「選んだのが死神でもいいなら」

石動イスルギ蔵之輔」

「――フクロウ」


 ぎくりと体が強張こわばったのは、不意打ちのように本名を呼ばれたのと、いるとは思っていなかった人物の声がしたからだろうか。

 しかし同時に、言いようのない不吉な予感を感じずにはいられなかった。

 がりがりの体で背を丸めた青年は、木陰から出て来ると闇の中で眼を光らせた。


「なあ、お前もこっち来るか? お前は、思ってる以上に価値があるらしいわ」

「こんなとこで、何、してるんや」


 声が喉につっかえる。あの子と何か関係があるのかと、訊くべきかどうか迷う。それを訊けば、何か取り返しのつかないことになるような気もした。

 フクロウはただ、にやにやと笑う。


「あいつもようやく、来る決心がついたみたいや。なあ、お前も来いよ」

「あいつ、って――」

「クラが来るなら、オレは行かへん。フクロウ、どっちがいい」


 フクロウの笑いが止んだ。へそを曲げた子どものようなかおを、だが、蔵之輔は見ていない。公園を出てすぐの道路に、彼女は立っていた。

 兵服仕立てのジャケットは体の輪郭を曖昧にし、フードを被って顔を隠し声もこもらせると、声変わり途中の少年のものにも聞こえる。

 蔵之輔は、本当に少女なのかを迷う。つい今しがたのことは夢だったのかもしれないと、思うくらいに。

 だがどちらにしても、蔵之輔はそこに立つ人物をよく知らず、だが、関わりたいと、知りたいと思う。


「行くぞ、フクロウ」

「へいへい」

「っ、待てよ!」


 思わず駆け寄ると、少女は、迎え撃つように蔵之輔に向いた。わずかにうかがえる口元は、真っ直ぐに引かれていた。

 手を伸ばせば掴めそうな、少し距離がありそうな、そんな位置だった。


「――何?」

「さっきの…どういうことや」

「やっぱり色仕掛けは向いてへんから、諦めた。下手に懐いた狼なんて、考えてみたら厄介やし。なあ、クラ? なんでわざわざ夜にここに来るんか、不思議に思わんかった? オレがそう仕向けてたって、気付いてた?」

「なん…そんなこと…」

「研究所行かせたのもオレや。ちょっと興味があって、調べてもらうのに都合よく通りかかったから、行ってもらったんや。オレ、そういうふうに人を操れるから」


 口元をゆがめているのは、笑っているつもりだろうか。フードの作る闇の下には、嘲笑がひらめいていると言いたいのか。

 立ち尽くす蔵之輔から視線を切り、少女は、フクロウを見た。

 みすぼらしい青年は、わずかに怯え、卑屈そうに後ずさった。少女はそこに、すたすたと歩み寄り、腕に触れた。


「笑え」


 ぽつり、と落とされた言葉に、げらげらと笑い声がかぶさった。

 ぎょっとして眼をく蔵之輔の前で笑い続けるフクロウは、すぐに息も絶え絶えになり、笑っているというのに眼が必死に、少女に懇願していた。


「止めろ」


 言い捨てて、手を離す。笑いから開放されたフクロウは、ぐったりと道にくずおれる。

 少女は、蔵之輔を見た。


「嘘やと思う? それなら、クラに試してみよか? 今までもやったんや、大丈夫、何も感じひん。試してみる?」


 よく、体に触れる奴だと思っていた。

 もし本当だとすれば、蔵之輔が理由らしい理由もなく研究所に押し入ろうとしたのも、それなりに疲れていた上に危険なはずの深夜に家を出て公園に来ていたのも、説明がつく。

 そう考える時間を取るかのようにして、少女は笑った。


「追いかけてきたのだって、オレがそうしろってしたから。気が変わったから、やるんじゃなかったと思ったけど」

「嘘だよ」


 声は、ナイフのようにその場の空気を切り裂いた。

 反応したのは、呆然とし通しの蔵之輔よりも、少女の方だった。


「違う!」

「違わない。石動さん、その人はわざと嫌われようとしてる。本当は――泣きそうになのに」

「違う!!」


 頭を抱えるようにして、少女は叫ぶ。それが逆に、割り込んできた声が本当の事を言っていると知れた。

 いつの間にか、公園の入り口の真正面に恭二が立っている。うつむき、言葉も、きっぱりと断言している割に、不安そうに揺れている。


「――なんで?」


 どうにか押し出せた言葉は、格好良くもなくて、劇的なものでもなかった。そんなものは、向いていない。

 少女のそばに行って、ひざまづくように、身をかがめた。隠されてしまっている、目が見たかった。


「一緒におってほしいって言われて、驚いたけど、嬉しかった。なあ、ごめん、俺、君の名前も知らんけど、話すのは楽しかったし、何も知らんことに気付いて後悔した。なんで――離れようとした? 一緒におってほしいって、俺も思うのに」

