「俺は、大人にならなあかん」

「どうですか?」

「おっけー。いや凄い、よくあんなややこしい説明書きで組み上げられるな。天才やわ、君」


 大袈裟おおげさな、と思うが、手放しで褒められて嬉しくないはずがない。照れて、蔵之輔ゾウノスケは視線をらした。

 五十崎イカザキ一郎は、飛鳥アスカの叔父だというだけあって、のらりくらりととらえどころのない人だった。叔父というよりも兄のようで、頼りにもなる。

 そんな身内がいることが少し、うらやましい。


「俺、そろそろ帰りますね」

「ああ、もうそんな時間か」


 太陽の力の衰え始めた窓の外に視線を向け、五十崎は頭をいた。


「悪いなあ、ろくに報酬もないのに」

「飯の心配がなくて遭遇の解明進度も聞かせてもらって、それで十分です。機械いじりも、趣味の延長みたいなものですから」


 嘘ではないのだが、我ながら胡散臭うさんくさいなと思いつつ、蔵之輔は当たりさわりのない笑みを浮かべた。

 中学時代のクラスメイトだった飛鳥と妙な状態で再会して、元は玩具メーカーのタシロで機械いじりの手伝いを始め――手伝いというよりむしろ、中心になってしまっている気がしないではないが。

 そうやって過ごす日々は、あっという間に過ぎた。

 蔵之輔としては、ひたすら機械いじりに没頭していればいいだけなのだから、今まで以上に気が楽だった。それなりには痛んでいた良心も、今は無痛だ。


「あっ、おったおった。クラ、そろそろ帰るやろ?」

「次長のハワイ土産! どこから引っ張り出して来た?」


 へらりとした笑顔で現れた飛鳥は、五十崎の笑い声に迎えられた。蔵之輔は、異様なものを見たような気分で立ち尽くす。

 そこには、目にも鮮やかな赤地に黄色の花の咲き乱れるアロハシャツを着た同級生がいた。どこの南国だ。


「洗濯物溜めてもて、恵梨奈エリナさんが、裸で歩き回るなってくれた。似合う?」

「ああ、似合う似合う。サングラス貸したろか? はまるぞー」

「いやーそこまではいいわ。視界暗なってこけそうやし。で、クラ。帰る?」

「…ああ」


 ほがらか過ぎる会話に割り込めず、しかもうっかりサングラスにアロハシャツ姿の飛鳥を想像して噴き出しかけた蔵之輔は、自分に向けられた言葉にどうにか頷く。

 そんな様子に、飛鳥がいぶかしげに首をかしげたのがわかった。


「似合わへんか?」 


 問題はそこではなく、逆で、似合いすぎているから可笑おかしいと何故気付かない。答えを待っているようなので首を振って、使い慣れたシザーバッグをつかむ。


「とにかく、帰りますね、俺」

「ああ。お疲れさん、明日も頼むな」

「って待て、帰るなら俺も行く。あ、叔父さん、ご飯できたって」

「はぁ?」

「おー」

「あ、今日、俺と恭二キョウジ泊まりやから。住職んとこ」

「ああ、俺からもよろしく言っといてくれ」


 蔵之輔の疑問符を置き去りにして、飛鳥は、蔵之輔の肩に手を置いて歩き出す。五十崎は、のんびりと手を振って二人を送り出した。  

 わけのわからないまま廊下をなかばまで歩いてから、はっと気付いて手を振り払う。


「お前も行くって何? 泊まりって?」 

「あ、これ晩飯な」


 振り払われたことも意に介さず、飽くまで自分のペースで、飛鳥は斜め掛けにしたカバンから弁当箱の入った小袋を取り出して差し出した。

 夕方になると自宅に戻る蔵之輔はいつも、そうやって夕飯を持ち帰る。

 ちなみに、炊事は輪番制のため当たり外れがある。正確には、可もなく不可もなくが一番多い。蔵之輔の料理も基本的にはそこに位置している。もっとも蔵之輔は時間の関係上、昼の調理しか当たったことはないのだが。

 そんな料理を無下にはできず受け取ったものの、回答がまだだ。じっと、元クラスメイトを睨みつける。


「怖い顔するなって。知り合いの住職がおるんやけど、今日はそこに泊めてもらうんや。で、お前んちの近くやからついでに一緒に行こうかと。話したいこともあるし。あかんか?」


