「協力してくれる?」

「改めて、自己紹介でもしましょうか? 株式会社タシロ社長の娘に当たります、田代タシロ恵梨奈エリナです」


 そう言って、受付嬢は笑顔を見せた。ぽかんとした飛鳥アスカを見て、大人びながら若々しい恵梨奈は、悪戯いたずらが成功したように小さくガッツポーズを決める。

 叔父の勤務先、タシロの第二研究所、姫路支部でのことだ。

 叔父を訪ねるたびに言葉をわしていた女性は、いつもは肩にらした長い髪を紐一本でい上げ、制服の白いブラウスをひじまでまくし上げていた。


「こっちははじめまして、やね。ミヤコちゃん?」

「…叔父が、お世話になってます」

「いえいえこちらこそ。うん、五十崎イカザキさんが自慢するだけあるわ」


 そう言ってからからと笑ったと思うと、みを収め、真面目な顔つきになる。

 すっと上げられた視線は、飛鳥と京の後方に立つ叔父に向き、再び飛鳥たちをとらえた。


「昨日の今日やし、正直、私も何がどうなってるのかよくわかってない。噂段階やけど、父が焼死したとも聞いてるし」

「え」

「気にせんといて。元々私とあの人は親しかったわけでもないし、ほんとのところどうなのかもわからへん。電話やって、通じるだけ大したものやってわかってても、こうも通じひんとねー。ただ、兄が社長代行になったとは聞いたし、こっちでは私の好きにしていいって許可も取った」


 ふうと、つかの間天井を見上げて、恵梨奈は肩をすくめた。

 妙にそんな仕草が似合って、飛鳥はどきりとした。それでなくても、いつものかっちりとした格好ではなく着崩した服装に、どぎまぎしているというのに。こんな状況でも、飛鳥は青春真っ只中の青年なのだ。

 だが恵梨奈が向けた視線は、冷酷なほどに冷静だった。


「さっきまで、出来る限りのここの社員の生存確認は取った。うちで燃えた人もいるし、それどころじゃないのと連絡が取れないのとでここに来れそうもない人が大半。人手は、あればあるだけありがたい。少なくとも私と同程度、あなたたちの衣食住を確保する代わりに、協力してくれる?」

「何にですか」


 京が、こちらもどちらかと言えば冷たい声音で訊き返す。飛鳥は、いつもとどこか違う様子に、昨日急に表われた能力のこともあり、一人はらはらする。


「原因を突き止めたい。阻止できるものなら、阻止する。私もいつ燃え出すかわからへんから、慈善事業なんてつもりはないよ」

「具体的には、何を?」

「さあ。もう少し落ち着いてくれな見当もつかへんけど、五十崎さん、お医者様のご友人がいらっしゃるそうで?」

「ああ、さっきまでそいつのとこにおった」

「良ければ、ここを使ってもらっていいから、協力していただけませんか。他にもいくつか、既に声をかけています。これでも顔は広いんですよ。老舗しにせは老舗ですから、うちは」


 そうにっこりと三人に笑いかけ、恵梨奈は、半ば睨みつけている京に視線を戻した。


「今考えてるのは、生き残ってる人たちの検査と焼死した人たちの検査。比較して、何が違ってたのかを調べたい。まずはそこが第一歩。もっとも、具体的にどうしたらいいかは、私にはわからへんのやけど」

「人任せってこと? いい加減ですね」

「うん、まあね。その代りに、私は私に出来ることをする。そのためなら、タシロの人脈でも資金でもコネでも、何でも使うわ。もっとも、今となってはそれがどのくらい有効か」


 余裕の笑みを浮かべる恵梨奈に対して、強張こわばった表情の京は、どう考えても分が悪い。

 一体何にそこまで頑なになっているのかと考えかけた飛鳥に、はたとひらめいたものがあった。

 京は叔父が好きだ。

 それが肉親(もっとも血のつながりはない)に対するものなのか、それを超えてしまっているのか、実のところ飛鳥にはわからない。ただ、兄の自分よりも確実にしたっている、ということだけは情けないながら自信がある。

 そして恵梨奈は、京よりも余程、叔父の隣に並ぶのにお似合いだ。

 まさか、まさかこんな事態の最中に嫉妬しっとか。


「俺は協力しますよ。途方に暮れてましたから、渡りに船で丁度いい。二人はどうする?」


 気付いているのかどうか、叔父はしらっと、さわやかと言えないこともない、いつもの何か考えていないふりをして何か考えているかのような様子で恵梨奈に協力を申し込み、飛鳥たちに話を振る。

