「結果オーライってことで」

 これは何の冗談かと聞きたかった。理解が追いつかず、とにかく何かをきこうとするが、それどころではなくなった。

 視界がゆがむ。めまいに襲われ、立っていられずにひざをついた。

 下卑た笑い声が聞こえた気がするが、一葉は、頭を叩き割られたような衝撃に耐えるのに精一杯だった。


「…っ、ぐっ…」

「うわーきったねー、吐いたぜこいつ」


 眼を開いていても焦点が結べず、かといって目を閉じれば、痛みと気持ち悪さしか感じられなくなる。

 念動力を使って今この能力を使っている者をどうにかしようとしても、意識がまとめられない。暴走ならともかく、今の一葉には、念動力を使うにはかなりの集中が必要だった。

 それがどのくらい続いたのかわからない。

 気付けば一葉は、リノリウムの床にうずくまっていた。わずかにひいた衝撃に息を整えていると、髪をつかんで引き上げられた。


「すごいだろ? こんな目にあいたくなかったら、俺たちに従え」

「そうそう、たっぷりかわいがってやるからさぁ」

「PKだっけ? 人吹っ飛ばせるくらいなら、色々使い道あるよな」

「ふざ、け――!」


 眼がくらむ。一瞬、息すら止まった。げらげらと笑う声が、頭に響く。

 涙がにじんだ。いっそう、笑い声が大きくなる。

 何度か似たようなことが繰り返され、一葉は、あらがう気力もなくして床に横たわった。

 痛みはひいているはずなのに、焦点が定まらない。涙も、止まらなかった。


「ま、今日はこんな――なんだ?!」


 何が起きたのか、何かが割れる音と爆発音がしてほとんどの明かりが消えた。一葉はうつろに、床に転がっている。男たちは、何か騒いでいるようだった。


「一葉、立てるか?」

「――あす…か…?」

「立てるか? 無理?」


 二度と聞くことはないと思っていた飛鳥の声がして、体が持ち上げられた。少し運ばれ、そっと下ろされる。


「ちょっと待っとき」


 惰性でなく、一葉の感情で涙がこぼれた。

 離れて行った飛鳥が何をしているのか、一葉にはわからなかった。ただ、人を殴るような鈍い音や、悲鳴じみた声があちこちから聞こえた。


「なっ、何で効かねぇんだよ!?」

「万能やとでも思っとったか? お前のそれは、ただ、ほんの少し脳に働きかけられるだけや。たったそれだけのことで有頂天になるなんて、安いなあ?」


 静かな、いだ声だった。ああそうか、と、一葉は気付いた。あの時と同じこの空気。あの時も今も、飛鳥は怒っていたのだ。


「お、俺の後ろには、広崎工業があるんだぞ!」

「ああ、ヤーさんが名前変えたあそこ」

「そ、そうだ!」

「で。それがどうした?」

「なっ」


 深々と、溜息の音が聞こえた。


「それで? ちょっと人と違う力が使えて、暴力団の支援があって。それで? たかだかそれくらいのことで俺の身内に手ぇ出したんやったら、後腐れないようにここで息の根止めたろか? 気にするな、広崎とはきっちり話つけといたるから。まあ、死んでもとったら気にする必要もないわな」

「っ、わあぁあぁあっ」


 鈍い音と人が倒れたような音がして、しんと静まり返った。

 一葉は、ゆっくりと体を起こそうとした。と、足音がして手が支えてくれた。


「もしもーし、終わった。――ああ、出るわ。遅くなる思うから、先に寝といていいぞー。――おう。じゃ。――一葉、無理するな」


 飛鳥に支えられて、どうにか座ることができた。すぐ後ろに壁があったので、そこに寄りかかる。

 口に何かがあてがわれ、かたむけられた。口に入ってきたのはスポーツ飲料で、ペットボトルだとわかった。

 ゆっくりと流れ込むそれをむさぼるように飲んで、一息つく。


「あいつら…は…?」

「急所思いっきり殴ったしとりあえず両手の親指結び付けといたから、まあ大丈夫やろ。それより、気持ち悪ないか? 帰ったら、念のため検査してもらお」

「帰る、って…」

「戻らんつもりか? あそこ、いややったか?」

「違う…違う、から…裏切られたら…俺、もう立ち直れへんから…」

「あああもう、お前って奴は」


 盛大に溜息をつかれた。先ほどの男に対してのものとは違って、力いっぱい気が抜けたような、そんなものだった。

 そして、手荒く頭をなでられる。


「なんでそう、悪い方向に考えるかな。っていうか、俺らに失礼やぞそれ。頼むから、信じてくれよ。あー、もしかしてあれか? 俺のせいか? 利用されてる思うならそのままでいいとか、言って悪かった。微妙に八つ当たりやったんや。悪い、ごめん、ごめんなさい!」


