも平穏な生活が続くとは、思っていなかった。ずっと続けばいいと望んで、裏切られるくらいなら――壊してしまった方が、いい。
一郎はこのことを言っていたのかと今更に気付いて、一葉は口元をゆがめた。
「ばいばい」
最後に見上げた「基地」にそうつぶやいて、ひたってるなーと苦笑して背を向けた。
はじめが身一つなら終わりも身一つでいい。
着ている服は違うが、そのくらい見逃してもらおう。服のポケットに、渡されたままになっていた玩具の時計が入っていることもすぐに思い出したが、これもおまけだ。
そう思いながら、わざと足取り軽く歩き出す。
誰かがついて来るのに気付いたのは、数百メートルを歩いてからのことだった。
一瞬だけ飛鳥かと思ったが、それなら、ひそんでついて来る意味がわからない。どうも、尾行者は見つかっていないと思っているようだ。
「誰? 何の用?」
考えるのも面倒で投げやりにかけた言葉に、わかりやすく、足元にあったらしい空き缶か何かを蹴飛ばす音がした。
「用があるならとっとと言ってくれへん? こそこそ、むかつくんやけど?」
本当にいら立って、まだ十分にはあやつれていない念動力を使えるように身構える。
どんな反動があるかわからないから無闇に使うなとは言われているが、これがあれば、一人でも生きていくのに苦労はないだろう。
勢い余って蹴り飛ばされた何かが破裂すると、猫を押しつぶしたような声が上がり、恐る恐る、といった様子で黒い人影が姿を見せた。
「よ、よお…わかるか、俺や」
「――
「そう! あー、よかった、わかってくれて」
おどろきに立ち尽くす一葉に気付かず、逃げて行ったはずの相棒は近付いてくる。両手を上げているのは、害意はないと示すためだろう。
「あのときはすまん! いきなりで、驚いたんや。その…ゆるしてくれる、か…?」
「何で…こんなとこ…」
聞き慣れていた声は心底わびるようで、いよいよ一葉は困惑する。
「あの後探して、見掛けたんや。そのときは誰か一緒におったから声かけんかったんやけど…あいつ、誰やったんや?」
「それは…」
「いや、言いたないんやったらいい。それより、俺、チーム入ったんや。超能力持ってる奴がいっぱいおるんや。あそこなら、お前も安心しておれるやろ。それどころか、幹部にもなれるで」
ついて行く気になったのは、まずそうなら逃げればいいと思っただけのことだった。特に行くあてもないから、その程度ならかまわないと思った。
ちょっと遠いけど、と言って歩き出した慶介は、道中喋り通しだった。
何度も謝罪を口にして、この半月の出来事を面白おかしく、おそらくは多少脚色して話す。一葉は、適当に相槌を返すだけだった。だが、何も考えなくていいから、楽だ。
着いたのは、何かの工場だった。一葉と慶介がねぐらにしていた工場とは違い、少なくとも『遭遇』前までは稼動していただろう。
隣には社員寮があり、そこで寝起きしているのだという。
「スゴイやろ?」
「ああ…そうやな」
なぜこんな場所を好きに使えるのか、他にいる超能力者はどんな奴でどんな力が使えるのか。
きくべきことは山のようにあったが、道中も到着した今も、きく気になれなかった。興味がない。
だがさすがに、寮ではなく工場の扉を開けるのは不思議に思った。
「なあ、慶介」
「ごめん」
え、と首をひねると、一葉だけを通して閉められた扉だけが眼に映った。
「何――」
「やあ、また会えたな」
一葉は眼を疑い、ただ、立ち尽くした。
工場の中はやはり電気統制のせいで電灯はついていなかったが、蝋燭や懐中電灯はつけられていた。
そこに浮かび上がっているのは、いくつかの顔。
そのうちの一人に見覚えがある気がして、しかしそれ以上に、明らかにイントネーションの違う声に、よみがえる記憶があった。
廃工場に来た、三人組。今は、それ以上に顔触れも増えている。
「お前ら…?」
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