 京がどう反応したものかとはらはらして様子を窺うと、飛鳥をちらりと一瞥して、視線をうつむかせた。細い指がわずかに、飛鳥の服のすそを引く。

 それは、幼い頃から変わらない飛鳥への判断の完全委託で。

 久々やなと、飛鳥は半ば状況も忘れて苦笑した。

 幼い時分から決して人見知りでも引っ込み思案でもなかった京が飛鳥に丸投げするのは、本当にどうすればいいのかわからないか、どうすればいいかはわかっていてもそうしたくないとき。

 これを頼られていいと取っていいのかは迷うところだが、飛鳥は、厭ではなかった。

 京がその態度を取るのは飛鳥だけで、それなら、ここにいていいと思えるから。


「確認なんですけど、断ったらどうなりますか? それと協力って、俺らに何ができますか?」

「断られたら、悪いけどここで面倒を見るとは言えへん。五十崎さんの身内やし飛鳥君とは知らん仲でもないから、無事でいてほしいのはやまやまやけど、実のところ、ほんとは自分一人養っていけるとも断言できへんのが現実やし。余裕があればおってもらってもいいけど、いつまでとかの保障はできへんわ」


 さばさばとした即答は、あらかじめ回答が用意してあったのか、既に他の誰かに訊かれていたかなのだろう。

 恵梨奈がおそらく無意識に前髪を払った仕草が、わずかに感情を表しているようにも見えた。


「君たちにやってもらいたいのは、まずは検査を受けること。データは、多いほどいいから。あとは、そうやねえ、交代で家事と検査器具や病院の機能を持ち込んでくるなら、その手伝い、かな。雑用が中心になっちゃうけど」

「ああ、それは問題ないです。…俺らも協力したいですけど、ひとつ、条件出していいですか?」

「…言ってみて?」


 慎重、というよりはいぶかしげな恵梨奈に対し、飛鳥は短く息を吸った。さて、説明できるほどに落ち着いただろうか。そもそも説明は苦手だ。


「俺ら、昨日の朝から妙なことができるようになったんです。多分、超能力みたいな」

「えっ、と…テレパシーとかテレポートとか、ってやつ?」


 あまりに予想外だったのか、ぽかんとした顔には呆れの色すら見えない。その表情が幼く見えて、少し、飛鳥の張り詰めすぎた緊張がゆるむ。


「俺らはできませんけど、多分、田代さんが思ってるのとそう違ってないと思います。今はまだ…危ないから、証拠とか見せられませんけど、信じてもらえます?」

「…それが、条件?」

「いえ、これは前提」


 不思議そうな恵梨奈を見つめたまま、飛鳥は先を続けた。

 叔父や京の反応を知りたい反面知りたくなくて、いっそ不自然なほどに、恵梨奈の眼だけを見つめる。


「この能力は、人体発火と関係があると思うんです。それに、超能力を持ったことでどれだけの負担がかかるかもわかりません。そのあたりの解明とフォローも、並行してやってもらえませんか」


 沈黙が降りたが、飛鳥は恵梨奈から視線を切らなかった。切れなかった、と言う方が正しい。

 言うことは言ったが、笑い飛ばされるか気味悪がられるか。

 呑んだふりをして誤魔化すくらいなら時間をかけて説得もできるかもしれないが、相手にされなければどうしようもない。


 一通りの検査は叔父の友人の岩代イワシロタダスのところで受けたが、継続して受けられるかはわからない。

 岩代は小さな個人医院の主でしかなく、もし要請を受けて協力するようになれば、恵梨奈を無視して話を進めるわけにはいかないだろう。

 飛鳥が恐れているのは、恵梨奈に言ったうちの、体への負担だった。

 能力の制御コントロールも必須だが、人のいない広い空間くらい探せば見つかるだろう。何しろ、昨日から日本の人口は激減しているのだ。

 その上、急遽内外の人の移動を禁じる鎖国体制も取られている。これは、他国が警戒しての半ば外国からの強制でもある。今のところ、人体発火は日本列島限定らしい。

 これらの情報を把握しているのは、驚いたことに、水道や電気、ガスといった生活基盤の諸々をはじめ、放送やインターネットなどまでもが保持されているためだ。

 さすがに通常通りとはいかないが、地震や台風の直撃といった被害ではないためか、火事に巻き込まれたり突然のことに事故が起こったのでなければ、人手不足なだけで依然として設備自体は保たれている。

