「勝手に怒らせとけばいいんやって」

 目が合うと、ミヤコは、可愛らしい苦笑を浮かべて頭を下げた。


「ごめんなさい、おにい、突っ走るから」

「え…?」

「元々説明とか解説は苦手やったんやけど、だからってそれすっ飛ばすわけにもいかへんやろ? で、無理矢理やると、気持ちが先走ってまうみたいで。多分今頃、一人で落ち込んでるわ」

「ええ?」


 随分と冷静に見えたのだが、ミヤコの語るアスカは、どうにも様子が違う。ハルは、困惑して顔をしかめた。


「上手く説明して納得してもらえへんことに苛立ってまうみたい。自己嫌悪に陥って、でも止められへんから、これ以上言うとわかれよって理不尽に責めてまうなー、ってとこで、放置して逃げるんやんなあ。はた迷惑な兄で、ごめんなさい」


 謝りながら、ミヤコの口調からは、アスカへの強い非難は感じられない。

 仲のいいきょうだいで、欠点を知りながら認めているのだと思うと、少し羨ましかった。春は一人っ子の上に両親共に忙しく、そこまで親しい他人というものがいなかった。

 そしてそれとは別に、春にすまないと思っているのもわかった。


「うち…怒らせたかと…」

「別に、怒らせてもいいんちゃう? いきなりあんなこと言われたって、実感ないやろうし、納得もできひんやろ? それやのに怒るようなら、勝手に怒らせとけばいいんやって」

「そ、そんなもの…?」

「うん。まあ、えーっと…ナカジマ、さん?」

「あ。春でいい」

「じゃあ、春ちゃん」


 明るく笑って、ミヤコは向かいのベッドに腰掛けた。その方がしゃべりやすいのだろう。


「春ちゃんの能力は、そのまま生き死につながりやすいから余計に、ってのはあったやろうけど。今日やって、ちょっと使いすぎやったって。おかげで、美登利さん?は助かったみたいやけど。その体のだるさやって、点滴打って随分時間もってそれやで?」


 その点はまだ納得できないが、心配して言ってくれているのだろうことはわかる。春は、なんとなく決まり悪くなって身じろぎした。

 それに、と、ミヤコは先を続ける。


「超能力の話がほとんどの人に知らされてないとは言っても、噂にはなってるし、『遭遇』対策してるところではほとんど常識やもん。対策そっちのけで超能力者集めてるところもあるらしいし、救援物資もらえるっていっても、日本、鎖国中やから。手当てが間に合わんかって…って人も多い。そこでそんな能力知られたら、拉致らちして死ぬまで酷使、なんてことも」

「ま、まさか」

「ないとも言えへん。使い勝手のいい能力持ってる人で、協力はせんと暮らしていくわー、って言っとった人が、ある日突然消えた、ってのもあるし」

「…引っ越しただけ、違う?」

「身の回りのもの全部残して? 部屋の鍵、壊して?」


 ぞくりと、春の背筋を悪寒がはしった。

 春は漠然と、美登利ミドリが無事なら、またあの日常に戻れるものと思っていた。

 定食屋の「みどり」で一緒に働き、もしかすると両親が戻るかもしれないと、一縷いちるの望みを託してマンションで一人暮らしをする、あの日常に。

 だが――もしもミヤコたちの話が全て本当なら、一人暮らしの危険はもちろん、以前から勧めてくれていたように美登利と暮らすこともできない。まさか、巻き込めない。


「ああ、ごめんなさい。脅すつもりはなかったんやけど」


 慌てたように、ミヤコが春を覗き込む。さらりと音を立てて、長い髪が動く。

 春が男の子のような短い髪型にしたのは、手入れの問題もあるが、一目で女と判らないようにするためでもあった。

 そのくらいの危機感は、持っていた。その程度でしかないが。

 ――対してミヤコの髪は、春にとって、守られていた象徴でもある。


「…あなたは、その…力、納得、できた…?」


 うつむいたのは、ミヤコを非難してしまいそうだったからだ。

 あなたはいい。兄や叔父、身内に守られて、安全なところで暮らして、きっと自分の状況も丁寧に説明されて理解できている。春のように、突然突きつけられたのでもなければ、相談できる相手もいる。

 そんなことを理不尽だと責め立てても、うらやんでも、自分がみじめになるだけだ。

 そうわかっているからこそ春は、目をらした。部屋を出て行ったアスカを、きっと春だけは、責められない。理不尽なのは春も同じだ。


「納得っていうか…妙なことができるようになった、っていうのはわからざるを得んかったから」


 どういうことだろうと思ったが、顔も上げられず、ただ黙っていると、ミヤコはそのまま言葉を続けた。


「あの日の朝、ご飯食べてたら急に目の前で炎が上がって。死ぬかと思った。てっきり燃えてるんやと思ったけど、実際はただの幻で。お兄に止めてもらえへんかったら多分、怪我けがも何もないのに心臓麻痺とかで死んでたんちゃうかなあ。あれ体験してまうと、無視もできひんわ」


