岬一葉

 部屋から出てきたときには、生真面目な顔つきをしていた。細縁のメガネとかしこまったスーツ姿とで、ずいぶんと「大人」に見える。

 だがそれは、外で待っていた一葉カズハと目が合った途端とたんに、あっけなく崩れ去った。


「よー久しぶりー」


 笑うと、年相応だ。むしろ、幼く見えるかもしれない。

 変わらない飛鳥アスカの様子にどこかほっとして、それ以上に苛立いらだって、一葉は目をらした。

 その隣を、一緒に待っていた棚橋タナハシが通り抜けて行く。


「お疲れ様です」

「おー。そっちもお疲れ様」


 和哉カズヤの車椅子は棚橋に任せたらしく、軽い足音が近付いて来る。

 一葉は、じっと窓の外を見た。県庁に入るのは初めてだが、何が変わるわけでもない、ただの建物だ。


「護衛お疲れ。まだ終わってないけど」


 気安い声。

 何も変わらないのだと知って、やっぱり一葉の胸に、安堵と苛立ちとが同居する。

 よかった怒ってない、何故怒らないのか。どちらも、勝手な感情だとわかっている。一葉が、飛鳥に望めることなど何もないはずなのに。


「えーと…。和哉さん、俺先行きますねー。寄り道していくから戻るのはそっちのが早いと思いますけど」

「ああ、うん、お疲れ様。今日はこっち泊まって行くんだよね?」

「そっち行って色々片付けてたら、夜ですからねー。今の日本で下手に事故ったら、見つけてもらったとき骨と化してておかしくないですからねえ」

「っ」


 手が出たのはとっさの事で、何も考えていなかった。飛鳥のきょとんとした顔を見てはじめて、自分がスーツのすそを握っていることに気付く。

 頭の中は、真っ白だった。


「どうかしたか?」

ミサキ、先に行くぞ」

「呼んでるで? 話あるならまた後で――」

「棚橋、そっち一人でいけるな?」


 護衛と称して、一緒に和哉の出先について回ることの多い棚橋は、和哉に問うような視線を向け、頷くのを待って大丈夫だと返した。

 それで、決まる。


「俺、こっちにつく」

「飛鳥をよろしくね、岬君」


 どうしてお前に頼まれる必要がある。その言葉は胸の中で潰して、あごを引くようにして頷き返した。車椅子を押す音が、ゆっくりと去って行く。

 その音が聞こえなくなっても、動けなかった。


「えーっと…? なあ、俺、一人でも大丈夫やで?」

「ガキをたばねてる奴が狙われてるん、知らんわけちゃうやろ」

「今回の召集もメインそれやったけど」


 和哉の外出に物々しい護衛がつくようになったのは、割合に最近のことだ。

 どういった情報が漏れたものか、各地で、能力を持った子どもを束ねる者を襲う事件が頻発した。公のニュースではただの強盗や喧嘩で済まされているものが、内情を知れば全く違った意味を持つ。

 今回わざわざ神戸の県庁まで出張ってきたのは、そういった「統率者」と政府と企業の連合が、対策を含めての話し合いを行うためだった。その集まり自体は既に、何度か行われている。


「でも俺、狙われる理由ないと思うんやけどなー。まとめてるんカズさんやし」

「アホか」


 ようやくスーツから手を離すと、それを合図にしたかのように飛鳥が歩き出す。数歩進んで、うながすように一葉を振り返った。


「守ってくれるんは嬉しいんやけどさ、俺、ここまでバイクなんやけど。平気か?」

「…心配なんはそっちの運転やろ」

「自転車の二人乗りよりはやりやすいぞ」


 妙な言い方をする。

 一歩遅れて後を追うように歩き出しながら、一葉は、そっと息を吐いた。一応、喋れている。

 飛鳥に嘘をつかれていたと知ったときに、もう関わってはいけないと思った。自分でも驚くほどのショックに気付いて、離れる準備をしようと思った。

 ずっと一緒にいてほしいとは望めないのだと、いつか置いていかれるのなら今のうちに諦めたほうがいいと。

 それから、ほとんど口をいていなかった。

 そのうち、飛鳥の方でもけているのに気付いた。全く話しかけなくなったわけではなかったが――名を、呼ばなくなった。


「はいメット。で、悪いけど体重完全に預けてくれな。何せバランス命の乗り物やから、重心ずれたらすっころんでしゃれにならん」


 予備らしいヘルメットと薄手ながら丈夫そうなパーカーを投げて寄越し、自分は黒皮のグローブも身につけ、スーツの上着を脱いでネクタイを外す。


「…革靴でバイク?」

「あ、これ? サラリーマン御用達に見えて実は、ハイキングに活躍のシューズ」


 いつものようにへらりと笑いながら、さっさとバイクにまたがってエンジンをかける。そうしてから、一葉を手招いた。

 少し躊躇ちゅうちょして、後ろに座る。言われるままに胸に手を回して身体を密着させる。自転車の後ろに乗せてもらった時のことを思い出した。とくりと、心臓が鳴る。


「ああそうや、何か来たとしても、一番は自分を守るために使えよ。俺のことはその次でいい。わかってると思うけど、順番、間違えるなよ。んじゃ、出るぞー」


 これが女の子ならもっと楽しいのになあ、と、冗談のような言葉に乗せて発車する。それは牽制だろうかと、しがみつきながら思った。

 ミヤコあたりは飛鳥は鈍いと言うが、そうでもない。

 だが。もう遅い、と、そうも思ってしまった。

 手遅れなのだと、はっきりと自覚してしまった。何があったわけでもなく、ただ、久しぶりに会った。それだけで、わかってしまった。


「飛鳥。――好きや」


 ヘルメット越しに、声は届いたのか風に流されたのか、飛鳥からのこたえはなかったが。

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