 ああ、来たか。

 飛鳥に誘われ、半月以上をこうやって過ごし、まるでずっとこうやって生活してきたかのような錯覚におちいることもあったが、実のところ不安は、常に付きまとっていた。

 不協和音。集団には向かない。そんな性質は、自分がよく知っている。

 受け取った弁当が急に重みを増したように、足が重くなった。それほどに、ここはこれまで以上に居心地が良かったのだと、思い知らされる。

 そんな蔵之輔の内情も知らず、飛鳥は何故か、昔にやっていたらしい戦隊ものの話をしている。蔵之輔には覚えがないが話し振りから、小学校の高学年くらいにやっていたのだろうとわかった。

 しかしそんなことは、どうでもいい。


「話したいことって?」


 話の流れを半ばさえぎって、蔵之輔から切り出した。

 建物の外にある駐輪場でのことで、そこで待っていたらしい恭二が、蔵之輔の姿を見て、会釈えしゃくするように頭を動かした。ほとんど聞き流していたが、そういえば泊まると言っていた中に恭二の名前も出ていた気がする。

 それなら、中途半端に三人で気まずく移動するよりもいっそ、ここで話を終わらせて一人で走り去る方が気が楽だ。

 それまで手近な花壇の縁に腰掛けていたところを立ち上がった恭二は、動き始めない蔵之輔たちを見詰めて、不思議そうな様子もなく、忘れ物を取って来るとげて立ち去った。

 本当のことかもしれないが、少年は、妙なくらいに勘がいい。


「そんな大袈裟なことじゃないんやけどな」


 飛鳥も恭二の行動を見破ったのか、それとも蔵之輔の言いようが切羽詰せっぱつまっていたのか、困ったように頭をいた。

 授業中、居眠りを看破されたときにもそんなかおをしていた気がする。


「ここに住み着かへんか、っていうだけのお誘い。行き帰りも弁当詰める手間もなくなるやろ。わざわざしち面倒臭いことやるんやから事情はあるんやろうけど、家に誰かが残ってるわけでもないみたいやし、今の状態が終わる目処めどがつくくらいまで、引っ越して来たらどうや?」

「…通いは、他にもおるやろ」

「あの人たちは十分に大人やし、家には誰かが待ってる」


 違うとはわかっても、その言葉は、蔵之輔には待ってくれる家族などいないとでも言うように聞こえた。

 実際、もはや蔵之輔に家族はない。

 祖母は亡くなり、血縁だけはある父親がどこで生きていようと野垂のたれ死んでいようと関係も興味もない。父を殺しそこねた母は逆に、蔵之輔が幼い日に殺された。


 正当防衛という分類をされたその殺人事件を蔵之輔が知ったのは、祖母に引き取られた先での、噂話だった。

 蔵之輔も当事者のはずだったが、幼すぎて、あるいは記憶を封印でもしたのか、覚えてはいなかった。

 引越しをかさねて落ち着いた中学生以降はそれらの影はなりをひそめたが、だからといって蔵之輔自身も忘れられるわけではない。

 せめてなぐさめてくれただろう祖母は、最後の引越し前後に、軽度の痴呆を自覚して自ら施設に入った。

 そのくらいのたくわえはあるから迷惑はかけないと言った、笑い顔は今も鮮明に思い出せる。

 おそらく、母が両親の庇護下を離れてあんな男と一緒にならなければ、悲劇は起こらなかったのだろう。そして、蔵之輔も生まれることはなかったのだろう。

 事件が起こったことで祖母に見つけ出されてそれまでよりも比較的裕福に暮らせるようになった蔵之輔は、そう思った。

 まるで自分は不幸の象徴だ。


「クラ?」


 いつの間にか、蔵之輔は自分の内側に目をらしていた。のろりと飛鳥に焦点を合わせると、呑気な顔が覗き込んでいる。

 飛鳥にも、両親はほとんどいない状態だと聞いたことがある。両親共に海外に出ていて、しかも父親は行方知れずなのだと。同じクラスだったときに、祖母の葬儀のために休んだこともある。

 だが――飛鳥の周りには、蔵之輔にはないものがあふれ返っていた。恥ずかしげもなく言えば、「愛情」が。それは、振る舞いから窺い知れた。

 蔵之輔は、飛鳥に憧れるのと同時に嫉妬していたらしい。そう自覚して、妙に、可笑しいような気分になった。


「大人やから? 子どもやから? 何? 今更、そこにどんな意味がある? お前のそれはただ、同情して、あわれんで手を差し伸べてるのとどう違う?」

「同情するなら、センセイにカウンセラーでも紹介してもらうわ」


 無表情に、飛鳥は蔵之輔を見詰めていた。セミの鳴き声に掻き消されることなく、飛鳥の声は耳に届く。


可哀相かわいそうって慰めてかかりきりにならなあかんようなら、そういう相手を探してる人に押し付ける。クラ。お前がどう思ってるか知らんけど、俺はいい奴でもお人よしでもない。お前が機械いじりが得意じゃなかったら他の避難所でも紹介して終わったやろうし、ここに来る途中で襲われたり事故に遭ったりしてもいい程度なら、引っ越せとは言わへん。子どもっていうのは、自分と自分が関わってることの責任を取る覚悟や力がない奴や」