 淡々と口にして、ミヤコは立ち上がった。


「お昼持って来る。食べて休んだら、美登利さん?のとこ、案内するな」


 パタパタと足音が遠ざかって、春は、ゆっくりと息を吐いた。

 ミヤコは、きっと気付いただろう。春の非難に気付いて、その上でああ振舞ってくれたのではないか。そう思うと一層、自己嫌悪に沈んだ。

 どうしてこう、自分は――


「おいメシ――バカ女は?」

「…え?」


 お盆を持った少年、カズハといった彼が入り口に立っていた。

 戸惑とまどって見つめると、面倒くさそうに溜息をついて部屋に入って来た。思わず、びくりと身をすくめる。

 違うとわかっていても、襲われたときのことを思い出してしまった。アスカがいたときは、ミヤコのお陰で気にせずにすんでいたのだろう。だが、今は一人だ。

 チッと舌打ちが聞こえ、怯えながら顔を上げると、ノートパソコンに占領された小卓はあきらめて空いたベッドに盆を置いたカズハが、じろりと春を見た。やはり、身がすくむ。


「あんなのと一緒にするな」

「イチ君」

「ああ? 何や、オレは何もしてへん!」


 また一人、少年が顔を覗かせる。

 カズハとは同じくらいの年だろう。ほっそりとしていて、クラスの身長順では前の方になるだろう。そう言えば、カズハもあまり背は高くない。

 はじめて見る少年は、ぺこりと春に礼をして、カズハを手招いた。


「イチ君が何もしてなくても、おびえさせてるのはイチ君だから。今は、ミヤコさんに任せたほうがいい」

「っだよ」

「イチ君だってあったでしょ、そういうとき」

「…わーったよ」


 渋々とだが応えて、カズハは春に背を向けたまま部屋を出ようとする。

 ほっとして掛け布団を握り締めていた春は、立ち止まってこちらを見たカズハに、再び身を強張こわばらせた。


「……悪かった」


 それだけ言って、戸口にいた少年も無視して立ち去ってしまう。少年は、その背を見送ってからもう一度春を見た。


「ササキキョウジです。落ち着いたら、また。お邪魔しました」

「あ…はい…」


 春がなかつぶやくようにこたえたときには、既にキョウジの姿はなかった。

 残されたのは、お盆の上に、のりでおおわれたおにぎりが四つ。

 冷え切っているようだが、見ているとお腹が鳴った気がした。考えてみれば、朝から何も食べていない。

 だからといって無断で食べる気にもなれず、春はぼんやりと、おにぎりを見つめた。

 美登利のおにぎりが食べたい。

 海苔で巻いたり、とろろ昆布で巻いたり、ゴマやかつお節をまぶしたり、しょうゆやみそをさっと塗って焼いたり、単純に塩結びにしたり。手軽に、まかないにしたり注文を受けたりして。

 はじめの頃、手伝おうとした春は、ご飯の熱さに悲鳴を上げてしまったりもした。

 気付くと春は、ふらりと立ち上がっていた。おにぎりのお盆が置かれたベッドを乗り越え、多少足はふらつくが、扉までたどり着く。


「…どこ…?」


 廊下には、似たような扉がいくつも並んでいた。春が思い描く会社に相応ふさわしく、どれも似たり寄ったりで、その上、上方に小さく掲げられたプレートは、今や意味をしていないだろうとの推測はつく。


「四階で…」


 アスカたちは、ここは四階で、病院に使っているのは一階や二階だと言っていたはずだ。

 だが、美登利がそこにいるとは限らない。自分と同じように、この階や別の階にいるかもしれない。


「中島さん」

「あ…」


 困ったような驚いた顔で、アスカが立っていた。どこか、哀しそうにも見える。

 ややあってアスカは、小さく溜息を落とすと、眼鏡をたたんで無造作に上着のポケットに仕舞しまった。


「美登利さん、気になる?」  

「うん…」

「わかった、行こ。さっき目ぇ覚ましたとこ。長い話は無理やけど、あの人も中島さんのことは気になってるやろうし、下手に動いて迷子になられるよりはいいし。あ、でも少し待って」


 見ていると、アスカは何故かベルトのあたりを引っ張り、一見して玩具とわかる赤い腕時計のようなものを手にした。

 少しいじってから、肩をすくめて元に戻す。


「メモのが手っ取り早いか」


 そう言って、春の横を抜けて一度部屋に入り、すぐに出てきた。

 行こか、と呼びかけた後で、のろのろと動き出した春を見て、考えるように首を傾げた。


いやなら、言ってな」

「え――きゃっ」


 横抱きにかかえ上げられた。慣れた様子で、ふらつくこともなく安定している。春は、ぽかんとアスカを見上げることしかできなかった。

 そうしている間に、階段を下りて、四階とは違っていくつもの戸が開け放たれた階に出る。そのうちの真ん中あたりで一度立ち止まり、部屋の中に何か呼びかけたようだった。そうして、端の閉ざされた部屋に向かう。

 その前で、春はゆっくりと地面に下ろされた。


「春ちゃん」

「美登利さん!」


 扉の向こうに、ベッドに横たわる美登利がいた。確かに、生きている。

 足がもつれてこけそうになりながら、春は駆け寄っていた。気付けばあふれている涙をぬぐう間すら惜しかった。

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