岬一葉

ぜろ

 それが起こった瞬間、何が起きたのかもろくに理解できず、ミサキ一葉カズハは呆然としていた。


 先ほどまで自分にまたがっていた太った中年男が、全身を炎に包まれ、狂ったダンサーのようにうごめいている。

 肌を接していたせいでわずかに一葉をも炎が掠めたが、その熱を気にする余裕もなかった。


「何…これ…?」


 張り裂けそうになるほどに眼を見開き、一葉は、炎の塊を見つめた。

 だがしばらくして、火達磨から布団やカーテンなどの調度品に火が移ったと気付くや、手早く服を着込み、抜け殻のように放置された男の財布までちゃっかり手にして、部屋から逃げ出した。

 家に戻るまでの道すがら、まだ朝と呼べる時間にもかかわらず暑い空気の中、何本かの火柱を目撃した。あれらの中にも、やはり人がいたのだろうか。

 そして一葉は、たどり着いた小さなアパートに火が回っていると知って、愕然とした。


 中には、母がいる。


 昨夜から今朝にかけて客を取った一葉と違い、めっきり老け込んだ母は、最近では、体の不具合を理由に、一葉の稼ぎに頼りきりだった。つまり今朝も、この古ぼけたアパートの一室で眠っているはずだった。


「母さん!」


 叫んで飛び込んだ我が家には、一本の火柱が、勢いよく燃え盛っていた。

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