「っ、なら、お前は大人やって言うんか!」

「ああ。俺は、大人にならなあかん」


 淡々とした言葉で、飛鳥は口を閉じた。何かを言い返そうとしたが、蔵之輔には、何も言えなかった。

 お前は恵まれているから――という言葉はさすがにひがみで、口にすることはできなかった。

 不意に、飛鳥の顔に表情が戻る。土台はいいくせにどこか警戒感を緩める気の抜けた顔で、蔵之輔を見る。


「まあ、気が変わったら言ってくれ。その代わり、これは常備するように。無線はともかく、発信機はそこそこ使えるはずらしいから」


 そう言って渡されたのは、明らかに玩具おもちゃと判る機械付きの腕時計だった。落ち着いた色合いの黄色で、合革だかビニールだかの素材が、夏には暑苦しい。

 お揃いやからって置いていくなよ、という言葉に飛鳥を見れば、ズボンのベルト通しにアロハシャツと同じ鮮やかさの色違いがぶら下がっている。


「ちなみに、恭二がグリーンでミヤコがピンク」


 こちらに歩いてくる恭二を示し、要らない注釈を口にする。

 あまりに時機をとらえた恭二の登場に、聞かれていたかと勘繰かんぐるが、激昂した蔵之輔はともかく、そう大きな声だったわけでもない。考えすぎだろう。

 戻って来た恭二は、お土産、と呟くように言ってそれぞれの手に飴を一つずつ載せた。

 飛鳥は嬉しげに口に放り込んだが、蔵之輔は、黄色のバンドと一緒にポケットに突っ込んだ。


「んじゃ行きますかー」


 緊張感皆無に言いながら、飛鳥は自分の自転車を引っ張り出している。つられて蔵之輔も動くが、恭二は自転車を出そうとしない。

 まじまじと見るつもりもないが、気にしていると、サドルに跨った飛鳥が、荷台を恭二に傾けている。


「二人乗り?」

「ああ、まだちょっと、乗る練習まで手が回らんかって」


 うっかり洩れ出た蔵之輔の言葉に律儀に回答して、後ろに恭二を乗せた飛鳥は、慣れているのかふらつくことなくペダルに足をかけて促した。 

 本当に、捉えどころがない。

 おそらくは蔵之輔が一方的に抱いた居心地の悪さも、飛鳥には通用していないようだ。ただ空気が読めていないというよりは、読んでいない。それがわざとらしさや押し付けがましさにならないのは、性格だろう。

 そんな考えを頭を振って追い払い、先行して走り出した。

 二十分ほどで家に着くから、どこまでついて来るつもりかはわからないが、それ以上長引くことはないだろう。 


 そう、思っていたのに。

 目の前で、人が燃えていた。

 それは見事な火柱になって、燃え上がっていた。


 青い炎が赤をまとっているように見えた。そして絡みつかれている人は、まるで、大きな松明たいまつだった。

 いや、松明でも何もせずに丸焼けなんてことにはならないだろう。手を加えない完全な炭化も難しいだろう。

 だがそれは――燃え尽きるまで、炎が消えることはないと、蔵之輔は知識として知っていた。


 飛鳥は、何かから護るように恭二を頭から抱きかかえている。その背をぼんやりと見て、まるで「父親」の背中だと、そう、蔵之輔は思った。

 蔵之輔が、発火を目の当たりにしたのは初めてのことだった。テレビで見たり話に聞いたりはしたが、直に目にしたのは今が初めてだ。

 架空だったはずのものが突然目の前に現れたようで、妙に現実感がない。

 祖母も――あんな風に、死んだのだろうか。


「おい、クラ!」

「――え」


 急に肩を掴まれ、見ると心配そうに覗き込む飛鳥の姿があった。さっきまで背を向けていたのにと思ったら、何度も呼んだと言われて驚いた。

 どれだけか、意識が飛んでいたようだった。

 ふらりと道の半ばに現れて燃えた人は既に大きな炭の塊と化していて、飛鳥が抱きかかえていた恭二は、木陰に横たえられていた。陰を選ばなくても、そろそろ陽はかげってきているのだが。