 だから今のところ、国としての体裁を保ち、各地での大規模な略奪や強奪は起こっていないということだ。もっとも。そのあたりは時間の問題だろう、とは、岩代医師のげんだ。

 その混乱の中に放り込まれ、更に得体も影響も計りがたい超能力を抱えるのは得策ではない。

 混乱しているからこそ、京の能力は使いようによっては防衛に役立つだろうが、使って体がどうなるのかわからないのでは話にならない。

 超能力ものの定番では、負担や原因は脳に集中している。何かあれば、そのまま生死に直結しかねない。


「正直、突然そんなことを言われても信じられへんわ」


 長いような短いような間を取った後、恵梨奈は言った。

 体の強張った飛鳥を前に、でも、と、すぐに続ける。


「今は証拠が見せられへんってことは、そのうちは見せてもらえるってことやんね?」

「まあ…制御できるようになれば、多分」

「それなら、そのときまで信じるかどうかは保留させて。解明は、取っ掛かりがわからへん以上、あたしが考えてる精密検査と一緒でいいね。そして勿論もちろん、君たちには働いてもらう。それでどう?」

「はい。それと――俺たちを、モルモット扱いはせんといてください」


 超能力者は科学者に狙われる。これも、超能力ものの定番だ。京と違って飛鳥がそういった物語を読むのは主に漫画だが、どちらにしても変わりはないだろう。

 恵梨奈は、挑発するように微笑ほほえんだ。


「それも条件?」

「お願いです。…俺が知る限りの田代さんなら、ないと思いますけど」

「うん? それは、信用してくれてありがとうって言うところ? それとも、信用ないって嘆くべき?」


 さあ、といっそ開き直った飛鳥が肩をすくめると、面白くないなあと、恵梨奈が小さくふくれた。どうにか上手くいったようで、飛鳥は、内心で大きく安堵した。

 ただ、これが正しかったのかまではまだわからないのだが。


「じゃあ、お互いに協力するってことでいいね。さて、早速で悪いけど片付け開始。…遺体はあらかた片付けたから、生活できるようにしていこか。あ、その前に一服。お茶入れるわ」

「手伝います」


 叔父と京を残し、飛鳥が立ち上がった。恵梨奈は、一瞬驚いたように振り向いたが、既に歩き出しているので隣に並ぶ。

 腕まくりは掃除のためかと納得した。

 たしかに、仕事をする環境と暮らす環境はかなり違うだろう。中には、叔父のように職場に住み着きかねない例外がいるとしても。


「遺体って、一人でですか?」

「まさか。連絡した家族や研究機関が引き取りに来てくれて、あたしはちょっと手伝っただけ。解剖なりサンプリングなり、やるには持って行った方が手っ取り早いからね。それより良かったん、飛鳥君?」

「はい?」

「こういうときは、女の子がポイント稼ぐものちゃうの?」


 稼ぐにも相手は飛鳥か叔父しかいないが、京が叔父相手にいいところを見せたがるのはいつものことだ。

 そこまで見抜いているとすると凄いなと、飛鳥は、からかうように笑う恵梨奈をまじまじと見つめた。


「ちょっと、そんなに見られると照れるんやけど?」

「あ、すみません」

「んー、そこでもう一押しあると、完璧やのに。でもまあ、それもありかなあ」

「…はい?」

「前から思ってたけど、飛鳥君、もてるでしょ」

「いやないですよそれは」


 仲のいい女の子はいるが、あくまで友達のいきを出ない。だから飛鳥は大真面目に言ったのだが、恵梨奈は、ふうん、と言って一層楽しげに笑った。


「なかなか一歩踏み出せへん子ばっかりなわけか。もしかして、京ちゃんへの兄馬鹿っぷりが知れ渡ってる?」

「兄馬鹿って…普通じゃないですか?」

「いやあ、ないわ。うちも兄がいるけど、あそこまで信頼できへんわ。君のとこは、仲がいい。信頼して、それに応えようとして。あ、紙コップシンクの下にあるはずやから探して」