「あかん!」


 触れようとした手を逃れて、少女は、よろめくように後ずさった。蔵之輔は、それ以上近付けず、ただ、取り乱す少女を見つめた。

 少女は、蒸し暑い夏の夜だというのに、寒さに震えるように自分の身体を抱き締めて、何かから逃れるように首を振る。

 そのあごを伝うのが涙と気付いて、蔵之輔は、駆け寄りたい衝動に駆られた。駆け寄って、抱き締めて、その涙を止められたら、どんなにいいだろう。 


「君の能力やと、感情までは操れへん」


 足音もなく蔵之輔のやや後方に立った飛鳥は、やはり緊張感をどこかにちょっと置き忘れてきたような呑気なかおで、少女に対面していた。

 中途半端な姿勢で硬直している蔵之輔を軽く蹴ったのは、呪縛から解き放つためだろうか。

 少女は、敵意を込めて睨みつけた。


「お前に何が――」

「わかるのが、俺の力やから。君が人に行動を命令できるように、その人が持つ能力を見抜けるのが、俺の能力。だからわかる。こいつが、こんな今にも泣き出しそうなかおしてるのは、さっきの言葉は、君がやらせてるわけちゃう」     


 少女の視線が揺らぐ。

 もう一度、蔵之輔に飛鳥の蹴りが入る。

 立ち上がった蔵之輔は、少女に歩み寄りかけて、身を硬くしたのに気付いて立ち止まった。手を、差し出す。

 飛鳥の言っていることはよくわからず、少女の特技も、見せ付けられたにもかかわらず、夢で見たことのようにぴんと来ない。

 それでも、迷いはなかった。


「おいで」


 少女は、涙に濡れた眼で蔵之輔を見詰め、小さな唇を開きかけた。

 だが、言葉を聞くことはできなかった。

 広くはない路地に走り込んで来た車が止まると、少女は、一瞬躊躇ためらった後に身をひるがえした。

 咄嗟には動けなかった蔵之輔を飛鳥が蹴りつけるが、それよりも先に、隅でうずくまっていたフクロウが動いた。何かを投げつけて、視界が白煙に閉ざされる。


「忍者かよ!」


 飛鳥の自棄やけになったような声に、突っ込むところはそこか、とはさすがに誰も言わず、しかもフクロウの小細工は有効だった。

 数瞬動きを封じられただけで、走り出してしまった車には追いつけなかった。車に乗らずにその辺りにいないかと探し回ったが、徒労に終わった。

 まるで嵐にでも行き遭ったようで、蔵之輔は、公園に作られていたささやかな花壇を囲むレンガに、半ば呆然と腰を落とした。

 ブランコでも半ば地面に埋もれたタイヤでも、ベンチでも、座れる場所はいくらでもあったが、何故かそこになった。


「…クラ」

「何」


 やや距離を置いた向かいで飛鳥と恭二が気遣わしげに見ていることには気付いていたが、何かを取りつくろう気力もない。

 こうなると、夜の闇は色々と隠して味方になってくれる。

 それでも、飛鳥が土下座しかねない勢いで頭を下げたのは、さすがにわかった。


「ごめん!」

「…何が」


 驚いたのと疲れたのと呆っとしているのが混じり混ざって、いつも以上に声が素っ気無くなる。

 飛鳥は、頭を上げようとはしなかった。


「俺…多分、もっとちゃんと動いとったら、お前と話しとったら、こんな風にあの子を見失わんようにできたんや。俺が…引き込んどきながら、隠したままでおらんかったら」

「何の話」


 のろりと顔を上げると、闇の中でぽつりぽつりと、飛鳥が話し始める。恭二はずっと無言で、気配だけがあった。

 「遭遇」以来、超能力を持つ子どもがいること。

 タシロでは、超能力のことも含め、「遭遇」以後の異変に関して調べていること。

 蔵之輔が組み立てていたものは、超能力を無化するためのものだったこと。


「…へえ?」


 信じる信じないは、もう、どうでもよかった。ただ、今日一日だけでも色々とありすぎて、「遭遇」以降の投げ遣りな気分がまた、頭をもたげてきた。

 じっとりとした風を受けながら、うなだれている飛鳥を――人影としか見えないそれを、見る。


「チョーノーリョク、なあ? お前も? 見せてもらえるんやろ、どんなん?」

「俺のは…どういうのか判るだけやから、力を持ってないクラには証明にはならへん。…悪い」

「力、な。お前らは選ばれた奴で、俺は違うってわけや?」

「選んだのが死神でもいいなら、そうかもな」

「はあ?」

「発火とこの力は、多分、何か関係がある。脳や体にどれだけの負荷がかかってるかもわからへん。良いんか悪いんか。…クラ、ごめんな。クラが誰かの力の影響を受けてるのはわかってた。でもそれを言って、怖がられたら厭やなって思ったら…話しづらくて。こんなことになってもた。ごめん」


