中島春
器具の洗浄に集中していたせいで、気付くまでに間があった。
「
いつの間にか背後に立っていた飛鳥に、
恥ずかしくて、周りが見られない。一般の患者もいるはずで、きっと、驚いているか笑っている。
半ば八つ当たりで飛鳥を睨みつけると、眼鏡越しに、いたずらっぽい目が笑っていた。
「久しぶりー」
「…昨日も来てなかった?」
「あれ知っとった? でも、
「元気ないように見える?」
「んー。今日もいい看板娘っぷりで」
医者に看板娘が
機嫌が直ったのを察してか、にんまりと笑った飛鳥は、さりげなく器具の引き上げを手伝ってくれながら、一緒に昼ごはんを食べないかと誘って来た。
時計を見ると、昼には少し早いが、早すぎることもない。ざっと医局の状況を確認して、頷く。同僚や医師らに宣言して、職場を後にした。
「珍しい風の吹き回しやけど、どうしたん?」
「たまにはいいやろ? 春と話したい気分なんや」
明るく笑うが、これが
人懐っこく、性格がいい上に顔だって悪くない。本人にそのつもりはないのだろうが、思わせぶりな、と心の中で呟いて、跳ね上がった心臓をなだめるのに躍起になる。
年下の友人の兄にして命の恩人でもある一つ年下の青年は、春の心情に気付く様子もなく、慣れた様子で地下の食堂へ――行くかと思いきや、外に出ようとする。
「どこ行くつもり?」
「知っとった? すぐそこ、お好み焼き屋復活したんや。昨日見かけて、行きたいなーと思ってさ。食堂やと、知り合いに会ってうるさくなりそうやし」
「へえ、気付かんかった」
「やろ?
「むしろ、来たがるんちゃうかなー。敵情視察?」
そんな当たり
なるほど、とつい感心した。
四人席に向かい合わせで座ると、ほぼ春の真正面に、テレビが置いてある。最近ちらほらと流れ始めた生活情報番組で、中年の男女を中心に洗濯術を紹介していた。
「大分、色々戻ってきたな」
「だってもう、一年以上
「…それだけ経っても、結局何もわかってないんやな」
店員がやって来て、一度そこで会話が途切れる。
適当に注文を済ませている間に、テレビはニュース番組に移っていた。海外で
まだ、超能力のことは公表されていない。だがいい加減、取り繕うのは無理ではないかと春でさえ思う。
犯罪に悪用するものも多いのだから、少なくとも、警察あたりでは公然の秘密と化しているのではないだろうか。
「春」
「何? …どうか、したん?」
テレビに向いていた注意を飛鳥に戻すと、思いがけず真剣なかおに出喰わした。
「新型インフルエンザのこと、聞いてるか?」
「今もやっとったけど、テレビで。死者もたくさん出てるし…まだ日本にはきてないみたいやけど」
「やっぱ言ってないか」
「え?」
春に向けて言ったわけではなく、ついこぼれた呟きだとわかった。それだけに、何事かと気が張る。
飛鳥は、拠点を移ったとはいえ、変わらず「年少組のリーダー」だ。少なくとも春は、そう思っている。
飛鳥は、
「インフルエンザじゃなくて、あれ、日本で起きたのと一緒やと思う」
「……え…?」
「厭な言い方やけど、まず日本で様子を見て、威力を抑えて世界中に広げた、って感じやな」
頭が真っ白になったかのようで、言葉が出ない。
どのくらいそうしていたのか、店員が注文したお好み焼きを持って来たことで我に返る。鉄板で音を立てる豚玉を前に、とりあえず水を飲んで、間を取る。
その間飛鳥は、じっと待っていた。春を見つめて、まるで一つの変化も逃さないかのような視線に、動きがぎこちなくなるのを感じた。
「それ…ほんま?」
「多分」
「でも、だってそんなん、誰が?! 誰かわざとやったってこと?!」
「春、声」
「…ごめん」
「いや。ごめんな、こんなところで。でも、知っといた方がいいと思ったんや。俺らは、誰かが――それが個人なんか企業とか国とかなんか、もしかしたら宇宙人とか、そういうのか、そういったのはわからへんけど、何かしらの意図を持って起こしたことに巻き込まれてるんやと思う。なんで、っていうのは全然わからへんけど」
「そんな…」
「偶然の線が残ってないわけじゃない。日本で起きたことが、発見されてないだけでウイルスか何かが原因で、薄まって広まってるっていうのも考えられへんわけじゃない。でも、はっきりとした悪意があるかも知らん。それだけは、知っといた方がいいんじゃないかと思って」
眼鏡越しとはいえ、飛鳥の眼は誠実だ。それだけに、何をどうとっていいのかがわからなくなる。
「なんで…私…?」
「他の奴らにも伝えるし、
何を謝っているのかさえ、よくわからない。
この店に入ったときは、デートみたい、とちょっと浮かれていたことを思い出して、春は呆然とした。
ただ、お好み焼きの焼ける音だけが耳についた。
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