 給湯室にたどり着くと、恵梨奈は慣れた手つきでコーヒーの缶を出して鍋を火にかける。電気ポットは、使えるがとりあえず線を抜いてあるらしい。


「二人は、コーヒー平気? あ、牛乳あるからカフェオレにしよっと」

「飲めます、コーヒーでもカフェオレでも。…変、ですか?」

「え? 何が?」

「俺ら。そんなに…、変ですか…?」


 飛鳥と京は、ほとんど今は亡き祖母と叔父とに育てられたようなものだ。

 何しろ、父は現在行方知れずで、母はそんな父を探して中東の辺りを彷徨さまよっている。一応、母が派遣記者という肩書きと仕事をこなしているから金銭面での路頭に迷わずに済んでいるが、それにしても、年に一度でも会えればいい方だ。

 父が行方不明になったのは飛鳥が小学校に上がってすぐのことで、二歳年下の京は当時保育園児なりたてだ。その状態で半ば育児放棄されてしまい、祖母はいてくれたが、飛鳥には捨てられたとの思いが強かった。

 父のことも母のことも嫌いではないし、母はメールもくれる。だが、それとこれとは別だ。

 当時大学生だった叔父は休みのたびにまめに尋ねて来てくれたし、勤務先も近所を選んでくれた。祖母も亡くなるまで十分に愛情をそそいでもらったし、伯父夫婦も、海外勤務が決まるまでは度々尋ねて来てもくれた。

 それでも、飛鳥にはすがる何かが必要で、京に必要とされることで逆に依存した。一応、自覚はある。


 恵梨奈は、淡々と粉末のコーヒーをカップに分けた。


「過保護やなあ、とは思うけど、ありちゃう? 正直なとこ、うらやましい。あたし、父と兄とあんまり仲良くないから」


 言われて、父親が亡くなっているかもしれないと言ったときの突き放した態度を思い出す。反応に迷った飛鳥に、恵梨奈は屈託なく笑いかけた。


「そんな顔せんといて? 大体、あたしもあんまり人のこと言えへんし。弟がいるんやけど、あの子にはどうしても甘くって。さ、行こ」

「持ちます」


 四つの紙コップだけが乗った盆は重くはないのだが、咄嗟に手を伸ばす。

 今度は、恵梨奈にまじまじと見つめられた。


「やっぱり、もてへんのは嘘やわ。気付いてないだけに一票」

「だからないですって」

「どこが。顔がよくって運動できて、勉強もそこそこ。その上家事ができて気がくって、どんな優良物件。あたしがおないなら逃さへんわ」

「ありがとうございます。でも、そこまで言われるとさすがに気恥ずかしいです」 

「ほんまやってば」   


 呑気に雑談をしていると、今の状況を忘れそうになる。

 だが、ぽつりとロビーのソファに腰掛ける京を見ると、いつも人がいる状態の建物内を見慣れている飛鳥は、そうかこれは日常とは違うな、と再確認した。


「叔父さんは?」

「電話」


 どこか不機嫌そうな京にコップを渡し、先ほどと同じように向かいのソファに腰を下ろした恵梨奈にも渡し、見回すと受付カウンターの裏から立ち上がった叔父と目が合った。

 頷いて、こちらに小走りに戻ってくる。


「田代さん、電話借りました。携帯電話が不調らしくって。岩代、さっき言ってた医者ですけど、いいって」

「ほんとですか。お会いしたいんですけど、どちらに行けば?」

「ああ。今は患者さんが来て身動き取れないらしいから、夜にでも。案内します」

「ありがとうございます」


 こんな状況でも互いに「仕事仲間」を保つ二人は、よそよそしいような、逆に親しいような感じがして、飛鳥はちらりと京をうかがった。妹は、大人しくカフェオレを飲んでいる。

 先ほどの恵梨奈との会話のせいか、恋愛なあ、と、飛鳥はぼんやり考えていた。

 実は飛鳥の友人にも人気の京だが、もしも叔父への感情が恋心だとして、叶うことはあるのだろうか。

 血がつながっていないから倫理的にも法的にも大丈夫…だろうと思うが、良くわからない。しかしそれ以前に、叔父が京に対してそんな感情を抱くことがあるのか。 

 人体発火よりも超能力よりも、それの方が問題で飛鳥の想像外だ。

 砂糖をたっぷりと入れたカフェオレを飲みながら、飛鳥は、これからの日常がどんなものになるのかと考えをらした。


 ――超能力ものの終わり方に、ハッピーエンドってどのくらいあったっけ? 

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