 ゆっくりと、まるで懺悔ざんげするようにげる。最後にはっきりと頭を下げた飛鳥は、そのまま、言葉を続けた。


「これからも、協力してほしいと思ってる。でも、信用できひんなら…辞めてくれてもいい。とりあえず、俺、帰るわ。おやすみ」


 遠ざかる影を、蔵之輔は、ぼんやりと見送った。肩が落ちているように見えるのは、気のせいか、現実か。

 反発はいくらか収まっていたが、これからどうしようと、そう思う。まさか、そ知らぬ顔で今まで通りやっていけるとも思えなかった。

 どうやら飛鳥は罪悪感を覚えていて、蔵之輔も、この先そのことで当たらないとは限らない。超能力などと得体の知れないものに関わるのも、正直なところ、怖い。

 ――結局、一人か。

 苦い思いに、頭を抱えかけた。その膝に、ぽとりと、何かが落とされた。


「…飴ちゃん…?」

「石動さん」


 ずっと無言だった恭二が、目の前に立っていた。飛鳥と一緒に行ったと思いこんでいたこともあって、思わず凝視する。それでも、暗闇に表情はわからなかった。


「戻って来てください。飛鳥さんが友達だと思えてる人は、あそこにはあなたしかいない」

「…なんで?」


 ぽつりとこぼれ落ちた声は、蔵之輔自身驚くほどに呆然としていた。

 湿った風が、動かない頭を揺さぶっていく。


「僕たちは守らなくちゃいけなくて、所長代理たちには認めてもらうために頑張って見せて。誰に対しても少し距離を置いて、無理をして。力のことを黙っていたから全部ではなかっただろうけど、それでも、一番打ちけてたのはあなたです」

「…はっ」

「僕の力は、精神感応、らしいです。感情や、考えてることがわかります。離れていたら、それほどではないですけど。…飛鳥さんは、何も隠さないんです。全部知ってるのに平気で僕に触れて、気にしない。――僕が言うのはおこがましいですけど、もっとくつろいでくれたら良いのにって、無理をしないでほしいと思うんです。でも、僕には何もできないから…勝手だってわかってるけど、石動さんがいてくれたら良いのにと、思ってるんです。石動さんだって――飛鳥さん、嫌いじゃないでしょう?」


 どこかおどおどとしている調子だったのに、最後にはきっぱりと言い切った。一種の自棄なのかも知れない。

 闇にうずもれたまま、蔵之輔はやはり、呆然としていた。

 たしかに飛鳥は凄い。

 こんな状況なのに妹や恭二たちを守り、叔父や以前からの知り合いとはいえ、年長者たちと渡り合い、それぞれの状況や事情も把握しているようだった。

 同じクラスだったときから、周囲から浮いてもいないのに妙な存在感のある奴だとは思っていたが、今になってなるほどと、納得もした。

 何故そんな飛鳥の近くに、蔵之輔がいる必要がある。単におない年がいないなら、その辺りを探せば誰か見つかるはずだ。現に蔵之輔も、同級生たちを何人か見かけている。


「飛鳥さん、憧れてたみたいですよ。石動さんに」


 何も言わなかったのに、恭二は、疑問に的確に答えを返した。そのことに、ひるむ。


「僕が気持ち悪ければ、なるべく離れています。すみません、出て行くとは言えませんけど」 

「…とりあえず、どっか行ってくれ。一人にしてくれ」


 呟くように告げると、恭二はゆっくりと頷き、蔵之輔に背を向けた。やがてその姿は、闇に溶ける。

 今度こそ、頭を抱える。

 身動きした拍子に、膝に乗っていた飴が落ちた。

 手を伸ばして拾い上げ、包み紙を広げて中身を口に投げ込むと、甘かった。幼い頃から何度も食べている、イチゴミルクの飴。

 ふと思いついてポケットをさぐると、夕方にもらった飴と、バンドが出てきた。手探りでスイッチをひねると、無線の、繋がる安っぽい音がした。


「…飛鳥、か?」


 返答を待つためにスイッチを切り替えるが、声はなかった。

 聞こえていないのか使い方がわからないのか、あるいは、実は誰にも繋がっていないのかもしれない。たかだか玩具の無線だ。あまり距離も飛ばせないだろう。

 そう思うと、逆に楽になった。


「俺…何か、役に立ってるんかな…。誰か、必要やって言ってくれて、それに返せるんかな」


 必要としてくれたのに、あの少女には何もできなかった。その手を掴むことすら、できなかった。タシロの研究所でも、出入りしていたが果たして本当に役に立っていたのか。

 溜息を落として、スイッチを切る。

 これからどうしようかと取りめもなく考えていると、遠くから、声が聞こえた。近付いてくるそれは、どうやら、この頃聞き慣れた元クラスメイトの声のようだった。

 夜の闇にまぎれて、蔵之輔は、泣きそうになりながら笑った。

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