 ――八つ当たりってなんだ。


 ぽかんとする一葉に気付かず、飛鳥はひたすらに謝り倒した。

 やがて、おかしくなって笑ってしまう。こんな風に笑うのは、どれだけ振りだろう。


「別に、飛鳥のせい違う」

「そう言ってもらえると助かるわー。って、それでいいんか? あれ?」


 笑いが止まらない。妙に晴れ晴れとした気分になって、何かが吹っ切れた気がする。

 ぬくもりを感じたくて、飛鳥のほおにふれた。

 耳元で固いものに触れ、眼をこらすとインカムが見えた。先ほど何か言っていたのは、これを通じて基地の誰かにだろうか。


「――でさ。きいていいか迷うんやけど…さっきのあれ、どういう…?」

「さっき? ――ああ、そっか、さっきか」


 随分と前のような気がしたが、ほんの何時間か前の出来事でしかない。そういえば夜這よばいをかけて玉砕したんだったと、一葉は苦笑した。


「ほら、愛人にでもなったら捨てられへんかなと」

「アホか!」


 軽い調子で口にして、笑い飛ばされるかと思ったら本気で怒られた。

 思わず身をすくめると、ぎゅっと抱きしめられる。ほとんど怒鳴り声になった飛鳥の声が、頭に響く。


「自分を大事にしろ! なんでお前はそう、ムチャクチャなんや! アホ!」

「でも…」

「いつかほんまに好きな人ができたときに、苦しむんはお前なんやぞ? お前、あの時手ぇ震えとったん気付いとるか? さわれられるのいやになるほどやのに、無茶すんなボケ!」

「――ごめん」

「俺に謝ることちゃうわあほ」


 力いっぱいに抱きしめられて、飛鳥の心臓の音が聞こえた。目を閉じると、涙がこぼれ落ちた。

 今まで感じたことのないやすらぎに満たされ、一葉は、鼓動に耳をすませた。その一方で感情がたかぶって、無性に泣きたくなる。

 それがどれだけの時間だったのか。長いような短いような気がする。


「――帰るぞ。立てるか?」

「うん――あ」

「無理なら無理言え」


 ごくごく自然にかかえ上げられる。

 前に宣言された通りにお姫様だっこで、先ほどといい、いくら一葉の体重が軽いといっても、軽々と抱え上げられると驚いてしまう。


「飛鳥って、意外にブトウ派?」

「意外には余計や。仕方ないやろ、俺のは荒事に向く能力ちゃうんやから。きたえとかな、下手したらあっという間にオダブツや」


 工場から出ると、慶介ケイスケの姿はなかった。飛鳥に出くわして、どこかに逃げ出したのだろうか。

 そんな人間を信用して、本当に受けいれてくれた飛鳥たちを信じ切れなかった自分に腹が立った。


「飛鳥の能力って?」

「超能力者を見たら、どんな能力かがわかる」

「…だけ?」

「おう。ああ、ちょっとは超能力に免疫あるみたいやけど、元からなんかミヤコ恭二キョウジの訓練に付き合ったからかはわからん。――ああ、こういう話もはじめからしとけばよかったな。信じさせてやれんで、ごめん」

「――五十崎イカザキさんが言って通り、俺が逃げてただけや」

「まあおじさんも、経験者やからな。昔の自分見てるみたいやったんやろな」

「――…え?」

「気になるなら自分できけ。おーい、撤収終わったか?」

「おー。効果あったか?」


 ひょこり、と、人影が出て来る。

 思わず身体を強張らせた一葉を、飛鳥があやすようにかすかに揺する。それに励まされてよく見ると、最近見慣れてきていた、蔵之輔ゾウノスケの姿だった。


「多分な。こまかい話は後や、とりあえず帰ろ」

「ああ、そうやな。ミサキ、ケガないか?」

「それを一番にきくべきやろ、機械オタク」

「うっるさい、何かあったらお前が騒いでるやろ。だからきかんかっただけや」

「減らず口め」


 二人のやり取りを聞いてるとまた泣きそうになって、一葉は、強く眼をつぶった。手を持ち上げようにも、重く感じられて上がらない。


「なんで…ここ、わかったん。また、恭二?」


 自分の安否が話題にされるのがむずがゆく、唐突に変えた話題に、二人が笑ったのがわかった。まるで、イタズラが成功した子どものような。


「変身バンド、持って出てくれて助かったわ」 

「まさか発信機が、こんなに早く役に立つとは思わんかったけどな。想定しとった距離以上にも使えるみたいやし」

「…発信機?」

「ああ、それも話してなかったか。まあ、話しとったら捨てられてた気がするから、結果オーライってことで。あとでまとめて、全部説明するわ。とりあえず帰ろか。一葉、悪いけど自転車やからな。一応結んどくけど、しっかりつかまっとけよ」


 用意していたのかそなえ付けか、幅広のバンドのようなものを出してきて、飛鳥は自分と荷台に乗る一葉の体を結びつけた。

 隣に並ぶ蔵之輔の自転車には、ビデオデッキのような機械やよくわからない部品がのせられている。


「行くで」


 暗い夜道を、自転車が走り出す。ふれた体が、温かかった。

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