「見たの、初めてか」


 飴を一粒手渡され、今度は素直に口に含む。甘かった。


「…恭二は…?」

「気絶した。…クラんちってこの近くやろ。悪いんやけどとりあえず、休ませてくれへんか」

「…二階やけど、アパート」

「ああ、そのくらい。いいか?」


 頷くしかない。そもそも、飛鳥にそう言われて一番に浮かんだのは安堵だった。一人でいなくていいという、反射的なそれ。

 気付いて複雑な気持ちになったが、今更無視を決め込むことはできなかった。

 じゃあ、と言って飛鳥は立ち上がった。いつの間にか蔵之輔は道に座り込み、飛鳥も身を屈めていた。


「自転車たのめるか」

「わかった」


 道のほぼ真ん中に転がる炭から意識せず出来る限り身を離しながら、倒れた自転車二台を起こしにかかる。

 その間に、飛鳥は寝かせた恭二を抱き上げる。


「――おんぶのが楽ちゃうんか?」

「あー、それがなあ、こっちに慣れるとそうでもなくて。いやもう、結婚式でお姫様抱っこして、って言われても躊躇なく実行できるから」

「そこまで聞いてない」

「はっはっは」 


 いくら小柄で年下とは言え、軽々と所謂いわゆるお姫様抱っこで恭二を抱き上げた飛鳥は、開き直ったのか本心からかよくわからない笑い声を上げた。

 アロハシャツで少年を抱き上げ呵呵大笑かかたいしょう。怪しいこと極まりない。それにしても、見かけ以上に力のある奴だ。

 歩き出しても、安定感には変わりがなかった。


「…お前は?」

「俺?」

「あんな風に…死んでいったんやな…」

「何もできんでさ、目の前で死なれて。無力感って言うか…大袈裟に言ったら、絶望、したな」


 苦笑いでもするように顔を歪めて、飛鳥は遠くを見ていた。それでも俯かないのが、らしいと言えばらしい。


「無力なんやって突きつけられたみたいで、人が亡くなってるってのにそんな感想かよっていうとこもショックやったな。…全部ひっくるめて、案外平気やったのが一番ショックやった」

「…そうか」

「うん」


 そう、思っていたよりも平気だった。祖母がいなくなっても。

 厳しいところもあったが優しくて、唯一、生きていてほしいと思う肉親だった。いなくなればどれだけ揺らぐだろうと思っていたのに、いくら世界がこの状況になったからといって、案外生きていけた。

 祖母が死ねば自分も死ぬとはまさか思っていたわけではないが、それでも、何かは変わるだろうと思っていたのに。

 自分は冷たい人間なのかとも思った。両親が殺し合った子どもに相応しいように。


「でもそれでいいかなって、今はちょっと思ってる。立ち止まって、変に背負い込んだら生きて行けへんから。ひどい話やけど、ごめん、俺はもうちょっと生きてたいからって。都合のいい開き直りやけど、まあ俺もいつあっち側に行くかわからへんのやから勘弁してもらおかなって」

「――お前さ」

「うん?」


 派手なアロハシャツには似合わない淋しそうな表情を引き摺ったまま、目線だけを蔵之輔に寄越す。

 蔵之輔は、迷って、目を伏せた。


「葬式のとき、何考えた。中二の」


 小さな呟きは思い切れなかったからだが、聞き取れなかったらそのまま流そうと思った。だが飛鳥は、聞こえたらしく、短く、ああ、と返した。

 立場も考え方も状況も違うというのに、しかも飛鳥にとってはうに過去になっただろう祖母の死のことを訊いてどうするのだろうと、蔵之輔自身思う。それでも、知りたいとも思った。

 飛鳥は、ああなんや、と呟いて笑った。


「俺らこれからどうなるんやろって考えてた。京小学生で、俺もまだ中学生で。おかんは生きてるし叔父さんもおるけど、施設とか引き取られるんかなって。ばらばらのとこに入れられたりしたら厭やな、って。ばーちゃんがおらんなって哀しいとかより、そんなん考えてたな」


 何や、今更気にせんでも前からそんなやったんや。

 笑い顔は何かがこそげ落ちてるように平坦で、ああ、と蔵之輔は思った。

 おそらく今はじめて、憧れも嫉妬も挟まず、飛鳥を見られている。一段上にいる少年ではなく、蔵之輔と同じように、足掻あがいている人として。


「俺。遭遇で祖母さんが死んだらしいんや。でも、悲しいとかなくて。大体、中学の頃からずっと離れて暮らしてたんやし。…へえ、おらんなったんや、とか、それくらいしかなくて…」

「…うん」


 気付くと、泣いていた。

 飛鳥も気付いていないはずはないが、二人とも、そのまま歩き続けた。

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